第五章 一節

 三月二十二日。晴天。ターミナル第六展望ブロック。


「それが一週間前の話か」


 眼鏡を拭きながら僕は、対面に座る無垢な少女に尋ねた。


「ええ、あなたにもあの時のゼロワンの顔を見せてあげたかった。こーんな変な顔してたのよ」


 そう言って彼女は両手の人差し指を口に入れ、左右に大きく引っ張った。その悪戯っぽいさまに、行儀が悪いよ、と僕は彼女をたしなめた。


「はーい」


 と素直に応じた彼女だったが、その顔には変わらず無邪気な笑みが浮いていた。


 ゼロワン――御剣颯が自らの存在を知ってから一週間が経った。

 僕――鞍馬総一郎は、ターミナルの最上層、第六展望ブロックにあるノア――海馬沙耶の専用居住区で、天板の丸い白テーブルを挟みつつ、彼女の出した紅茶をすすっていた。

 颯が自分の身の上を知って以来、今回が初めての面会だった。

 遅すぎると言えば遅すぎるだろう。予防局のお歴々への申請に右往左往させられたあげく、所用を果たすのに少しばかり時間が掛かってしまった。


 海馬沙耶の専用居住区は、ターミナルの内部でありながら天井と呼ばれるものはなく、見上げればそこには、春の日差しを思わせる暖かな太陽光が投影されていた。

 沙耶は好んで着る白のワンピースに身を包み、僕の話を楽しそうに聞き入っていた。


「鞍馬博士も献身的よね。あんなプログラムのために何年も監視を続けているなんて」


 彼女はテーブルに両肘を突き、あごを載せた。椅子が高いせいで床に届かない足をぷらぷらと揺らす。まるで子供だ。

 発見当時十歳だった彼女は、ルーインに収容されて十年が経った今でも十代前半の、およそ年齢にそぐわない体型と容姿をまとっていた。僕や上位研究員同様、直接プログラム権限を行使できる彼女自身が、その年齢の容姿を望んで設計しているからに過ぎないのだが。


「それが僕の役目だからだよ。責任と言ってもいいかな。これは僕がやらなければならないことだと思う。それにはづきさんが作ったウィルスを止められるのは、僕くらいだろう?」


 僕は眉間に皺を寄せた。それに対して沙耶は首を曲げる。


「わからなーい。役目とか責任とかってそんなに大事?」

「沙耶も社会に出ればわかるよ」


 それはあまりに皮肉過ぎただろうか。彼女は僕の造ったルーインシステムが崩壊でもしない限り、社会に出ることは出来ないのだから。

 しかし、どうやらこの心配は杞憂だったらしい。


「んー、わかった。鞍馬博士は賢いのね」

 

 ニコリと朗らかに微笑む沙耶。勉強嫌いのこの女の子は幾分常識力に欠けるところがある。一般的な発育環境に置かれていないことも拍車を掛け、それは彼女の知能の発達に大きな影響を与えてしまい、実年齢よりもかなり幼い態度を取ることがままある。


「勉強を怠らないことだね」


 だからということでもないが、僕はまるで教師然として彼女の鼻先をつついた。そして座り直し、再度紅茶に口を付ける。その時――


「ん?」


 耳元でアラート音が鳴った。

 非常警告。どうやら下での戦いが激化しているらしい。


「二人はとても強いわ。投入したすべての機体が壊される。そんな未来が視える」


 一転、冷ややかな声の沙耶は、見ればカップに溜まるコーヒーを眺めていた。

 やがてカップから目を離した彼女は右手の指を左から右に滑らし、空中に横線を引いた。引かれた線は青い光となって具現化し、形を変化させると、見る見るうちに拡大してテーブルクロス大のホロウィンドウとなって僕たちの前に広がった。

 薄青いウインドウには、蛍光グリーンのタワーが立体映像として浮かんでいる。

 ターミナルの全景だ。映像は半透明状で内部を見通せるようになっており、中層と最下層に赤い光点が一個ずつ、それを覆い隠す無数の青い光点――機械たちと、さらに最上層――僕たちのいる第六展望ブロックにオレンジ色の光点が三個光っていた。そのターミナル全景に付随し、さらに二つのモニターが開く。そこに映し出された映像には、それぞれ黒いコートにフードを目深に被った二人の人物が、群れになった機械と戦闘を繰り広げる光景が映っていた。


