第4話

「……ヨモツカミ?」


 日菜子の復唱に神は頷く。


「ええ。僕は黄泉神(ヨモツカミ)です。黄泉への道案内をしています。日菜子さんに分かりやすく言うなら、西洋の死神が近いでしょうか」


 神の言葉に、日菜子は息を飲む。


「人間が想像する死神とは違うのですけどね。僕の仕事は道案内専門ですから」


 告げた後、神は慈悲深い笑顔を見せた。

 日菜子は神との約束を破ることで変化を起こそうと望んでいた。

 その願いは叶ってしまったのだ。


 神は、再び外出せねばならないことを日菜子に告げた。


「僕は日菜子さんを襲った彷徨う者達を然るべき所へ案内せねばなりません。日菜子さん、僕が出掛ける前に入浴を済ませてください」


「入浴?……何故ですか?」


 神の外出と自分の入浴に繋がりがあるのか?疑問を感じ質問を投げかけたが、神の視線は再び窓の外の闇に移っていて質問には答えてくれなかった。


 今日は既に神を怒らせており、やましい気持ちを抱えている日菜子は質問を繰り返すことをためらった。

 ただ入浴する時間帯を決められただけだ。従えばいいと。

 釈然としない気持ちはあったが浴室へと向かった。


 もしや入浴中に何らかの事件が起きるのでは?などと疑心暗鬼になりながら浴槽に浸かる。

 緊張感を孕んだ入浴はリラックスタイムと呼ぶには程遠かった。


 そんな入浴を済ませた後、日菜子は脱衣室のドアを少しだけ開けて神の様子を覗き見た。


 この部屋の造りはキッチン、ダイニング、リビングとワンフロアになっており、寝室以外は一目で見渡せる。

 神は、先程と変わらぬ姿勢でソファに座ったまま窓の外を眺めていた。日菜子は、神の視線の先を見たが窓の外になど何も有りはしない。

 だが神は何かを見ている。


 日菜子は外出先での恐怖体験を思い出して身震いして、神に声を掛けた。


「太郎君……あの、窓の外に何か……?」


「入浴は終わりましたか。寝間着に着替え終わりましたね」


 その言葉と同時に、日菜子は左手首に違和感を覚えた。

 見ると、羽毛のように柔らかではあるが、金色の細い鎖が巻きついていた。

 その鎖は長く伸びていて、リビングテーブルの足に繋がっていた。


「なっ……なんですか、これ」


 日菜子が予測していた“何らかの事件”が起きたのだ。


「これを付けると服を着替えることが出来ませんので入浴を済ませてもらいました。少々煩わしいかもしれませんが我慢して下さい。また外出されると困りますので」


 神はソファから立ち上がり、日菜子へと近づく。


「もう怖い思いは沢山です!こんなことしなくても外出しません!」


 鎖を右手で引っ張ってみたが、見た目は弱々しい細い鎖なのに千切れない。

 鎖を千切ろうとする日菜子の頭を撫でてから、神は言葉を続けた。


「千切れやしませんよ。その鎖は室内であれば何処までも伸びますからトイレでも寝室でも御自由にどうぞ。でも部屋の外へは出られませんからね」


「はずして下さい!!」


「駄目です、日菜子さんは嘘つきですからね。では行って参ります」


 神は、日菜子の目の前から一瞬で消えた。

 玄関から出て行かず、今回は瞬間移動で出て行ったのだ。

 彼女は抗議する相手を失った。


 神の姿を探そうと、窓の外に目を向けて驚く。

 そこに広がるのは一面の闇などではなく毎夜見ている街並みの灯りが美しい夜景であった。




 神が出掛けた後、日菜子はリビングテーブルの前に苺型の座布団を置いて座った。

 こんな少女趣味な座布団など神の部屋にあるはずもなく、日菜子がネットで購入したのだ。

 ノートパソコンを立ち上げてインターネットを始める。

 神が外出前に施した細い金色の鎖は、キーボードを叩く日菜子の左手に合わせてシャラシャラと音を立てた。


 検索キーワードは“ヨモツカミ”


