サブマリンガール~独立リーガー女子の物語~
中村鉄也
勝ち気すぎるアンダースロー女子
「はっ、はっ、はっ、はっ」
十月中旬の早朝。朝焼けがまぶしくなってきた和歌山県和歌山市。その有数の市街地に鎮座する和歌山城。ここの堀周りの歩道は、それなりに知れたジョギングのコースになっており、早朝にも関わらず、走っている人をちらちら見る。その中で、その少女は風のように駆け抜けていく。少女と言うには結構背が高く、いかにもスポーツをやっていそうな引き締まった体型をしている。身体に密着するようなウェアが、その健康的な体つきを際立たせていた。
「よしっ!今朝も走ったぁっ!」
満足げな表情を浮かべて、その少女、
「今日もいい一日になれば文句なしね。さて、朝ごはんでも食べよっかな。今日はいよいよ本番だしね」
そう言って、彼女は家に帰っていった。
この日、彼女は野球のユニフォーム姿で野球場に足を運んでいた。そこでは和歌山県に本拠地を置く、独立リーグのプロ野球チーム「紀州ホエールズ」の入団テストが行われるのである。
「すいませ~ん!参加選手の受け付けはどこですか?」
威勢のいい声で、五月は係員と思しきジャージ姿の男性に声をかける。
「あ、こちらですよ。でも、参加するならお兄さん御本人に…」
何のためらいもなくそう声をかけてきた係員に、五月はかわいらしかった表情を豹変させた。
「…はぁ?何言ってんですか?」
「え?違うんですか?」
なおも分かっていない係員に、五月の我慢はすぐに限界に達した。
「テストを受けるのは『あたし自身』です!!わざわざユニフォーム来てるのに分からないんですか!?女子ってだけで判断しないでよ!!」
「す、すいません・・・。ではこの書類にサインして、保険証の提示を・・・」
眉間にしわを寄せながら、五月は周りが思わず振り向くぐらいの大声で怒鳴る。その迫力に、係員はひるんで平身低頭で応対した。
五月は小学校に入学したころから野球をはじめ、中学までの9年間硬式野球のチームでピッチャーとしてプレー。高校でもマネージャーとして活動する傍ら、練習試合で何度か投げさせてもらっていたが、男子に打たれた記憶はほとんどない。独立リーグでは性別による規定はなく、なろうと思えばプロ野球選手になれるのである。彼女は、そのために本気で合格することを目指して、トレーニングを重ねてきたのである。その打ち込みようを知らないとはいえ、女子と言うだけで選手として見なかった係員の態度に腹が立って怒鳴ったのである。
「まあいいわ。球団のお偉いさんに認めてもらって黙らせるしかないわね!絶対合格してやるんだから!!」
そう勇んで球場に入る五月を、中年の男がニヤつきながら見送っていた。
「ほお~。なかなか面白いお嬢ちゃんがいるもんだな。あれで能力があれば、楽しみな存在だな」
五月がグラウンドに出ると、テストの参加者がすでに集まっていた。全員で30人いるかいないかぐらいで、大半は大学生や社会人で、五月のように高校生ぐらいの年代は片手で数えられるぐらいしかいなかった。それだけ、独立リーグと言うのは厳しい環境なのである。
独立リーグは、高校や大学を卒業後も硬式野球を続けたい者や、プロ野球を目指したり返り咲いたりする者たちにとって、社会人野球とともに貴重な受け皿ではある。しかし、大概の球団は選手を養うほどの資金力に乏しく、そんじょそこらの非正規労働者よりも賃金の安い「仕事」である。言葉は悪いが、「よっぽど野球に未練があって、周りの理解も深く、野球を続けられれば幸せ」という人間だけがやってくると言っていいだろう。ましてや、この紀州ホエールズは、地域密着が必然の独立リーグ球団でありながらそれが十分でなく、いつ潰れてもおかしくない脆弱な経営状態なのだ。そんなところに、自分で人生を決められる成人ならまだしも、高卒でそんな場に送りだす親御はそうそういない。故に、高校生が極端に少ないのだ。
それでも、五月はその状況を楽しんでいた。
「年上の人ばっかりだな…。でも、臨むところよ。自分より実力のある相手と競うのは、やっぱり燃えちゃうもんね!」
「あぁ?なんでこんなところに女がいんだおい」
はりきっていた五月に、やや乱暴な口調で一人の少年が声をかけてきた。少年は結構大柄な体つきで、見下ろすように五月に近づいてきた。明らかにケンカ腰の少年に、五月も負けじとにらみつけながら見上げる。
「何?女が参加して問題でもあんの?『女子は参加不可』なんて規約はなかったわよ?」
「だからって軽々しく女が来ていいところじゃねえんだよ。冷やかしだったらとっとと帰れ!」
パチィン!