「中層にいるのが八神まどか、侵入したのが一時間十七分五三秒前。最下層にいるのがあなたの親友、侵入したのは六分十九秒前、二十秒前。どうして別行動をしているのかしら?」


 文書を読むような抑揚のない沙耶に、モニターを覗き込みながら僕は顎を擦る。


「おそらく……打ち合わせなしでの行動だろう。あの二人は最終的に決別していたからね。どこかで再度結託した可能性もあるが、これだけのタイムラグで侵入する意図がわからない」

「じゃあ偶然、襲撃日時が重なっただけということ?」

「別れてからも八神まどかがモニタリングしていたんだと思う。颯が着ているコートはこちら側にはないかなり独自の認証コードと言語理論を含んでいたから。たぶん、追跡型アプリケーションが機能していたんだろう」


 はづきさんの作りそうなプログラムだ、と僕は最後に添えた。


「この速度だとここに到達するのも時間の問題ね。ほらここ、彼もうすぐ第二展望ブロックに着くわ」


 沙耶の細い指が差す部分に、僕は眼鏡のズレを直しつつ目を凝らす。確かにさっきまで最下層にあった光点は、流星のような速度でまもなく第二展望ブロックに到達する頃だった。第二展望ブロックが建物の中腹にあることから考えて、並みのスピードではない。八神まどかがその地点に到達するまで実に三十分を要したから、その驚異的な速さがよくわかる。


「オペレーター、ロンギヌスを全投入してください」


 晴れた天井を仰ぎ、僕は見えない何者かに指示を出す。颯相手にとても通用するとは思えないが、建前上そう指示しないわけにはいかない。


「全投入って、来年の予算案を圧迫しそうね」

「そうなったら、その時さ。彼らを止められないよりはマシだろう」


 くつくつと笑う沙耶に対して、僕は立ち上がり、居住区の扉へと向かう。


「博士の活躍に期待しているわ。水の中には……あなたが彼を止める未来が視える。だから気兼ねなく行ってきちゃって!」


 胸を張り彼女は椅子を降りると、ぴょんと跳ねながら大きく手を振った。


「未来か…………これは、キミのシナリオ通りかい?」


 彼女の言葉に振り返り問う。疑っているわけじゃないが、嫌な予感がしてならない。

 すると、その質問に、弛緩しきっていた沙耶の表情がピタリと止まった。

 彼女は目を細めて僕を数秒の間睨み、だが、すぐにいつもの柔和な笑みを取り戻した。


「ええ、すべてあたしのシナリオ通りよ」



 ターミナル最上層。第六展望ブロック前大広間。

 銀板を敷き詰めた床の上で、僕は掛けていた眼鏡を胸ポケットにしまった。


 ――この五年間、いや彼が生まれてからの十八年間。僕は彼に謝罪して足りぬ迷惑と苦労を掛けてしまった。ずっとずっと、それは僕の罪として心に楔を打っていた。

 償っても償い切れないそれは、もはや僕の責任ともなっていたが――


 それも今日で終わる。今日、すべて終わらせる。


 ターミナル最上層、一辺二十メートルある正六角柱の箱の中。壁とガラスが交互に三枚ずつ張られ、天井にしても先の沙耶の部屋同様、投影型スクリーンによって青空を映し出す。

 その箱の中で僕は颯を待っていた。

 扉は二つ。僕の背後にある海馬沙耶の居住区へ進むための扉と、僕の正面にある階下から繋がった扉。沙耶と接触しようとするなら、この大広間を通らないわけにはいかない。

 そして今、僕の正面にある階下から続く扉がゆっくりと左右に分かれた。


「久しぶり、だね」


 そこには――黒いロングコートをまとい、目も窺えぬほど深くフードを被った人物が立っていた。黒い革手袋のされた手には、赤色に塗装された頭が――首から下を失い配線を木の根のようにぶら下げるロンギヌスの頭が握られていた。


