神と彼女の関係
あいす
第1話
私は私のために妄想を生むのだ。
妄想とは最高の快楽だ。
それなのに。
私の妄想は他人が求める物へと近づくことを強制された。
対案は素気無く却下され、悲願は達成されない。
私は譲歩するしかなかった。
現実となった夢は、肉体と精神への苦痛を私に与えるだけの物と変化した。
楽な仕事じゃない。
***
僕は必要とされるから存在しているはずなのだ。
それなのに僕は忌み嫌われる。
自己犠牲とは強要されるものではない。
だから僕は僕の意志で自己犠牲的行動を取っている演技を続けねばならない。
楽な仕事じゃない。
***
東京郊外の住宅地に誰もが憧れる様な新築の高層マンションが建っていた。
彼女はその近隣に建つ古ぼけたマンションの狭いワンルームで、憧れの高層マンションを見上げながら暮らしていた。
木砂 日菜子 二十歳。職業は漫画家。
毎夜、彼女は机に向い黙々と作業をする。
季節は初夏を迎え、窓から入り込む風は爽やかで心地好い。
だが彼女は黙々と机に向かう。今の彼女には爽やかな季節を楽しむ余裕など無かった。
現在描いている連載漫画は、元気で陽気な女子高生とクールなイケメン先生が繰り広げるラブコメだ。
机上の少女達は流行の制服を身にまといキラキラと瞳を輝かせて楽しそうだ。
それに比べ、机に向かう彼女の表情は陰鬱であった。
そんな表情になる原因は、描きたい話を却下され、強制的に少女向けラブストーリーを描かされている状況にあった。
仕事だから仕方が無いのは理解出来ても、やはり描きたいものを描ける自由が欲しいと願っていた。
日菜子は机に向かって丸めていた背中を伸ばし、壁にかかる電波時計を見た。短針が数字の2を指している。真夜中26時。
「背中が痛い……」
日菜子の体に疲労と睡魔が襲い掛かるが、描きあがっていない原稿の量を思うとまだ眠るわけにはいかなかった。
睡魔に勝たねばならない時、日菜子は気持ちを奮い立たせる為に見るモノがあった。
窓から闇夜の街を見上げる。
そこには新築の高層マンションが浮かび上がっていた。
あの最上階には、どんな金持ちが住んでいるのだろうと、羨望と嫉妬の眼差しで見上げるのだ。
努力しているつもりだ。だが憧れの住処に住むには現在の収入では叶わぬ夢だ。まだまだ稼がねば駄目だろう。
日菜子は窓から離れて大きく伸びをした。
襲ってくるのが疲労と睡魔だけでなく空腹であることに気付いた。
腹を満たしたいが冷蔵庫には何も入っていないのは分かっている。
時間が無くて買い物に行ってないのだ。
徒歩圏内にコンビが在る。
しかし深夜に若い女性が一人で出歩いて良いほど安全な街でもない。
少しの望みを掛けて冷蔵庫の扉を開く。
空っぽな冷蔵庫の片隅には買い置きしたまま忘れていたキャラメルの箱が転がっていた。
希望とは如何なる時も捨てるものじゃない。
彼女は嬉々とした表情でキャラメルを取り出した。
日菜子は一瞬、深夜に菓子類を口にした場合の体重増加を懸念した。
容姿に恵まれてない自覚はある。せめて華奢な体型くらいは維持しておきたいと日々食べ過ぎないよう努めているのだ。
だが空腹には勝てるはずもなくキャラメルの包装をピリピリと開封する。
一粒舐める。舐めはじめると止まらない。
空腹を満たそうと何粒も口へ放り込んだ。
キャラメルは買い置きをしておくほどに日菜子の好物なのだ。
「ぐっ!!」
がっつきすぎて、キャラメルが喉に詰まった。
必死に咳き込んで吐き出そうとするが取れない。沢山の固形物が日菜子の息を止めようとする。
あまりの息苦しさに、日菜子の脳裏に“死”が過る。
しかし間一髪、どうにか奥にあったキャラメルを床に吐き出して、ゼイゼイと息を切らした。
日菜子は己の食い意地の悪さを後悔した。
「はぁ……死ぬかと思った」
日菜子は助かった。
しかし意識は死を感じてしまっていた。
その感覚は間違ってしまったのだ。
「こんばんは」
不意に声を掛けられ、日菜子の体がビクついた。
空耳と思い込むことなど出来ないほどハッキリした声だった。
声がしたほうを見ると、黒いスーツを着た男が立っていた。
この部屋には自分以外の人間など居ないはずなのに。
有り得ない光景に血の気が引く。
玄関の鍵は掛けてある。チェーンも掛けてある。
窓は五センチ程、風を入れるため開けてはあるが補助ロックで固定してある。
男が立っているベランダへと続く掃き出し窓は、カーテンは開けっ放しであるが鍵は掛けてある。
トイレや浴室はダクト式換気扇のみで窓など無い。
大体にして狭いワンルームなのだ、異変が起きれば直ぐに気づけたはずだ。
男は、どこから侵入してきたのか?