突然、ビンタの音が響いた。五月が目の前の少年の頬を平手打ちしたのであった。唐突な一発に、少年は当然激怒する。
「こ、このアマぁ!なにしやがんだ!」
そう怒鳴りながら少年は胸ぐらをつかんできたが、五月は怯むどころかそれ以上の迫力で声を張り上げた。
「こっちが黙ってたら。女、女っていい加減にしなさいよ!冷やかしでこんなとこ来るんだったら家からユニフォームで来ないわよ!まだ何にもしてないのに決めつけないでくれる!?」
しばしの沈黙。何事かと耳目が集まるなかで、少年は掴んでいた手を離し、ばつが悪そうに呟いた。
「…悪かったな、勝手に決めつけて。あやまるぜ。スマン」
態度を改め少年は潔く頭を下げる。その態度に、五月は好感すら覚えた。
「わかってくれて何よりよ。折角だし、名前教えて。あたし、速水五月っていうの」
「そうか。俺は
「じゃあ、あたしのこと、さつきって呼んでくれればいいわ。マサトって言っていい?」
「おう。この際だ。よろしくな」
そう言って二人は握手を交わした。
「しかし、お前すげえ女だな。俺にここまで怒鳴ってくるやつははじめてだぜ。もっというと、さっきのビンタ、マジで痛かったぞ」
「ごめんごめん。あんたの言いように心底ムカついちゃったから、ついね」
「笑いながら言うなよな…」
笑って謝る五月に、将人はただあきれるだけだった。
「ところで五月。お前ポジションは?」
「ピッチャーよ。さすがに野手じゃ男子と勝負にならないもん。あたし、左のアンダースローよ」
「左でサブマリンか…。その珍しさだけで合格できそうだな」
「そういうあんたのポジションは?学校はどこでやってたの?」
五月がそう聞き返したところで、将人の顔色が少し曇った。だが将人はすぐにそれを消した。
やがてテスト開始の時間となり、ホエールズの首脳陣が現れ、試験内容の説明が始まった。まず参加者全員で、50m走と遠投、持久走を行った後、投手と打者に分かれてノックとピッチングをし、最後にシートバッティングをする。丸一日かけての一発勝負である。
「ところでさつきよ。改めて聞くけど、お前なんで受けに来たんだ?内容は女のお前に不利なもんばっかりじゃねえか」
「そんなこと百も承知よ。だいたい独立リーグに入ろうなんて女子は生半可な気持ちで来ないわよ。赤点前提で期末試験受けるようなもんだもん」
「確かに・・・。足の速さとか肩の強さは、男と女じゃ根本的に違うもんな」
「でも、ピッチャーとして自信があるから来たのよ。もちろん、投げ方以外の部分でね」
「すげえ自信だな。もっとも、そんぐらい気が強くねえと来ねえよな」
「そういうこと。あんたはどうなの?ていうか、どこでやってたの?」
その質問に、それまで普通に笑いながら会話していた将人の表情が曇った。思わず五月はいぶかしみ、押し黙った将人に詰め寄る。
「ねえ。どうしたの?」
「…あんまり、聞かねえでくれるか?ちょっと訳ありなんだ」
「訳あり…。うん、分かった。じゃあ、お互いがんばろっか」
五月は将人の戸惑った表情を見て、それ以上の詮索はやめてストレッチを始めた。だが、将人の訳が少々の理由でないことを、五月はこの時知る由もなかった。
ともかく、入団へのテストは始まったのである。
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