第17話

 日菜子は、神山太郎と生贄についてメモしたページをノートから切り取った。そして次のページには神の書きこんだ言葉が残っている。


 ――貴方を迎えに行く黄泉神は僕です。そして必ず生贄にいただきます。


「あっ!!」と日菜子は叫んだ後、仕事机の置いてあるスペースへと駆けた。日菜子の部屋はオフィス向けワンフロアを簡易なパーテーションで仕切ってある。ベッドが置いてある寝室スペースからリビングを抜けて仕事机へと急ぐ。


 机の引き出しを開けて数冊のノートが片づけてある場所を確認する。子供の頃からの妄想を書き貯めたノートだ。神はノートを開いただろうか。机の上に開いてあっただろう現在使用中のノートだけしか見ていないと良いのだが。


 ノートの配置は日菜子が片づけた状態と同じように見える。多分、大丈夫とは思うが相手は神だ。日菜子は不安になる。

 神の祠を舞台とした妄想を書いたノートを取り出す。そこには昨夜のメモ書きが残っている。


 1、息を詰まらせて体から精神が抜け出た後の数週間、どうして元の体に戻ることが出来なかったのか。

 2、神は私の虜となり二度と離れることが出来ない。これは花火大会の夜に願った身勝手な妄想。果たしてこの妄想は無効なのか有効なのか。

 無効だから神は消えたのか。有効だから神の近距離に匿われたのか。

 3、何故、神は日菜子の記憶を消すことが出来ないのか。神からの仕返しが途中だからだろうか。


 1番は夢の中で神から答えを聞いた。2番は有効なのだろう。この妄想の呪縛が解けないから、神は日菜子から離れられない。

 3番は疑問のままだ。仕返しは途中かもしれない。


 日菜子はメモ書き部分を切り取って細かく破いた。2番のことは神に知られない方が良い。気付かれたら、また神は己の運命は妄想に捕らわれていると嘆くだろう。

 だが、自分如き人間が神を相手に隠し通せるのだろうかと思うと恐怖に駆られる。

 心の中に収めておくべきことを、どうして書いてしまったのか。日菜子は安易で愚かな行動を悔やんだ。






 マンション内の中庭に併設されたオープンカフェは花壇とガーデンピックで飾られていて可愛らしい。差し込む太陽光が健康的でマンション住人が憩う気持ちの良いスペースとなっている。


 日菜子にとってカフェはお洒落過ぎる空間で、仕事にくたびれた顔の漫画家が腰掛けるのは不似合いかと利用していなかった。だが連載中の締切や新作のネーム作りに追われて数日に渡り健康的な食事が出来ず、助けを求める様にランチを食べに来た。


 日菜子は腰掛けると直ぐに鞄からタブレットを取り出す。少々の時間も勿体無いのだ。現在は連載の他に増刊号用の長編読切を抱えていた。

 神が訪ねて来た日のうちに担当編集者へ新作を描きたい旨を電話した。結果、希望していたファンタジーが描けることになった。これにより神との関係がどう変化をしていくのかは分からない。だが取りあえずは神が残してくれた言葉に従い、積極的に作品を生みだしていこうと思っていた。


 日菜子のテーブルにウエイターが水を運んできた。


「おや、御姫様。お久しぶりです」


 ウエイターの言葉に日菜子は驚いて見上げた。聞き間違えたのだろうと思った。だが視線が合うと聞き間違いではないと気付く。

 ウエイターの目は日菜子が神から借りていた可愛らしい姿の頃に向けて来ていた物と何も変わっていなかった。


「最近、姫は最上階の御部屋で暮らしてない御様子ですよね?」


「えっ……あの……はあ……」


 日菜子の頭には幾つもの謎が浮かんできて返答が遅れてしまう。朝食を運んでもらっていた頃と姿が変わっているのに認識できるのは何故か。神の部屋で暮らしていないことを知っているのは何故か。

 ウエイターは日菜子の隣に腰掛けた。


「御主人とは別の御部屋を借りられた御様子でしたので……個人的なことを聞いてしまって申し訳ありません。どうか察して下さい」


 会話から日菜子は想像を巡らす。どうやらウエイターは日菜子のことを認識出来ているようだ。そして最上階の部屋を出て仕事部屋で暮らしていることを知っているのだ。察してくれとは何を察するべきなのか。


