出会いは夏の休みの始まりに

「でさー、そのゲームが面白くてよ」

「ついつい、テスト勉強をサボっちゃったと」

「おうよ。んなもんで、オレは通知表にこれっぽっちも期待してないって訳」


「はぁ、勉強ぐらいしないと三年になってから大変だぞ?」

「三年を経験したみたいに言うんだな」

「そろそろ大学受験も始まるから、他人事じゃ無いぞ?」


修司しゅうじは勉強できて良いよな」

「俺はそれなりに努力をしているからだ」

「昔っからお前は真面目すぎるんだ。寝坊はよくするみたいだけどな――っと」


 友人の川瀬かわせが始業のチャイムに気付いて、黒板の方へ振り返る。


「そろそろ朝礼だから、また後でな」


 そう言い残して川瀬が自席へと戻り、俺も席へ戻るかと思った矢先。何かいつもと変わった空気というか――ある違和感を覚えた。

 俺の席は窓際にある特等席とも呼べる場所だったが、先に誰かが座っていたのだ。

 それも、知らない女子が。


 彼女は一人で机に頬杖つき、アンニュイな表情で銀縁の窓の向こうを眺めていた。

 今日は高校の終業式で、他のクラスの人が夏休みの予定を話すためにこっちへ来たのかと思ったが、彼女の様子を見る限りそうでもなさそうだ。


 窓から流れ込む風で彼女の長い髪がさらさらとなびいて、なんだか俺の席じゃないように思えてきてしまうほど幻想的な空気を醸しているが、俺の席だ。


「ねぇ、さっきチャイム鳴ったけど」


 俺がその女子にそう話しかけると、彼女は大きく瞳を見開き、俺の顔をじっくりと伺うように見た。


「やっと見つけた……」


 見つけた? 何をだ?

 首を傾げていると、後ろから扉の開く音が響き渡った。


「喋ってないで、席に着けー」


 担任の先生の声が教室に響き、談笑していた生徒がそそくさと自席へ戻っていく。


「あの、先生が来たからさ。席空けてくれないかな」

「やっぱり私が見えるんだよね!? 昨日、駅前で私を見てたから、そうだと思ったんだよ」

「いや、なんの話だか」


「おい、柏木かしわぎ! なに突っ立ってんだ。朝礼始めるぞ」


 慌てて前を見ると、担任が怪訝な顔つきでこちらを見ていた。

 それもその筈で周りを見れば、立っているのは俺だけだった。


「いや、俺の席に女子が座って――」


 言い訳をしようとして、途中で言葉が途切れてしまう。

 俺は自分の目を疑った。

 先程まで座っていたはずの女子が、居なくなっていたのだ。


「柏木の席がどうしたって?」

「いえ、すみません。勘違いです」

「終業式で授業が無いからって、遅くまで起きてたのか?」


 再び俺は席を見る。確かに席に女子はいた。

 けれども席を立ったような様子は無く、まるで窓から飛び降りたんじゃないかと思えるほど、忽然こつぜんと姿を消してしまっている。

 幻か? 流石にそれはないだろう。

 

「柏木ぃ……寝ぼけてるのか? 顔でも洗ってきたらどうだ」

「そうしてきます」


 クラス全員に笑われながら、俺は教室から出た。

 本当に顔を洗ってくるのかと思われたようだが、俺自身、顔を洗って目を覚ましたかった。


「一体あの子はなんだったのか」


 男子トイレにある洗面台の前で、狐につままれた思いで独りごちる。

 まぁ、よくよく考えれば、ただ単に教室から出て行ったことに気付かなかっただけだろう。

 そう考える方がしっくりとくる。


「昨日、駅前でなんとかって言ってたよな」


 今になって思い返せば、確かに俺は駅前で彼女の姿を見た。

 けれど、その時は一言も交わすこと無く、俺との接点なんて目が合ったぐらいだ。


 一体、何を言いたかったのだろうかと考えていると、背後でバタンと大きな音が鳴り響いた。

 音に驚き振り向くと、トイレの個室のドアがギシギシと蝶番ちょうつがいを軋ませて動いていた。


「……風か? 脅かすなよ」


 再び洗面台へと向き直ろうとした、その時。


「ばあ!」

「うわっ」


 急に肩を掴まれ、俺は飛び上がる。


「あはははは、凄い驚いてる」


 俺を驚かしてキャッキャと喜んでいる奴は、先程俺の席に座っていた女子だった。


おどかすなよ」

「ゴメンゴメン。真面目そうな顔をしてたから、ちょっと驚かしたくなっちゃった」

「お前のお陰で、さっきは恥を……って、ちょっとまて」

「ん?」


「ここ、男子トイレなんだが」


 自然に居るものだから気にしてないのか、当の本人はあどけない顔で首を傾げた。


「でも、幽霊ってトイレとかに出てくるものじゃない?」

「幽霊とか、急に何言ってるんだ」


 相手のテンションと話についていけず、俺は肩をすくめる。

 俺の席に座っている姿を見たときは、もっとおしとやかな人だと思ってた。


「ほら。そこの鏡、見てよ」

「鏡……?」


 言われるまま、俺は鏡を覗き込んだ。

 俺が映り込むだけで、何ともない。ただの鏡だ。


 彼女の言葉の意図がわからない。

 鏡? 何があるんだ?


「鏡がどうかしたか?」

「ほら、よく見てよ」

「んん……?」


 言われて気づく。鏡を見ると、隣に居る女子の姿が全く映っていない。

 だが横を見れば、しっかりと居る。


「うらめしやー、なんちゃって」


 再び鏡を見る。居るはずの彼女が鏡面に映っていない。

 いやーまさかなーと思いつつ、角度を変えても無駄だった。

 冷や汗がどっとわき出て、俺の頬をゆっくりと伝った。


「………………ぎ」

「ぎ?」

「ぎょえええええええ」

「ぎょええって……漫画でも聞いたことないし――って、何処行くのよ」


 トイレから飛び出し、全力のダッシュ!

 本能が警鐘をならしている。あの女はまずい。


 俺は廊下を駆け抜け、『2-2』の標識を見つけるとすぐさま教室へ飛び込んだ。

 大きな音を立てて、教室へ飛び込んだためか、担任とクラスメイトの視線が一気に俺へと刺さった。


「え、あ? どうした柏木……そんなに慌てて。変なもんでも見たか?」

「その通りです」

「は? 何言ってんだ」


 再びクラス全員に笑われたが、人が居るからと俺は安心しきっていた。

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