第16話

 日菜子は転寝から起きた。ノートに粗筋を書いているうちに机に伏すように眠ってしまっていた。

 時間を確認するため、机の上に置いてある電波時計に目をやると針がグルグルと回っていた。電池が少なくなっているのだろうと手を伸ばして違和感を覚える。

 サラリと長い髪が揺れる。時計のガラス面に映る自分は神から借りていた可愛らしい容姿に戻っていた。


 ハッとして日菜子は目覚めた。きちんと寝間着に着替えてベッドに横になった状態で起きた。

 どうやら目を覚ます夢を見ていたらしい。そして夢の内容を思い出して情けない気分になる。自分は神から借りた可愛らしい容姿に未練があるのだろうかと。そんなことを望んだところで無駄なのに。容姿など変わるわけがない。


 日菜子は昨夜の記憶を辿るうち不自然さに気付く。寝間着になど着替えた記憶が無い。だって机で作業をしていたはずだ。


「転寝をすると風邪をひきますよ」


 優しく穏やかな声が聞こえた。日菜子はベッドから体を起こす。声の方を見ると神が立っていた。


「お早うございます。日菜子さん」


「……お早うございます」


 日菜子は時間を確認しようとサイドテーブルの電波時計に目を向ける。針はグルグルと回っており時間を確認することは出来なかった。

 視線を神へと移す。目が合うと神は慈悲深い笑顔を見せる。


 以前の日菜子なら、この笑顔を嬉しく思っていただろう。だが今は知っている。この笑顔は特別ではないのだ。

 神とは人間達に慈悲深い笑顔を見せる。それは憎いと思っている人間にすら向けられるのだ。

 今夜だって転寝していたから風邪をひかないようにとベッドに寝かせてくれたのだろう。神は優しい。


「太郎君。何か御用ですか」


 日菜子は努めて冷静に対応をする。ゆっくりとベッドから抜け出して立ち上がる。御客様に御茶でも思うが、神は水しか飲まないことを思い出す。


「はい。一つ種明かしをと思いまして」


 神は日菜子に近付く。神の体から発する冷気を浴びるほど近づかれて日菜子は後ずさる。神は慈悲深く微笑んだ後、日菜子に語りかけた。


「妄想は曖昧です。他の妄想の影響を受ければ簡単に変化して行ってしまう。でも人間が現実と捉える時間の中で起きる出来事は変化しません。だから僕は安心したのです。これが花火大会の夜、日菜子さんが元の体に戻ることが出来た理由です」


 まるで謎解きをさせるかのような神の口振りに日菜子は首を傾げた。神の冷たい指先が日菜子の頬を撫でる。


「日菜子さんが元の体に戻れなかった理由は、僕の我が儘が原因だったと思うのです。妄想による出来事は容易に変化しやすい。もし日菜子さんを生贄に貰えなくなったらどうしようかと脅えていました。ですが日菜子さんの曾御婆様と僕は現実の中で出逢っていたと聞いて安心したのです。現実ならば変化しないと」


「曾祖母が七つの夏祭りに若い男の神様を見掛けたという御話ですか?」


「はい」


「でも太郎君を神様と認識している人の妄想以外は影響を受けないって言ってたじゃないですか。やはり影響を受ける場合もあるんですか?」


「ですから日菜子さんが生贄にならない物語を妄想すれば影響を受けるのではと心配していたのです」


「私が?太郎君の生贄にならない妄想を……」


 日菜子は昨夜に仕上げた粗筋を思い出す。神が話しているのは花火大会を一緒に見た頃の事だ。現在ではない。

 だが今日訪ねて来たことに意味が無い筈はないだろうと日菜子は嫌な予感を覚える。

 神は日菜子の表情の変化など気に掛けない様子で話を続けていた。


「でも現実に起きたことであれば変化しません。日菜子さんは絶対に生贄のままです。だから日菜子さんを手放しても大丈夫だろうと安心しました」


「私を手放しても良いと思って……そして私は元の体に戻れたわけですか」


「はい。僕にも正解は分かりません。ですが貴方を手放す恐怖に勝てたと自覚した時でしたから間違いないでしょう」


 神は再び日菜子の頬に触れながら呟く。


「ですから」


 神の言葉が途切れ、少し間が空くことで日菜子は脅えの表情を強くする。


「貴方が僕の生贄であることは絶対に変わりません」


「憎い私を生贄に貰うなんて嫌じゃないんですか?」


「憎いのではありません。恨んでいるのです。僕は神ですから御心配なく。日菜子さんは僕が地主神として慈しむ最後の生贄です。今の僕の仕事では生贄など捧げてもらえませんのでね」


