キミと並んだ夏の夜 - ピリオド

「卒業式をしよう。俺たちだけの」


 目的地に到着して、静かに告げる。

 目の前には、夜の帳に包まれた校庭が広がっていた。


「卒業式……」

「な? 名案だろ?」


 始めは、と俺たちは体育館へと足を運ぶ。

 体育館には鍵が掛かっていたものの、堂々とすり抜けて侵入することが出来た。

 なんともまぁ、便利なもんだ。


 夜の体育館は明かりを付けていないので、二階から差し込む薄明かりだけが頼りだった。

 人も居ないので、夜の体育館は静けさがやけに際立っていた。 

 全く見えないと言うほどでもないので、俺たちは明かりを付けずにそのままにしていた。


「んじゃ、定番の卒業ソングから」


 ——仰げば尊し。我が師の恩。


 口数少ない優菜に構わず、俺は歌い出す。

 一番を歌い終え、二番に入ったあたりで俺に続けて優菜も歌い始めた。


「歌、上手いんだな。優菜って」


 よく考えれば、優菜の歌声を聞くのはこれが初めてだ。

 透き通るような声を聞いて、終盤は歌うことすら忘れてしまっていた。


「なんだか、最後は私だけしか歌ってなかった気がするんだけど」

「気のせいだって」

「私の歌、そんなに上手じょうずだった?」

「上手くて、ちょっとびっくりした」

「修司はオンチだったけどね」


 ここでようやく、優菜は笑ってくれた。

 歌が終われば、今度は卒業証書授与をすることにした。

 肝心な卒業証書がないので、簡単な模倣でしかないが。

 けれども、これがなければ卒業式とは言えないだろう。大事なことだ。


 初めは俺が壇上で、証書を渡す役をやることにした。

 優菜はもちろん、受け取る役だ。


「卒業証書授与、立花優菜」

「はい」

「貴方は神楽坂高等学校の全課程を修め、そのぎょうを終えたことを証します。おめでとうございます」

「なんだか予行みたい」

「水を差すのは止めて欲しいなあ」

「あはは、ごめんごめん」

「んじゃ、次は俺の番で」


 俺たちは互いに位置を入れ替わる。

 校長になりきっているのか、優菜は真面目な顔をして、こほんと咳払いを一つした。


「卒業証書、柏木修司」

「はい」

「以下同文です。おめでとうございます」

「まてまてまて」

「え?」


「なんで以下同文なんだ」

「それっぽいじゃない、えっとじゃあ……私が初めて好きになった人であることを証します」

「あーもう、それでいいよ……」


 涼しい顔で何言ってくれるんだか。


「修司」


 からかい口調だったのが、急に真面目な口調になった。


「ん?」

「卒業おめでと」

「……おう!」


「次はどうするの?」

「次は教室にいこう」

「教室?」

「卒業って言ったら黒板に落書きだろ」

「そうかなぁ……? 寄せ書きを書くとか」


 二人しか居ないのに、どう寄せ書きをするんだろうか。


「ほら、行くぞ」


 あまり納得していない優菜の手を引きながら、そのまま体育館の連絡通路を経由して教室へ。

 やってきた教室は『2-2』。

 話を聞くところ、どうやら優菜も二年生の時は二組だったらしい。


 あの日、俺の席に座っていたのは、俺の制服を追って学校へと来たものの、アテがなかったので、元いた自分のクラスへと来て、適当に座っていたらしい。

 それがまさか、丁度それが俺の席だとは。


 遅刻ギリギリに登校したから、座席が限られていたというのもあるが、まぁなんとも、偶然というのは往々にして、奇なるものだ。


「……うーん。ゴメン、俺には無理そう」


 黒板の前で俺はため息をつく。

 俺にはどう頑張っても、優菜のように物を動かすことが出来なかった。


「そのうち出来るようになるよ。料理ぐらい簡単になるから」

「食えないのにいつ料理するんだ」

「お供え物とか?」

「……お前、それはあんまり笑えないぞ」

「幽霊ジョークだよ幽霊ジョーク」


