自分は今、中国の武漢市で教師をしております。自分自身、仏教にも関心がある上、内容が重要だったもので、あっという間に読んでしまいました。
中国にはトータルで、2年以上滞在しております。大学時代に約1年間西安市に留学、そして、卒業後しばらくしてから武漢市にて、縁があり教師の仕事をいただきました。
一度長期滞在したから、大丈夫だろうと思っていた自分は、完全に甘かったです。
仕事の上での中国人との人間関係や、人間との距離感、道徳観に悩みました。
特に悩んでいるのは道徳観です。文章にもありましたパチモノのことや、動物を食べ物のようにしか思っておらず、ペットブームの最中、簡単に捨ててしまうような人が多く見受けられます。他にも仕事に対する責任感があまりにも違い、これでいいのかと毎日のように葛藤していました。和尚様の仰る羊头狗肉の熟語はまさに本質的だと感じました。要領だけが良くて、腹が立つ時もしばしばです。
しかし、中国人は嫌いになれないところもあり、对不起のように、日本の上下関係なく気さくに、平等な関係があることや、外見とかかしこまりすぎた礼儀だけではなく、本音で対等に話せるところがあり、日々刺激的で楽しいです。
そんな言葉にできない、葛藤や思いを、和尚様の知識や考察を読むことで頭の中が少し整理されたようです。
僕は中国語をもっと勉強したいですが、漢民族や文化感をもっと掘り下げていきたいと、この論説を通して感じました。
なるべく慈悲心を忘れないように、精進します。
合掌
わたしのように、先に『注意欠陥多動性菩薩』に出会ってしまった人と、こちらを先に読んで『注意―』を後にした人とでは、どちらの驚きのほうが大きいのであろうか。
いや、「驚き」とひとことで表したところでその内訳はそれぞれの作品に対してきっと異なるはずだから、どっちがどうとか簡単には言えないのかもしれない。
ただ、こちらとあちらの間にはものすごい落差が横たわっていることだけは確実である。かたや偉大なる辻説法、かたやボンサン赤裸々トーク。とにもかくにも併せて読まれることを強く強くお勧めしたい。この方のお話を聞いたがさいご、行間から溢れ出るお人柄にうたれて猛烈に改宗したくなる。真言宗に。
高野山と空海・弘法大師のことが掘り下げて分かりました。
何時しか、空海を頗る愛する、お大師様フアンと化した私です。
中国の近年の様子と文化・習慣などよく分かりました。また、日中の文化などの違いを乗り越えなければならないことを人民を知ることで、再認識できました。
文化の違いはあるけれど、素朴に力強く生きる人民を感じました。また、文化・環境などからくる価値観や人間性まで、よく分かった気がしてきます。
ましては、1990年代から2000年代においての急激な経済発展した中国が、よく、龍範様のコラムで自らの浅い知識が真実かどうかなどまで、確認などできたように思います。
大変いろいろなことが、勉強にもなり良かったと思います。
龍範様の人間力に傾倒し、知識ばかりでなく、生きる力も貰えたという印象です。空海様!!
合掌
私も大概併記されそうもない名前を並べてしまいましたが、思いがけず出てきた色々なお名前に、非常に驚きました。
情報化と言われる昨今、色んな立場の方がモノを書いておられます。しかし、まさかこういった場所で、僧侶の方の書かれた文章を読めるなどと思っておりませんでした。
偶然出会った本作を通して、本職であられる仏教、特に、弘法大師のお話、隣国の文化、知らない時代など、色んな世界を覗き見た気持になりました。
時には頷き、時にはこのような文化や、考えがあるのかと驚き、時にはちょっと引っ掛かるな?と、恐らくそう大きな開きもなさそうな世代間のギャップのようなものに首を捻りながら、何故でしょうか、お書きになった中島さんとお話ししたような気分になりました。
お坊様の温かなお人柄が拝察されるこのエッセイ集、
かつて中国に駐在なされていた時の出来事、
また日本と中国とを比較してのお考えを
ユーモアを含んだ公平な視点で、
しかもそれらが
格調高くも平明な文章で述べられています。
他の用事を抱えているのにも関わらず、
するすると最後まで一気に読み切ってしまいました。
しかし読了後、
「ああ、勿体なかった…
もっと味わって読むんだった!」
と後悔したのも事実です(笑)。
また、かつて私も大学で第二外国語として
中国語を学んだことがあり、
ネイティヴの先生に「長文暗唱」を
よく課せられたことや、
彼の国で遭遇した様々な出来事なども
懐かしく思い出しました。
そして、
中国のこと、御仏のみ教えのこともさりながら、
御尊父(「アストロ球団」の方ですか!)のエピソードが