 神は日菜子に背を向けて仕事机の有るスペースへと歩く。日菜子は後ろを着いて行く。神は日菜子が書き上げたノートを手に取りパラパラと捲った。日菜子が感じたとおり、やはり今日の訪問は偶然などではない。


「日菜子さん、積極的に作品を生みだして活躍して下さい。黄泉神の僕が応援しても何の効果もありませんが応援していますよ」


「……ありがとうございます」


 日菜子は何と返答すべきか悩んだ挙句、当たり前の言葉で返した。神はノートを日菜子へと手渡して慈悲深く微笑む。


「日菜子さんを恨んでいますよ。貴方は僕を優しくて穏やかな神として妄想します。だから僕は神として大きく暴れることを許されません。人間達の行いが腹立たしくとも僕は自己犠牲とは尊いと思わねばならない。村を救った時も、地主神として祀られた時も、黄泉神となった今も……悔しくて恨んでいます。でも貴方に憎しみはありません」


「穏やかな神……」


「はい。でも荒ぶる神にならなかったことは、むしろ日菜子さんに感謝すべきことなのでしょうね」






 日菜子はベッドで目を覚ました。


「夢……?」


 呟いてからサイドテーブルに置いてある電波時計を見た。針は十時を指している。回転はしていなかった。


 机の上に置いてあったはずのノートがサイドテーブルに置かれてある。確かに神との会話は夢ではない。ボンヤリした頭で夢の内容を復唱する。神はとても大切なことを言っていた。忘れてはならないことだ。


 花火大会の夜、日菜子が元の体に戻れた謎解きについて神は語っていた。

 日菜子が元の体に戻れなかった理由は、やはり神にあった。生贄である日菜子を手放した後、もしも生贄に貰えなくなるような事態になったらどうしようかとの不安が邪魔をしていたのだ。積年の恨みが生み出した邪念ではない。


 曾祖母にとって神の存在は妄想ではなく現実。ならば曾孫を生贄に捧げたことも現実。人間が現実として認識して起きた出来事は妄想の影響を受けて変化したりしない。結果、神は安心したから日菜子は元の体に戻ることが出来た。


 日菜子は深い溜息を吐いた。神と再会したら御花見の後に置き去りにされたことについて文句を言うつもりだったのに夢で出てくるとは何としたことか。


 ノートを見ると、折り畳まれて端が飛び出したページがあることに気付く。開くと神が書いたと思われる一文があった。


 ――貴方を迎えに行く黄泉神は僕です。そして必ず生贄にいただきます。


 日菜子は悩む。仕返ししたい程、恨んでいるのに生贄に貰うことに固執する。生贄として貰ってしまった為に仕方なくではなく、生贄を欲しがっているのだ。人間の感覚では理解出来ない。


 日菜子として思い付く事は一つ。花火大会の夜に自分自身が妄想したことだ。

 

 ――神は私の虜となり二度と離れることが出来ない。


 花火大会の夜に願った身勝手な妄想。この妄想の呪縛が解けない限り、神は日菜子から離れられない。この妄想が後押しをしているのだとしたら神自身は無意識のうちに日菜子に固執していることになる。