 ……俺もいつか、こんな感じになってしまうのだろうか。


「悪いが俺の代わりに何か書いてくれないか?」

「何かって……」

「何でも良いんだよ」


 何でもと言うと、優菜が悪戯っぽく笑う。


「ふふっ、何でもって言われても困るなぁ」

「俺の気持ちも少しは分かっただろ?」

「そうだなぁ……それじゃあ、私の気持ちをストレートに書くね」


 優菜はチョークを横にして使い、黒板にのびのびと太い線を走らせ、落書きをしていく。


「っと、完成。どう?」

「……これはちょっと恥ずかしいな」

「ホント、修司って初心うぶだよね」

「優菜が恥ずかしいことばかり言うからだ」

「あんなエッチなこと言ってたのに?」

「悪かったな」


 あの時のこと、まだ根に持ってたのか。


「これもいつかは消えちゃうんだろうな」


 優菜が落書きをした黒板をしげしげと見て呟くと、優菜がトン、トン――とわざとらしくステップを踏んで、黒板と俺の間に割って入ってきた。


「わかってないなぁ。それでいいんだよ」

「どういう意味だ?」

「私たちの気持ちの方が本物なんだから」

「……そうだな」


 俺たちは最後に、屋上へ行くことにした。

 屋上には鍵が掛かっていて、生徒が立ち入ることは出来ない。

 だが、今の俺たちは容易に入ることが出来た。


「わあ、すごいすごい。星がきれい」


 屋上へ来て、優菜が感嘆かんたんの声を上げる。

 真夜中だからか、周りの家に明かりはほとんどない。

 教室で時間を確認したときは、3時半ぐらいだったので、多くの家の住人は寝静まっているのだろう。


 明かり少ない夜の屋上は、満天の星々が俺たちの頭上にちりばめられていた。

 俺たちはそんな星空のもと、屋上のフェンス近くへ移動し、並んで腰を下ろした。


「まるで天文部みたいだな」

「そういえば、修司って部活は何に入ってたの?」

「帰宅部」

「だろうとおもってた」

「おっ、流れ星」

「え? ほんと!? どこどこ?」

「もう消えちゃったよ」

「えー、私お願い事出来てないのに」

「文句なら、星に言ってくれ」


 あはは、そうだねと優菜が笑う。


「……ねぇ、お願いごと決まった?」

「それなら、もう叶えて貰った気がするんだ」

「そっか」


 そっかと優菜は繰り返し呟いた。


「何だか私の方が多くを貰っちゃった」

「俺は何もしてないぞ」

「いいんだよ、それで。今度は修司が私の役割を担って、誰かの助けになってあげて」


 ここまで言って、何か思い出したようで、あっと優菜が声を上げた。


「浮気はダメだからね。化けて出て来るんだから」

「何言ってんだか……優菜は初めから化けて出てるだろ」

「へへ、そうだった」

「俺はおまえが好きだ」

「くぬぅ……近くで言われると凄い恥ずかしい」


 どちらからともなく、顔が近づいた。

 長い時間だった。

 俺はずっとそうしていたかったが、優菜から離れていって俺は目を開く。

 眼前の優菜が、背後がよく見えるぐらいに薄らいでしまっていた。


「朝になっちゃったね」


 屋上から街の向こうを見れば、空はだんだんと明るさを帯びていた。


「ああ、恐ろしい。あの光が怖いの。そうニュクテリスは言いました。けれども、ニュクテリスは光に目を覆いながら、嬉しそうに笑っているのでした」


 ニュクテリスのような眩しい笑顔で、優菜が『昼の少年と夜の少女』の一節を言う。

 このセリフは、終盤の朝がやってきたときのシーンだ。

 この後、フォトジェンがニュクテリスを腕に抱きかかえて、魔女から逃げるんだっけか。


「わ、ちょっと」


 俺は、お話通りに優菜を抱きかかえた。

 自分でやっておいてなんだが、演劇をしているみたいで照れる。


「お姫様だっこは、ちょっと恥ずかしいよ」

「いいだろ? やりたかったんじゃないのか?」

「……ばか」


 優菜はふくれっ面をして、そっぽを向いてしまう。