 だが、日菜子は検索結果で出てきたサイトを開くことを止めた。

 このような方法で調べたところで何になるのか。

 所詮、人間達が造り上げた黄泉神の姿が見えてくるだけだ。


 ネットの情報など必要ない。

 一緒に生活している神山太郎の行動が黄泉神の全てだ。


 日菜子は左手を持ち上げ、神に施された拘束の鎖を揺らした。

 金色の細い鎖は室内の照明に反射してキラキラと光った。

 鎖に不快感はあるが、此処に居て良いのだと告げる神からの免罪符でもある。

 黄泉神とは自分のように彷徨う人間を保護してくれる存在なのだと、日菜子は結論付けた。


 日菜子は立ち上がり、リビング隅に設置されている保冷庫へと向かう。

 良く冷えたアイスティのペットボトルを取り出し、三人掛けのソファに寝そべった。

 鎖は、日菜子の後ろをシャラシャラと音を立てながら付いてくる。

 アイスティを数口飲んでから、日菜子は今日の出来事を思い出す。

“黄泉神”のインパクトが強すぎて記憶から薄れかけていたが、もう一つ、神は日菜子に対して重要な発言をしていたのだ。


 ――僕の傍に居てください。


 こちらも聞き逃すことの出来ない言葉だ。

 普通なら、自分に好意があると解釈してもいいほどの言葉だろう。


 だが日菜子は神の言葉を素直に受け取れない。

 誰だって、可愛い女の子が好きだ。

 醜い女の子に傍に居てほしいなんて希望するはずがない。

 これは幼い頃から容姿を罵られることが多かった日菜子ならではの悲観的推測だ。

 

 そして、日菜子は気付く。

 自分自身の中に産まれてきている感情は、神の言葉を希望的に受け取りたいのだと。


 本心は希望を持ちたいのだ。

 だが今までの経験が、希望を持たずに打ち消すことが保身になると教えてくる。

 僕の傍に居てください。

 はい、喜んで。と言えたなら……。

 

