優菜のアルバム
ショッピングモールからの帰り道。
立花は先程の映画の内容を、楽しそうにべらべらと語っていた。
「さっきの映画、ほんっとうに面白かった」
ここで立花の言う『おもしろかった』は、延べ20回以上にのぼる。
残念だが、
ちなみにトップ『おもしろかった』からの後続は『殺す』『迫力』『わかる』『血』と、危険ワードがトップ5の内の二つを占めている。
童話が原作なのに、どうしてこうなった。
前情報無しで観たら、見事にB級映画だった。
正直、薄っぺらい内容だったのだが、立花が楽しそうにしているのでまぁ良かったと思う。
「童話って、原作だと猟奇的な奴が多いんだよねぇ。首をずばっと、ブシャー!」
例えばピーターパンとか、と立花は例を挙げるが、あのお話の何処に危ない所があるのか、俺には分からなかった。
どちらかというと、猟奇的発言をしている立花が俺は恐ろしい。
「ねね、柏木君もそう思わない?」
「俺は立花の方が面白い」
「へ、私? どういうこと?」
「いや、分からないのなら良い」
「……あれ? 今の道、曲がらないの?」
行きと帰りで道が違うことに気付いたようで、立花が訊ねる。
「まだ5時だし、時間はあるだろ?」
「どこか行くの?」
「ああ、用事があってな。付き合ってくれ」
「しょうがないなぁ」
立花は心底楽しそうに、微笑み俺を見る。
その笑顔に、俺はすこしどぎまぎとしてしまう。
出会ってまだ間もないというのに、なんだか、互いの心の距離が非常に近い気がする。
キッカケを挙げるならば、彼女が幽霊だからだろう。
それも、俺としか接することが出来ないという理由が大きいように思える。
理由あっての関係に少し残念な思いもあるが、それを忘れさせるぐらい、今の時間は心地よいものだった。
このままゆっくりと時間が過ぎればいいのに。なんて、思えるぐらいに。
けれど、この後俺は冷徹にならなければならない。
俺は立花の家へとめざして、歩を進めていく。
「……ねぇ、おうちに帰ろ?」
あれだけ楽しそうにしていた、立花の表情が暗い。
見慣れた景色に近づいてきたのか、何処へ行こうとしているのか流石に気づいたらしい。
「ねぇ、やめよ? そういうのはずるいよ……」
「何を思ってるのか知らないが――」
俺は立ち止まって、数歩後ろにくっついてきていた立花へ向き直る。
「あの家は俺の家であって、お前の家じゃない。お前の家はこっちだろ? 違うか?」
「それは――」
立花へ追い打ちを掛けるように、バッサリ斬り捨てる。
ここで正論を盾に、立花を突き放すのは少々
立花はそれっきり、何も言わなくなってしまう。
事前に調べていた
門に付いた表札には『立花』との文字が。
「ここか」
家を前にして、立花は俯き黙ったままだった。
何処か行ってしまわないか心配だったが、家に関して釘を刺されたことが相当こたえたようで、身じろぎ一つしていなかった。
この一連の言動から察するに、自分の家にはほとんど――いや、全く戻っていないんじゃないだろうか。
「ここがお前の家だろ?」
「……」
「たまには帰ったらどうだ?」
「でも、私が居るのって気付いて貰えないし……」
「手紙を書くとかさ」
「出来るけど、無理だよ」
まぁ、言いたいことはわかる。
死んだ人間から手紙を貰ったとしても、悪戯だと思われて気味悪がられるだけだろう。
「あら、その制服……」
立花が
声に振り返ると、若めの女の人がスーパーの袋を持って俺の後ろに立っていた。
「お母さん……」
お母さん? え、マジか……。
ご家族だろうとはすぐに感じたが、若作りをしている感じがないので、母親だとは微塵にも思わなかった。
「娘の知り合いですか?」
「ええ、まあ、そうなります」
全く予定していない出来事で戸惑うも、俺は顔に出さないように取り繕う。
顔に出さないようにしていたのだが、急に立花のお母さんがふふっと上品に笑った。
急に笑われて、きょとんとしてしまうと、立花のお母さんはハッとしたような顔になり、
「ああ、ごめんなさい。あの子にもお友達が居たんだなって」
……ん? 今なんて言ったんだ?