いや。問題は侵入方法ではなく、侵入してきた理由だ。
悪魔が魂を奪いに来たのか、宇宙人が誘拐目的で来たのか。
いや、やはり現実的に考えるなら残念ながら人間の泥棒だろう。
日菜子は、叫ばなければ助けを求めなければと思うのだが、驚きのあまり声すら出せなかった。
だが声が出たところで、密室で叫んでも誰かが助けに来るはずもないのだが。
「あれ?生きていますね?紛らわしいなぁ……」
男の視線は日菜子の足元に向いていた。
吊られて日菜子も自分の足元へと視線を動かす。
「ひっ……!!」
日菜子の足元には彼女自身が倒れていた。
自分が自分を眺める。とても非現実的な現象だ。
日菜子は状況確認をしようと舐めまわすように自分自身の体を繁々と見た。
最後に顔を覗き込み、再び悲鳴を上げた。
「びっくりして精神が飛び出しちゃったみたいですね」
顔面蒼白になるほど怯える日菜子に対し、男は平凡な日常を過ごしている時のような表情だった。
「貴方、生きていますから。どうぞ体に戻ってください」
「……はい?」
会話を交わすことにより、日菜子の中に生まれた怯えの感情が徐々に消えていく。
その後、わき上がってきたのは怒りだった。
「貴方、誰ですか!!無断で人の部屋に入ってきて!!」
「あぁ、自己紹介が遅くなり失礼致しました。僕は神です」
「神!?」
「はい、神です。珍しくもないでしょう。日本には八百万の神がいると言われていますからね」
普段なら自らを神と名乗る奴など胡散臭くて信じられるはずもない。
だが目の前に起きている非日常的な光景は、男が只者ではないことを裏付けた。
自称“神”はペラペラと話し続ける。
「貴方のほうの自己紹介は必要ありませんよ。僕は神ですからね、貴方のことは知っています。木砂 日菜子さん、二十歳、職業は少女漫画家、この部屋で一人暮らし、好物はキャラメル。知っていると言いましても、この程度の情報ですけどね」
神がペラペラと話している間、日菜子は繫々と神を観察していた。
黒いスーツに黒いネクタイ、そして漆黒の髪。女性受けしそうな品の良い綺麗な顔立ちをしている。
人間の年齢なら三十歳位であろうか。
神は、日菜子に近づくと恭しく一礼をしてから身を屈めた。
日菜子の足元に倒れている彼女自身の体を起こすためだ。
神の腕の中、日菜子の体は半身を起した状態でグッタリとしていた。
「さ、体に戻ってください。戻りたいと願えば戻れますから」
慈悲深そうな笑顔を見せる神に促され、日菜子は言われたとおりに願った。
「あの、願ってみましたが……戻れませんけど」
神は、不思議そうに小首を傾げた。
「おかしいですねぇ……戻りたいと真剣に願って下さい。戻れますから」
日菜子は目をつぶり、気合を入れて念じた。
しかし彼女の精神は体へと戻っていかない。
神の顔が、徐々に険しくなっていく。
「貴方、戻りたいと願っていますか?」
「願っています!!」
日菜子はイライラした様子で頭を掻き、眉間に皺を寄せて念じた。
しかし、どんなに気合を入れて唸り声を上げながら念じても戻れない。
「……おかしいですねぇ。普通は簡単に戻れるのですが」
日菜子は深い溜息を吐いた。
「私、なんで戻れないのかしら」
今度は、神が深い溜息を吐いた。
「困りましたね。倒れている貴方を発見してくれる人はいますか?」
「朝になればアシスタントさんが来る予定ですが」
神は、日菜子の体を抱き上げるとベッドに寝かせた。
「まぁ、いいでしょう。体のほうは発見者から保護してもらいましょう」
そのベッド近くの壁には、先程、日菜子が時間を確認した電波時計が掛かっている。