深く心に残りました。
いつか書籍化していただけたら、と願いつつ。
まず、桜井今日子さんに謝罪致します。貴女以上のレビュー・タイトルを思いつけませんでした。
私は神社仏閣に行って、お説法なるものを拝聴した事が有りません。中島さんの作品を読んで、心が穏やかになる自分を感じました。言葉の力って凄いですね。
この作品は、心が穏やかになるだけでなくて、知識も習得出来ます。是非、皆さんに読んでもらいたいと思います。
作品中には書いてはいませんが、劉備玄徳が諸葛孔明に示した三顧の礼は、三回じゃなかったのね、と目からウロコでした。生真面目な日本人の大半は三回だと思い込んでいるでしょうが、見聞を広げるというのは、こういう事なのですね。
ところで、私は学生時代の貧乏旅行や仕事での経験を通して、「どんな国にも組織にも、良い奴もいれば、悪い奴もいる」と思っていました。
でも、中島さんは、全ての人を在るが儘に、受け容れている。自分の未熟さを感じました。
優しいお説法を聞いているかのようです。
中国のお寺での経験など、そうそう伺えるお話ではありません。
中国と日本、どちらがよくてどちらが悪いというお話ではありません。
人類的には同じルーツを持ち、日本の大方の文化はこの中国からやってきているのに、異なる現在のお互いの国の考え方や文化。
作者さまほどではありませんが、中国で暮らしていたことのある私にとっては、「あるある!」と画面を指さすご指摘も多々見られて心が和みます。
仏様のお話から歴史や環境問題まで、幅広い知識に裏付けされたお話。
滑らかな文章で心にすっと入ってきます。それは水か何かのように。
このお説法で心が満たされ、今日も穏やかに生きていきたいなと思わせてくださいます。
高野山と言えば関西を代表する世界遺産であり、その僧侶となれば高尚なのかと思いきや意外にも世俗的で親近感すら涌いてきました。今の時代、お坊様もオートバイに乗るわけですから、インターネットを駆使したりカクヨムにも登場したりしてもおかしくありません。自由に表現出来る時代になったな、と。主となる仏教からの引用や中国での経験談、かと思えば野球や漫画、アニメ、さらには聖書からイスラムに至るまであらゆる知識が網羅されています。わかりやすいし、それは、僧侶だけに有難い説法のようでした。とても教訓になりましたし、日本語の美しさを顧みるコラムでした。合掌。
すごい。まだ最初のページしか読んでいなくても解かる。そして勿体無い気持ちが湧き出した。カラーの、史跡資料の写真がついていて、装丁のキチンとされたA5版の書籍で出会いたかった。
エッセイが読まれる為に必要な条件は、著者が普通の人でないこと、舞台が普通に過ごしていては行けない場所であること、知識が普通の人では追いつけないこと、などがあると思っているが、それらを見事にクリアしていて、なおかつ文章が読んでいて心地良い。
こういうのが埋まっているんだから、SNSの投稿サイトは馬鹿にならないんだと確信させられる。
書籍化される事を祈ります。
いやはや、俺のエッセイに星つけてる場合じゃあないですよ。恐れ多かった。あまりにも。
相互がどうだこうだ言う人がいたら怒るよ俺は。この件に関しちゃあ。
もう大興奮ですよ。読むべきすぎる。そう言っても信用しない疑り深いみなさんに読みどころを紹介しましょう。
仏教的な話がメインかと思いきや、中心になるのは「言葉」の話であり、これがしっちゃかめっちゃかに面白いです。
ご自身が卒業論文で日本語の擬音を扱ってらっしゃったというのも納得の、日本語と中国語の違い、だけではなくて、そこに含まれる精神性までの考察がハイパーウルトラ面白い。いやぁそれにつけても俺の語彙の乏しさ……何がハイパーウルトラだよ……恥じ入るばかりです。
そんでご尊父がまさかの……マジかよ……いや俺はもう大大大ファンです。最高すぎる。そんで、別に親の七光りとかではまったくもってなく、このご尊父の話もめちゃめちゃ面白いんです。
あーダメだー、これはヤバいですね。金を払ってでも読みたい。むしろ「高野山教法」購読したい。こんな面白い話載ってたら修行の妨げになるんじゃあないですか。すげー。
とにかく読みましょう。五万字到達を楽しみに待ってます。十万字でも百万字でも待っております。いやー素晴らしい土曜の午後でした。はーいい。面白い。
「説くことなかれ己の長、道(い)うことなかれ人の短」
大変心に染み入る言葉でした。俺はそこまで悟れてないので、そのあとの「うまい」「まずい」のくだりについてはついつい言ってしまうところでありますが(このレビューのタイトルとか)、この言葉くらいまではなんとか到達してみたい所存です。