 日菜子はソファから飛び起き、アイスティをゴクゴクと飲んだ。

 あの言葉は、保護してあげるから傍に居なさいが真意だ。

 神と自分の関係は保護する者とされる者だ。

 日菜子は結論付けてから、再びソファに寝そべった。


 希望を打ち砕かれたときに傷つくのは嫌だ。

 彼女は希望を妄想した数秒後には絶望を妄想する。

 それが癖となっていた。


 寝そべっていた体を起こし、キッチンの壁に掛かっている時計を確認すると深夜十二時を過ぎていた。

 日菜子は眠気を感じたが、神が帰宅するまでは眠る気分にはなれなかった。

 再びパソコンの前に座り、眠気覚ましにインターネットを始める。

 近所にあるネイルサロンのサイトを開き、可愛らしいネイルを眺めて時間を潰した。

 眠気が限界に達しウトウトし始めた頃、ガチャリと鍵の音がした。

 神は、瞬間移動などせずに玄関から入ってきた。


「ただいま、日菜子さん。まだ起きていたのですか」


 日菜子は「お帰りなさい」と呟いた後、大きな欠伸をした。その様子に、神は少し笑った。

 日菜子が左手首に違和感を覚えると、いつの間にか鎖が消えていた。

 神は、ソファに体を投げ出すように座った。


「今日は疲れました……久しぶりに眠りたいです。ベッドを使っても良いですか?」


 いつも神は眠らないので、寝室のベッドは日菜子が占領していた。

 眠りたくなるほどに疲れさせてしまったことを日菜子は謝った。


「はい。あの、ごめんなさい。私のせいですね……」


「日菜子さんのせいではありませんよ。道に迷う者を発見したら連れて行くのは僕の仕事ですから」


 神はジャケットを脱いでネクタイを外すと、ソファから立ち上がり、日菜子の隣に座った。


「何を見ていたのですか?ネイルアート?……あぁ、爪に絵を描くのですね」


「はい、可愛いので眺めていました」


 神の冷たい手が、キーボードを打つ日菜子の手に重なる。


「この店は近所にあるのですね。明日にでも行ってみましょうか」


 神の指が、日菜子の指に絡みついた。


「日菜子さんの手は小さいですね。可愛らしい装飾が良く似合いそうです」


 再び、日菜子が大きな欠伸をした。そして神が笑う。


「僕が黄泉神であると知っても怖くありませんか?」


「太郎君は太郎君ですから……怖くありません……」


「とても人間的な考え方で感心します」




 翌朝。目覚めた日菜子の視界に飛び込んできたのは神の寝顔だった。

 突然の事態に慌てて飛び起きそうになったが、隣人の眠りを妨げてはならないと思い留まった。

 

 高級マンション備え付けの上質な肌触りの良い寝具の中、日菜子は昨夜の会話を思い返す。

 神は、今日は疲れたからベッドを使いたいと言っていた。

 日菜子は、それは住人である神がベッドを使いたいから居候はソファで眠れとの意味だと解釈した。


 そうだ。覚えている。自分はソファで眠った。

 ソファに寝そべってタオルケットを掛けて眠ったはずだ。

 その後、神がベッドに運んでくれたのだろうか。


 二人で眠るには十分な広さのキングサイズではあるが、まさか一緒に眠ることになるとは思っていなかった。

 とは言え、相手は人間ではない。神様だ。

 一緒のベッドで眠ったところで何の間違いも起きないだろう。

 そのことに気づくと、日菜子の心は幾分か冷静さを取り戻した。


 息をしてないのかと思うほど静かに眠る隣人を眺める。

 この寝顔を、ずっと見ていたい。

 こんなことを思う、自分の中に有る特別な気持ちに戸惑いを覚えた。

 ぼんやりと神の寝顔を眺めていると、神の瞼が動いた。

 日菜子は慌てて目を閉じて眠っている振りをした。


 日菜子の体に冷気が掛かる。神が至近距離に近づいているのだろう。

 日菜子の心臓は爆発しそうなほど激しく鼓動した。

 そして眠っている振りをしたことを後悔した。

 非常に近い距離で神の気配を感じて緊張するが寝息の演技を続ける。

 時間にすれば数秒のことだろうが永遠のように長く感じた。

 