 このまま遊んでやるのもそれはそれで楽しそうだったが、これ以上からかうと機嫌が悪くなりそうなので、俺はゆっくりと優菜を降ろした。


「この後どうなるんだっけ」

「フォトジェンとニュクテリスが結婚して、めでたしめでたし」

「すっ飛ばしたな……」


 流石に、もう少し色々とあったぞ。


「修司」

「何だ?」

「結婚したかった」

「け、結婚って、なんだよ急に……」


 結婚と急に言われて、俺はどぎまぎしてしまう。


「まだまだいっぱい遊びたかった」

「優菜……」

「もう少し、違った未来もあったんじゃないかなって」


 優菜がすっと目を伏せる。


「一緒の大学に行って、遊んだり勉強したり、卒業したらお仕事を始めて……その、修司と一緒に生活したりする、そんな未来」


 でもね――と、優菜はここで言葉を区切って顔を上げた。


「今年の夏は幸せでした」


 まだまだこれからだ――とは言えなかった。


「なんで、過去形なんだよ……」


 いつだって、こいつは勝手だった。

 家へ勝手に上がってきたり、願いごとを言えと言ったり、挙げ句には俺の気持ちを中々伝えさせてくれなかった。

 それが、今度はどうだろう。

 あんまりじゃないか。


「そう落ち込まないで」


 優菜がそっと俺の手を掴む。


「貴方には、これからも素晴らしい世界があると思うから。貴方の世界が、私の世界よりずっと素晴らしかったみたいに」


 それは物語の最後、ニュクテリスがフォトジェンに言った言葉の改変だった。

 そして優菜は、修司の世界に私は引き込まれたんだよ、と付け加えた。


「だから、しばらく修司一人でも大丈夫だよ」

「勝手なこと言うなよ……」

「大丈夫。修司のことずっとみてるから」

「本当か?」

「うん」

「嘘じゃないよな」

「うん」


 優菜の姿が、次第に薄れていく。

 俺は優菜の手を強く握った。

 言いたいことが沢山ありすぎる。


「……また会えるよな?」

「うん、きっと」

「クソッ……。目がぼやけて前がよく見えない」


 優菜の姿を見ていたいのに、前が霞んでしまってよく見えない。


「笑ってよ、修司。お別れじゃないんだから」

「悪い、これでどうだ」


 俺は精一杯、笑って見せてやる。


「うんうん。それに、これはさよならじゃないよ。またね、だよ」

「ああ! またな。今年の夏は、楽しかったぞ」



 私もだよ、修司


 修司と過ごした日々は、すごく楽しかった


 楽しい想い出をありがとう


 またね、バイバイ



 最後の方は風が吹いたように、小さな声だった。

 俺は泣かずに、彼女を送り出せていただろうか。

 横を見るが、隣に誰も居ないことに気づき、視線を前へと戻す。

 その時、遠くに見える空から、日が昇っていることに俺は気づく。


 世界は変わらずに、新しい一日が始まろうとしているらしい。

 そう考えると、途端に感傷めいた気持ちが込み上がってきた。

 俺はゆっくりと歩き出し、優菜が居た場所をもう一度見つめてから、その場を去った。








「なぁ柏木が亡くなったって……」

「ああ、俺告別式に参加したよ」

「病気だったんだって?」

「そう聞いたぜ? 急だったな……。あ、先生が来たぞ」

「席に着け。知ってる人もいるだろうが……って誰だ! こんな落書きをしたのは」

「あれ、誰が書いたんだろうな」「さぁ?」「部活で誰も教室に入ってなかったの?」

「あー……まったく誰なんだ、登校初日から黒板にでっかくこんなのを書いた奴は」




『 大 す き 』




キミと並んだ夏の夜—— 了

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ピリオド - キミと並んだ夏の夜 エンジニア㌠ @Iris_sola

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