「日菜子さん」


 不意に呼び掛けられて日菜子はビクついた。テーブルを挟んで直ぐ近く、いつの間にか神が立っていた。

 ウエイターが椅子から立ち上がる。日菜子は客観的に現状を見回した。イケメン二人が自分の周りに立っているような絵面だ。これがドラマや映画に出ているような美少女なら絵になるかもしれない。だが自分はジャージにパーカーを羽織った姿の、仕事にくたびれた顔をしている漫画家だ。日菜子のお腹が鳴る。だって空腹に耐えきれずランチを食べに来たのだ。


「すみません。ランチ一つお願いします」






 ランチを頬張る日菜子の前に神が腰掛けている。神の前には炭酸水が置かれていた。日菜子は先程の疑問を神に質問をした。


「ウエイターさんは今の私を見ても“姫”って呼びました。太郎君から借りていた体の頃と今とは姿形が全然違うのに同一人物として認識出来ている様子なんですが……」


「実際、どちらも日菜子さんで同一人物だから不思議は無いでしょう。彼の記憶の中ではどちらも日菜子さんなのですよ」


「それにしても、この容姿でジャージを着ているのに“姫”って変ですよね」


 神は答えずに炭酸水を口にした後、店内で働くウエイターを眺めながら呟いた。


「可哀想ですが仕方ありませんね。彼には諦めてもらいます」


「彼ってのはウエイターさんですか?何を諦めるんですか?」


 神の視線が日菜子へと戻る。


「貴方のことをですよ。僕の生贄に好意を持たれても困りますからね」


 神の言葉に日菜子は驚く。せっせとピラフを口に運んでいたスプーンが止まった。


「好意?まさか!こんな私を……」


「だって先程の彼の様子で分かるでしょう。日菜子さんは容姿がコンプレックスになっていますから仕方ないのでしょうけど、少々容姿を気にし過ぎなのです」


 日菜子の持つスプーンが再び動き出してピラフを運ぶ。食べながらウエイターを見た。誰もが振り返るような長身でスタイルの良いイケメンだ。

 もしも彼の記憶が混乱しているのであれば、今の日菜子でも可愛い容姿の方で見えてしまうのだろうか。日菜子は何となく申し訳ない気分になった。


「ウエイターさんは記憶が混乱しているんですよ。記憶を直してあげたらどうですか?」


「嫌ですよ。人の記憶を操作するなんて面倒くさい作業はしたくありません。むしろ日菜子さんの容姿が途中で変わったと認識される方が不味いでしょう。今のままの方が都合良いじゃないですか」


 日菜子は思い出した。この神様は面倒臭がり屋なのだ。初めて神が姿を現した夜にも言っていた。記憶操作は面倒臭いと。

 もう一つ。日菜子は疑問に思っていたことを訪ねた。


「いまだに私の記憶を消さないのは何故ですか?やはり記憶操作が面倒くさいからですか?」


「違いますよ!前にも説明したじゃないですか。僕は貴方の記憶を消すことが出来ません。だから見張る為に憑いています。忘れないで下さい」


 珍しく神の口調が少々怒った感じになり、日菜子は怯んだ。だが花壇の花が視界に入ると自分側にも怒るべき件があったことに気付く。お花見の日に起きたことを思い出したのだ。


「太郎君は普通に此処に居ますけど、私を恨んでいるんじゃないんですか?……御花見の置き去りの件ですけど……タクシー代、結構掛かったんですよ!」


「あの地は僕が眠る場所ですからね。神とは怒ったり祟ったりするものです」


「私のこと仕返ししたい程に恨んでいるんですよね」


「はい。ですが貴方は僕の生贄ですから離しませんよ」



 ――神は私の虜となり二度と離れることが出来ない。



 日菜子は神の傍に居たい一心で身勝手な妄想をした。それは何があろうとも神は離れない呪いともなっている。

 いつも優しい神であるならば良い。だが時には恨み事を仕返ししてくる。日菜子の中に後悔が生まれる。自分自身を縛り付ける妄想をしてしまったのだと。


 神の時間とは電波を受信しようとする電波時計の様にグルグルと回り続けている。日菜子の妄想や描く漫画によって何か変わるかもしれないし、村の地主神について誰かが妄想をしてしまえば影響を受けるかもしれない。

 既に祠が廃されたとしても地主神について伝承された民話などが村に残っているだろう。誰が妄想するか見当つかない事だ。


「ずっと一緒に居る生贄です。とてもとても長い時間、これから日菜子さんは僕と過ごすことになるのです。だから僕を理解してもらいたい。僕は穏やかで優しい神であると妄想されたから大きく祟ることが出来ない。でも神です。時には怒ることも祟ることもあります」


「はい……」


 日菜子が呟くと神は慈悲深い笑みを浮かべた。


「ずっと一緒ですよ、日菜子さん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神と彼女の関係 あいす @iceice

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