男の子のお友達? いや、それよりもっと短かったような気がするが。
あまりに小さい声だったので、蝉の声に掻き消されて良く聞こえなかった。
「俺が入学したての時、色々お世話になったんです」
「あら、そうだったの。……あ、ここで立ち話するのも暑いでしょうし、どうぞ上がって」
「え、あ、いや――」
更に予定していないことになり、俺は断ろうとしたが――
「線香はお二階であげられるんで」
断り辛くなってしまった。
◇
「お邪魔します」
玄関で靴を脱ぎ、誘われるまま家へと上がる。
ふと立花がそばに居ないことに気付き後ろを見ると、叱られた子供のように玄関でうなだれていた。
「二階はこっち。ええと――お名前が……」
「柏木修司です」
「柏木君ね。娘の部屋は二階だから」
そうこうしているうちに、立花のお母さんが階段をのぼっていってしまう。
こっちに来いと目線で合図をすると、
「ここが、娘の部屋だった場所よ」
案内されて俺は部屋へと入る。
女の子の部屋だと、少し構えてしまった俺だったが、机や本棚に小物が並んでいる程度で取り立ててファンシーな様子はなかった。
ただ、なんというか、その部屋は独特の空気を帯びていた。
立花の部屋が他の人間の部屋と比べて、変だというわけではない。
人のためにあって、人が居ない場所。そんな感慨を覚えたのだ。
部屋の奥にある窓から差し込む夕日が、
「私の部屋、ほとんどそのまんまだ……」
「いつでも帰ってこられるようにね、そのままにしてるの」
立花の言葉に合わせたように、立花のお母さんが言う。
流石に、俺の自宅に今居ますよ、とは色々な意味で言えなかった。
「年頃の女の子なら、もうちょっとぬいぐるみとかあっても良いのだと思うのだけれども、あの子は本とかが好きだったから、置いてある物も少なくてね」
「本……ですか?」
それにしては、さっきの語彙の少なさはどうなんだ。
「あの子病気がちで、あまり外に出られなかったから。体調の悪い日とかは本とかを読んで過ごしてたの」
病気がちだった?
初耳の情報を聞いて立花を見ると、立花はゆっくりと肯いた。
「入退院を繰り返してて、学校へはあまり行けてなかったから……。去年の夏にそれで」
10秒ぐらいして、立花が自分の亡くなった原因を言っているのだとわかった。
だからか、と俺は思う。何故、立花は一日中、制服を着ているのか。
当初の目的を俺は思い出して部屋を見渡すと、机に小さな仏壇が置いてあった。
灯明から火をもらい、線香へ火を付ける。
俺にとっての立花は立花だ。
線香を線香立てに刺して、俺は手を合わせた。
隣に居るのでなんだか変な感覚だが、合わせた手に
「ねえ、お願いがあるの」
俺が手を合わせ終えた直後、真剣な表情で立花は言った。
「……ん」
言葉には出来ないので、「なんだ?」という顔をする。
「本棚にある青い冊子をお母さんに見せて欲しいの」
本棚にある青い冊子、ね。
本人が居るとはいえ、流石に立花のお母さんの目の前で、物色するわけにもいかない。
「本棚、見させて頂いても良いですか?」
「本棚?」
立花のお母さんが意外なことを言われた様な顔をする。
気が引けるが、ここは嘘をつくしか無い。
俺は、立花へ視線を送る。
「生前、いくつか貸して貰った本がありまして」
「なにを貸して貰ったの?」
「えーっと、確か……」
「フォトジェン」
「フォトジェンとかですかね」
立花が答えた言葉をそのまま口にすると、立花のお母さんはふっと微笑んだ。
「どういう所が面白かった?」
内容を聞かれ、俺は戸惑う。
「ごめん、お母さんからお薦めされた本だった」
おい。
「大丈夫大丈夫、えっとね――」
立花の語ったことを俺が言うと、立花のお母さんは二、三度肯いた。
「そう、あの子と同じ事を言うのね。ニュクテリスが初めて外へと出るシーンが、とても美しくて印象的だって」
同じ事と言われれば、立花の言葉そのままなので当然である。
読んだこともなく、完全に受け売りだったので、心に罪悪感が残った。
立花のお母さんからどうぞと促されて本棚を眺めていると、立花が口にした本が目に留まった。
フォトジェンは青色の装丁だったのですぐに見つかったが、頼まれたものとはどうやら違うらしい。
手に取ってみると、本自体は分厚くもなく、重たくない。絵本よりちょっと厚いぐらいだ。
何度か繰り返し読んだ形跡があり、特に表紙は擦り傷が目立っていた。