どうやら電波が受信出来なくなっているらしく、針がグルグルと回り続けていた。
(あぁ、電池を交換しなくちゃ……)
と。時計を眺めていた日菜子の視界が一瞬にして変わった。
日菜子は、自分が住むマンションの前にいた。
「あれ?」
「こちらへ来て下さい!僕から離れてはいけません!」
神の声が下から聞こえた。日菜子は自分自身のおかれている状況に気づいて、声にならない悲鳴を上げた。
空中をフワフワと浮いていたのだ。水中を泳ぐような動作で、日菜子は神の元へと近づいた。
「瞬間移動で貴方の部屋から出てきました。でも、ここからは歩いて帰りますよ」
「え?帰るって何処にですか?」
「僕の家に帰るのですよ。貴方も一緒に来てください。そのままフラフラさせておくわけにはいきませんから」
神の唐突な申し出に日菜子は非難めいた声を上げた。
「は?か、神様の家?それって何処にあるんですか?」
「僕の家は貴方が住むマンションから徒歩10分程ですから御心配なく。歩いて帰れますよ」
勿論、日菜子が心配しているのは神の家と自分の家が徒歩圏内かどうかではない。
人間が住む世界なのかどうかを案じているのだ。
「連れて帰ってどうするつもりですか?私、生きているんでしょう?」
「はい、生きていますよ。だから面倒なのです」
神の手が、精神だけとなっている日菜子の体を貫いた。
グニャリと軟体動物のように弄ばれる自分自身の体を見て、日菜子は驚き叫んだ。
「や、止めてください!!」
「やはり精神だけだと不便でしょうから体を一つ作りましょう。大丈夫ですよ、精神が本体に戻る時には、こちらの体は消しますから」
神からの説明後、日菜子は急に重力を感じてよろけた。
「失礼、靴を履いていませんでしたね」
神は、日菜子を抱き上げた。
お姫様抱っこをされて、一瞬、日菜子は顔を赤くしたが、直ぐに平常心を取り戻した。
密着した神の体は氷のように冷たかったのだ。
神は周囲を見回した後、近くのビルを見上げた。ビルの屋上には可愛らしいトップアイドルの看板が飾られていた。この夏に発売された口紅の広告用看板だ。
「同じ顔の人間が二人いたら面倒ですからね。あの看板の女性に少々似せておきましょう。これで別人に見えます」
「……別人?」
木砂 日菜子が二人になったのだ。
一人は部屋で意識を失って眠り、もう一人は神に抱き上げられている。
自分の姿を確認しようと、日菜子は鏡代わりになるものを見回した。
歩道脇に建つビルの大きな窓に映っていることに気づき、自分自身を見た。
そこには、丁寧に作られた人形のように可愛らしい女の子が居た。
黒目勝ちな目と長い睫毛、ふっくらした唇、黒いロングヘアがサラサラ揺れていた。
「これが私……?」
アイドルの要素が加わると、こんなにも可愛らしい容姿になるものなのかと驚いた。
日菜子は自分の容姿にコンプレックスを抱いていた。
倒れている自分自身を眺めた時、非日常的な状況を驚いたと同時に、客観的な視点から見た時の自分の醜さに辟易したのも事実だ。
「さ、行きますよ」
神は、日菜子を抱き上げたまま歩きだした。
「……聞いてもいいですか?」
「どうぞ、なんなりと」
「貴方、神様に見えないです。神様って古代人みたいな恰好してないんですか?」
「あぁ成程。日菜子さんが想像する神と姿が違うのですね」
神が苦笑した。
「そんな時代錯誤な恰好はしませんよ。神は人間に混ざって生活していますからね。その時代に見合った服装をするように心がけています。日本武尊のコスプレみたいな格好で電車に乗ったら注目されて面倒くさいでしょう」