 ようやく神がベッドから出て行く気配がした。

 寝室のドアが閉まる音がした後、日菜子は目を開けた。


 ベッドに横たわったまま日菜子は考える。

 今の行為は何だったのだろうか。

 神として人間である自分を観察したのだろうか。

 それとも神からの慈愛に満ちた行為だろうか。


 それとも……何か特別な……。

 ここまで考えて、日菜子は何かを否定するように頭を横に振った。

 期待などしてはいけない。

 自分の本当の姿を知っている神が特別な気持ちなど持ってくれるはずがない。




 昨夜の約束通り、神は日菜子をネイルサロンへと連れて行った。

 店内は若い客が多く、今が夏休みであることを気付かせる。

 初めての来店である日菜子は会員カードを作るように促されたのだが、住所を暗記しておらず、戸惑う日菜子の代わりに神が書き込んだ。

 神が高級マンションの最上階の部屋番号を書きこむと、店員の目つきが変わった。

 この美しい男女は、選ばれた者しか住めないような場所に住んでいるのだと。

 日菜子が着ている上質なシルク素材のワンピースは繊細なフリルやラインストーンで飾られており、富裕層であることを裏付けた。


 施行を待つ少女達の脇を通り抜け、神と日菜子は個室ブースへと案内された。

 通された室内は柔らかい照明で照らされ、心地よい音楽が流れていた。


 日菜子は豪華なリクライニングシートに腰掛けるように促される。

 品の良さそうなネイリストは、巧みな話術で日菜子の好みを聞きだす。

 日菜子が、恐らくは退屈しているだろう神を探すと、部屋の片隅にあるソファに腰掛けていた。

 神は本棚に置かれていた雑誌ではなく、室内に飾られていた洋雑誌を読んでいた。

 インテリアの為に置かれていたアメリカ版の経済誌で日付は古かったが、少女向けのファッション雑誌よりはマシだったのであろう。


 ネイリストが日菜子の施行を始めた。

 日菜子が退屈しないよう、ネイリストは手を動かしながら口も動かす。


「あちらは旦那様ですか?」


「えっ……ええ。これから結婚するんです」


 日菜子は咄嗟に、先日のドッグランでの神の言葉を真似した。

 ネイリストは日菜子の羨ましい環境を絶賛した。

 裕福で見目好い未来の旦那様を持つのは同性としては妬ましく、だが、日菜子は選ばれて当然の容姿をしていると。


 その言葉に日菜子は心苦しさを覚えた。

 全ては偽りなのだ。

 神は未来の旦那様などではなく一時的な保護者。

 日菜子の姿は一時的な借り物。


 緩やかな時間が流れ、施行は終了した。

 ネイリストは、未来の旦那様である神を呼んだ。


「どうぞ御覧になってください。奥様は可愛らしい手をしていらっしゃるので、ネイルが映えますわ」


 神が近づいてくると、日菜子は立ちあがって両手を差しだした。

 その小さな手を神の冷たい手が受け取る。

 日菜子の小さい爪は白く塗られ、シルバーのパールストーンが上品に飾られていた。


「とても可愛らしいですね。ありがとうございます」


 神は、ネイリストに礼を言った。




 ネイルサロンからの帰り道。

 いつものように手を繋いで歩く。

 日菜子は少し悲しそうな表情をしていた。

 神は、その少しの変化を見逃さない。


「どうかしましたか、日菜子さん?」


「あ、いえ……少し疲れただけです」


 日菜子は、先程のネイルサロンでの特別な待遇を思い出していた。

 本当の自分であれば、普通に並んでいた少女達と同じ扱いで当然なのに。


 いや。それ以下の扱いだったかもしれない。

 醜く可愛いモノなど全然似合わない容姿の自分に、ネイルアートなど分不相応であるといった軽蔑の眼差しを向けられたかもしれない。


 もちろん客なのだから施行はしてくれるだろう。

 しかし先程のように親身になって可愛いモノを選んでくれたりせず、お前など何を付けても同じだと、何を飾ろうか選ぶなど時間の無駄だと適当にあしらわれただろう。


 店員だって人間なのだ。

 可愛らしい子は、より可愛らしくしてあげたいと思って当然だ。

 逆も然り。醜い子には何をするにも時間の無駄だと思えてしまう。

 そして自分は後者だ。


「私、なんで元の体に戻れないんでしょうか」


「戻りたいのですか?今の生活に不満がありますか?」


 日菜子は慌てて首を横に振った。


「いいえ!不満などありません。不自由のない暮らしに感謝しています」


 不満など有るはずが無い。

 憧れの容姿と憧れの住処を手に入れたのだから。

 だからこそ元に戻れないことに落ち込むのだ。

 この特権を捨てたくなくて、自分自身が無意識にブレーキを掛けているのだろうか。

 もしそうなら自分と言う人間の心根は何とも卑しいモノだと。

 元に戻れない理由を考え出すと自己嫌悪に陥るのだ。


 いっその事、神と離れたくないと思う恋心が原因のほうが美しいだろう。

 その閃きは自分の中に芽生えている分不相応な感情に気付かせる。


「太郎君……いえ、神様が保護してくれるのは義務だからですか?」


「保護したのは義務です、肉体と精神が分離した人間を保護するのは黄泉神としての仕事ですから」


 あっさりと仕事だからと言い切られた。

 やはり何かを期待することは間違いなのだと日菜子は落胆した。

 神の言葉は続いた。


「確かに黄泉神としての仕事ではありますが、ここまで親身になって保護するのは義務ではありませんけどね」


「義務ではないんですか……では何故……」


 日菜子は、少しの期待に頬を高揚させた。


「日菜子さんが僕に奉げられた生贄だからです」


「……は?」


 日菜子は言葉を詰まらせた。それは彼女の想像の域を超えた答えだった。

 そして思う。やはり希望など持つべきではない。

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