立花が語った部分を要約すれば、知らない世界に踏み出す男の子と女の子の話だった。
聞けば、主人公の男の子と女の子が、それぞれ光しかない世界と闇しかない世界で育てられ、それぞれが昼と夜の世界を知るために外へと出る話だそうだ。
題名であるフォトジェンがそのまま主人公の男の子の名前で、立花のお母さんが口にした、ニュクテリスというのが女の子の方の名前らしい。
立花の身を思うに、自分と重ねているところでもあるのだろうか。
「その本はいろんな人が訳してて、いくつか種類があってね。例えば別の出版社から出ているやつの邦題は『昼の少年と夜の少女』っていうの。それもこの本棚にあるはずよ」
立花のお母さんが俺の手にある本を見て、豆知識をつらつらと述べる。
やはり立花の母親らしく、立花のお母さんもまた本が好きなようだ。
「本当に本が好きだったんですね。優菜さん」
「ええ。あの子、本は何度も繰り返して読むから。他に何か、気になる本とかある?」
「そうですね……」
わざとらしく探すフリをしていると、立花がこれと指さした。
確かに青色をした薄い冊子が、本の間に挟まるようにして収まっている。
立花の言った冊子は他の本と違うところがあり、その冊子だけ背表紙に文字が書かれていない点だった。
俺は言われた通り、その冊子を本棚から抜き取ると、表にして表紙を見る。
表紙には手書きで『ALBUM』と、マジックか何かで書かれていた。
「これは……」
流れからして、てっきり小説などを想像していた。
表紙の題を見るに、立花のアルバムのようだ。
「あら、こんなのあったかしら?」
どうやら、立花のお母さんも知らなかったらしい。
「ちょっと、見せて貰って良い?」
「ええ、どうぞ」
断りなく見るわけにも行かず、そのまま立花のお母さんへ手渡す。
「あ……」
表紙をめくって、一言。立花のお母さんが懐かしいと呟いた。
「見て、柏木君。これ、娘と旅行へ行ったときの写真」
見せても問題ないらしく、見開いたページが見えるように差し出してくる。
「あの子、自分のカメラをお小遣いで買って、色々写真に収めてたのは知ってたけど。こういうのがあったのね」
旅行だけでなく、学校で撮った写真、病院から見た景色の写真、退院したときの写真、家族で食事へ出掛けたときの写真――
立花の色々な瞬間が、そのアルバムの写真として切り取られていた。
立花のお母さんは、その時を一つ一つ思い出すように語り始める。
初めは立花も補足のように口を挟んでいたが、途中から母親の言葉をじっと聞いていた。
懐かしい、そういうのあったよね、と母親の言葉に合わせながら。
俺は思う。やっぱりここが立花の家なんだと。
その証拠に彼女は、確かにこう言ったんだ。
ただいま――と。
「宿題貰っちゃったね」
あの後、立花のお母さんからこれも読んで、と本を頂くことになった。
本の題名は『昼の少年と夜の少女』。
あの子が読んだ本だから是非にと渡され、断り辛くなった俺はそのまま受け取ることにした。
「帰ったら、読んでみて。きっと面白いから」
「ああ、そうする」
「そういえば、柏木君、お母さんと話しているとき、下の名前で呼んだでしょ?」
「そうだったっけか?」
確かに呼んだことを覚えているが、俺はとぼけることにした。
「無理矢理私の家に連れて行ったりするのに、変なところで消極的なんだから」
「ぐっ……」
昨日から思ったが、変なところでトゲを刺してくる奴だ。
「……優菜」
「なーに? 修司」
「ば、やめろっ。俺の名前を下で呼ぶのは許してないぞ」
「えー、いーじゃん。もしかして照れてる?」
「変なことを言うな!」
「あはは、今日の仕返し。無理矢理連れて行かれてホント困ったんだから」
他人が聞けば、勘違いされそうなセリフだ。
「……でも、今日はありがと。いろいろと楽しかった」
「ああ。だが、夏休みはまだまだこれからだ。明日とかも出掛けよう」
「うんっ」
今日は映画を観たり、優菜の家族に会ったりと、色々あった日だった。
「あ、そうだ。修司のアルバムも見せてよ。私のを見せたんだからフェアじゃないよ!」
「わかったわかった。うちに帰ったらな」
「ぜったいだよ。約束なんだから」
「はいはい。ったく……結局、俺の家に来るんだな」
――まだまだ、騒がしい夏は続きそうだ。
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