 思考しながら、もう一つ。忘れてはならない神の言葉を思い出して呟いた。


「でも荒ぶる神にならなかったことは、むしろ日菜子さんに感謝すべきことなのでしょうね……」


 神は人間達の行為に苦しんでも、恨んでも。それが悔しくとも。自己犠牲は尊いとして耐えて来たのだろう。

 もしも村や人間に大きく祟るような気質の神であったなら、どのような結果になっていたのだろうか。


 いや、一時的な怒りに任せて暴れて良い結果など出る筈が無い。それは人間でも神でも同じではないだろうか。

 暴れてしまえば傷跡が残ってしまう。村にも人間にも、そして神自身にも。


 日菜子はノートをパラパラと捲る。

 随分と設定が違うので効果が無いだろうかと案じていたが大丈夫かもしれない。神が訪ねて来たのは自身への影響を恐れてのことだろうから。






 山間の小さな村。今日は神社で夏祭り。

 主人公の女子高校生は友達と夏祭りを楽しんでいた。

 日が暮れかかり、盆踊りが始まる。

 ボンヤリと太鼓の音を聞くうち異変に気付く。太鼓の響きではない。ずしりずしりと大きな物が近づいてくるような音がする。

 突然、目の前に巨大スクリーンが現れたかのように大蛇が現れた。

 振り上げた鎌首は天を衝くように高い。

 大蛇は大きな口を開けて少女を飲みこんだ。逃げる間など無かった。

 だがそれは疑似体験。ハッとすると目の前は夏祭りに戻っている。

 今のは何だったのだろうと少女は怯える。


 学校からの帰り道。日直の作業で遅くなって日が暮れかかる。

 神社の近くを通ると大蛇は再び現れる。少女は捕食される疑似体験をする。

 体に痛みは無い。だが捕食される恐怖は残る。


 少女は奇妙な現象に怯える。友達に話しても怪訝な顔をされるだけ。

 思い悩み、神社へと行く。神様に祈ってみよう。解決するかもしれない。


 学校からの帰り道。日暮れ時に神社に立ち寄り参拝する。

 少女:神社の神様、お願いします。大蛇を倒してください。

 その直後、大蛇が現れる。


 神:祈願を叶えてやろう。

 言葉と共に神が現れて大蛇と闘う。

 神は涼しげで品良い面立ちの美青年。

 和装。長く美しい黒髪。大蛇を威嚇する強い眼差し。

 大蛇と闘う麗しい神に、少女は一目惚れする。


 神:俺はこの村を護る鎮守神だ。

 神が少女の頭を撫でる。

 神:なんだ、まだ子供じゃないか。

 身長は少女よりも頭一つ半大きいくらい。手も大きい。

 言葉は乱暴だが視線は優しい。少女は安堵する。


 少女は神に問う。

 少女:あの大蛇は何なんですか。

 神:あの大蛇は太古の生き物であり現代に存在する物ではないな。実体の無い幻覚だ。

 少女:退治出来たんですか?

 神:いや。今回は追い払っただけだ。退治は難しい。


 遠い遠い昔、大蛇は村の人間達を喰らっていた。

 少女は過去に起きた出来事を疑似体験していたに過ぎない。


 少女は疑問に思う。

 何故、自分が疑似体験をすることになったのだろう。

 この問いには神は答えられない。


 神にも分からない。

 なぜ時を超えて現れるのか。

 なぜ少女が大蛇を見ることができるのか。


 分かることは。

 大蛇を倒さなければ村人は喰らいつくされて絶滅してしまう。

 この村は大蛇に滅ぼされたという歴史に変わってしまうだろう。


 大蛇が現れるのは日暮れの時間帯、神社の付近。

 少女は大蛇を呼び出す為に神社へと行く。

 その度、神は戦うが実体を倒すことは出来ない。

 戦う勇姿を見る度に少女は神に好意を寄せてゆく。


 神:大蛇を倒す為には力が必要だ。生贄が欲しい。お前、色っぽいお姉さんとかいないか?生贄に差し出せ。

 少女:私は一人っ子ですし。

 神:近所のお姉さんとか紹介しろ。色っぽいのな。

 少女:誰かを生贄に出すとか無理です!

 神:じゃあお前で我慢してやるか。子供っぽいが仕方が無い。

 少女:私が生贄になるんですか?結局、私は食われるんですか?

 神:俺がバリバリと人間を食いそうに見えるのか?安心しろ。神は生贄を食いはしない。嫁に迎えるだけだ。


 一目惚れした神から嫁に迎えると言われて喜ぶ少女。

 だが神は喜ぶ姿を見て怒る。

 神:生贄とは犠牲的精神を持たねばならない。神を恐れ慄き、恐怖の中、仕方なく生贄となるものだ。喜んでいるようでは生贄として失格だ。


 しかし一度持った好意を取り消すことは難しい。

 生贄になるなら俺を嫌いになれ。と、無理難題を出してくる。


 少女:好きなのに嫌いになる努力をしなければならないなんて……。

 神:安心しろ。俺が手伝ってやろう。


 神は少女を生贄に貰おうとするため行動する。

 少女の好意を打ち消そう、生贄である恐怖心を持たせようと躍起になる。


 数々の嫌がらせを与えてくる。

 テスト当日、鉛筆を全部追ってしまう。

 さらにシャープペンシルの芯がどんどん折れてしまう。

 消しゴムがポロポロと掛けていく。

 御菓子の袋が開かない。開けると同時に飛び散る御菓子。

 持ってきたはずの体操着が無い。


 少女、チマチマした嫌がらせが鬱陶しくてイライラする。

 ちょっと神を嫌いになる。

 嫌がらせが功を奏したのではなく、チマチマしているとこが大蛇と闘う時のイメージと違い過ぎて興醒め。それに神を恐れ慄き恐怖するってのとは掛け離れていて意味もない。


 神:そりゃ恐怖体験とかさせることも出来ますけどね。やっぱり可哀想だし出来ませんよ。

 などと、妙に紳士的な神。手緩い嫌がらせしかしない状態が続く。


 高校の文化祭。

 少女は模擬店でメイドさんの服装。

 神が訪ねてくる。驚く少女。神は少女の頭を撫でて可愛がる。

 少女:人間の前に姿を見せても良いんですか?