「で、電車?」
「ええ。僕は関東担当ですので移動は電車が都合好いです。車を支給してもらうことも出来るのですが、渋滞すると面倒ですし」
「はぁ……関東担当……」
神の話は意外性の連続で、日菜子は興味津々で質問を続けてしまう。
「でも、さっきは瞬間移動しませんでしたか?そんな力があるなら電車など乗らなくても……」
そして神は期待に答えるようペラペラと話し続ける。
「もちろん神ですし瞬間移動くらい出来ますけどね。瞬間移動って楽そうだと思うでしょう?ところがどっこい。普通に歩くよりも体力を消耗するのです。だから緊急時以外は使いたくありません。ああ、今回は日菜子さんの部屋から出るのには使いましたけどね。昨今の警備会社のセキュリティは面倒くさいですから。玄関を通るよりも瞬間移動のほうが簡単だったのです」
「突然、外に出たので驚きました」
「それは失礼致しました」
神は彼女を見て微笑んでから話を続けた。
「移動方法で一番楽なのは空を飛ぶことなのですが、基本的には電車か徒歩ですね。だって僕が飛んでいるときに人間が空を見上げてしまえば大ニュースになっちゃうじゃないですか。地上から発見されないよう高く飛んでも飛行機に発見されるかもしれませんし。そんなことになると面倒なので電車や徒歩のほうが良いのです。まぁでも、緊急時には飛んだりもしますけどね」
「じゃあ緊急時に見つかったらどうするんですか?」
神からの説明を聞きながら、日菜子が感じた印象は二つあった。一つは、神とは随分と面倒くさがりな生き物だ。そしてもう一つ、神とは饒舌だ。
「その辺は、後から記憶操作が出来ますから大丈夫ですよ。僕って万能ですから。でもね、大勢の人間の記憶を操作するなんて面倒くさい作業なのですよ」
話しながら歩くうち、二人は大きな建物へと近づいていた。
「神様は此処に住んでいるのですか?」
「はい。此処の最上階です」
日菜子は、この建物を知っていた。
自宅としている古ぼけたマンションの窓から、いつか住みたいと眺めていた新築の高層マンションだ。
いや、彼女だけではない。
近隣住人なら誰もが自分の部屋の窓から羨望と嫉妬の眼差しで、そびえ立つ高級マンションを眺めているだろう。
「最近引っ越して来たのですよ。このマンションはホテル型なので、様々なサービスが受けられて楽なのです」
「……このマンションって家賃高くないですか?」
「人間の世界で言う通貨ですね。高いと思いますよ。でも家賃や生活費は必要経費として全額支給してもらえますので。その辺は神ですから。何とでもなりますね」
やはり神とは凄いものだと日菜子は感心した。
正しく神業と言うべきか、此処の最上階で暮らすお金を簡単に手に入れるのだから。
しかし神の世話になるなら此処に住めるのだ。
一夜のうちに可愛らしい容姿に続いて、憧れの住処まで手に入れた。
日菜子は、今日は自分にとって最高の日ではないかと思い始めた。
「呼び方なのですが、神様ではなく人間の名前で呼んでもらえますか?例えば一緒にコンビニなどへ出かけた時に神様と呼ばれていては不自然でしょうから」
「はぁ。では何と呼んだらいいですか?」
「地上で名前が必要な時は“神山太郎”と名乗っています。……そうですねぇ、太郎君とでも呼んでください」
「太郎君ですか……」
神は、慈悲深い表情で微笑んだ。
「もっとも、僕はコンビニなど滅多に利用しませんがね」
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