 神:お前の親戚とでも紹介してくれよ。

 少女:えっとバンドをやっている従兄弟です。だから長髪で派手なんです。

 カッコ良い神に女子生徒達はキャアキャア騒ぐ。

 あらあら賑やかねえと通り掛かった養護教諭(白衣の美人)が教室に入ってきた。

 神、色っぽいお姉さん登場に舞い上がる。

 養護教諭は色気があり男子生徒達に人気があるタイプ。

 神は手玉に取られる様にコロッと夢中になる。


 文化祭後、毎日、神は保健室に通う。

 まるで生贄となる少女を忘れてしまったかのように。


 仕方が無い。

 最初から子供扱いだったし。

 元々、相手にされてないのだ。


 そうか。積極的に恐怖体験をさせてこなかった理由が分かった。

 私を生贄に貰うのは嫌だったんだ。

 生贄に貰うなら綺麗なお姉さんが良いと言っていたし。


 生贄になることは諦めよう。

 神から相手にされなくて一方通行でもいい。

 そうだ、生贄にならなければ無理して嫌う必要も無くなる。

 堂々と好きでいて良いのだ。


 だが生贄は必要だ。

 このまま大蛇を倒さなければ歴史が変わってしまう。

 時を超えて現れる大蛇を倒すことで、大蛇はいなかったことに出来る。

 村人達は被害にあわずに済むのだ。


 村を救う為に生贄を差し出さねばならない。

 祈願したのは私。ならば私が生贄を選んで差し出さねばならない。

 神がお気に入りとしている養護教諭を生贄に出来るだろうか。

 まずは神に対して畏怖の念を抱かせねばならない。


 日暮れの神社。

 大蛇が現れる場所と時間帯を狙い、少女は養護教諭を相談事があると呼び出す。

 狙い通りに大蛇が現れる。驚いて悲鳴を上げる養護教諭。

 大蛇を退治しようと現れる神。

 少女は養護教諭に嘘を吐く。

 少女:あの男は大蛇の化身です!!

 養護教諭は少女と共に大蛇に食われる。

 疑似体験だから痛くはないが、養護教諭は捕食される恐怖で意識を失う。


 当然ながら神は怒る。

 神:なんで俺が大蛇の化身なんだ!俺は鎮守神だぞ!

 少女:先生が神を恐れ慄き恐怖すれば生贄として差し出せるかと思って。

 神:俺を神と認識させてないじゃないか。それじゃ駄目だろう。

 神は養護教諭を抱き上げて神社の境内へと連れていく。

 神:可哀想に。怖かっただろう。


 養護教諭を優しく介抱する神の姿を目の当たりにして、少女は胸を痛める。嫉妬に駆られる。

 少女の中に神に対して憎しみの感情が生まれる。愛されないことの不満が憎悪を生みだしたのだ。


 少女:貴方の生贄になんてなりたくない!!!!大嫌い!!!!

 神:その言葉を待っていたんだよ。


 少女の周りに神の力が渦巻く。

 少女の首に神の手が掛かる。生贄となる恐怖心が増幅する。

 神:そうだ。もっと俺を怖がれ。

 神は大蛇を呼ぶ。太古の昔から大蛇は引き摺りだされて現代へと来る。

 力を得た神は大蛇を倒す。幻覚ではなく実体を倒す。


 何故、大蛇は時を超えて少女の前に現れたのか。

 それは鎮守神の生贄となる少女を付け狙っていたのだろう。


 少女:でも実体が無ければ何度食らいついて来ても無駄では?

 神:幻覚ではなく実体が時を超えられるよう何度も挑んでいたのだろう。成功していれば今頃は腹の中だぞ。


 少女は神の生贄となった。

 神の花嫁として神の物になる。

 少女:生贄として嫁にしてもらえるんですよね?

 神:それは、もうちょっと成長してからだな。




 日菜子はページをめくる。




 神山太郎。

 この神の生贄になる為には。

 この物語と同じように生贄とは犠牲的精神を持たねばならない。

 自ら望んで生贄となるべきではない。

 生贄は神に好意を持ってはならない。


 日菜子は神を嫌うことなど無い。

 何をされても神への好意を消すことは出来ない。

 従って生贄にはなれない。

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