「……」


 彼は無言で空間を見回した。隅から隅までゆっくりと頭を動かし、最終的に僕に焦点を合わせた。手から機械の頭がこぼれ落ちる。


「久しぶリだな」


 その声は僕の知っているものより低かった。ノイズも交じっていたように思う。


「調子はどうだい?」

「調子? あまりよくないな。そっちは?」

「僕も……似たようなもんだよ」


 冗談めかしく言ったけれど、少しも表情を緩めなかった。緩めていいような、そんな状況じゃないことを僕はちゃんと自覚していた。


「そうか……元気そうでよかった」


 彼も一切笑わず、その代わりに腕を上げ、立てた人差し指で僕の背後を示した。


「そこにいるのか?」

「そうだと言ったらどうする?」

「そこに行くだけだ、それが目的だから。でもきっと――」


 お前は邪魔をするんだろうナ、と彼はどこか楽しそうな声をする。


「わかってくれているなら話は早いよ。僕はキミを止める。それが……?」


 僕の返答に、彼は立てていた人差し指を手の平に変えた。待て、と僕の言葉を遮るように。


「鞍馬はどうしてそこまでするンだ? そんなにこの世界を壊されるのが嫌か?」

「それは……」


 その質問に言い淀む。うまく言葉が思い浮かばなかった。いや、言葉は浮かんでいた。ただそれを言うのは憚られたんだ。

 今さらそれを口にすることが僕に許されるのか、と。


「聞いてほしいことがある。ずっと昔の話だ……」


 僕は語り出した。

 過去に起きたウソ偽りのない真実を。



 ゼロワンが誕生したのは、僕が大学二年生になった冬だった。

 しんしんと雪の降る夕暮れのこと。僕は一人で研究室にこもり、シート型タブレットと紙の資料本、空間に投影したホログラムと長い間睨めっこを続けていた。それらすべてに共通するのは、僕が大学で専攻する実践AI工学である。

 従来の学習理論や計算方式を見直して生まれた仮定を実証するために奮闘していた。

 その仮定は――AIを人間同様の発達過程で育成することの必要性だ。

 この研究自体は、すでに何十年も前から多くの人間が繰り返した考えだが、僕はあらゆる観点、学問の考えを援用して、もう一つ――ある点に着目した。


 それは――『愛情』だ。


 人間の発達段階に必要な母親との愛着形成を、そのままAIにも当てはめることにした。

 人は突然生まれたりはしない。突然母親になつき、愛するようになったりはしない。発達学において愛着関係の形成は、その後の子供の発育に大きな影響を与えるという。適切な段階を踏み、適切な身体的関係を経て、人は人へとステップアップを果たすことが出来る。

 今までの研究は急ぎ過ぎた。急激な成長は望ましい発育を生まない。そんなものこれまでのあらゆる研究からわかっていたことだ。

 だから、僕はプロトタイプであるゼロワンに、人間と同じ発達過程を強いることにした。


 それが大学二年の冬。長い戦いの始まりだったと思う。


 まず僕は、コンピュータ上にゼロワンの基盤となる初期のプログラムを形成した。とても簡素なプログラムの集合に過ぎないものだ。

 さらに同じ研究室にいたある人物に実験協力をお願いした。

 八神はづきである。

 僕の研究に非常に強い興味を示した彼女は、その実験計画に強く賛同してくれた。

時には対立することもあった。時には彼女の助言が問題の解決に繋がったこともあった。

 だが、僕がゼロワンの父親ならば、彼女は間違いなく母親だろう。

 僕たちはゼロワンに『愛情』と呼ばるものを注ぎ続けた。その間ずっと一緒にいたものだから、その『愛情』が転じて僕自身、はづきさんに惹かれていたことを否定しない。

 研究は一向に上手く行かず、長い月日が流れた。研究の見直しが脳裏をよぎった。

 だが、ゼロワンが誕生してから四年目の冬。僕はゼロワンに人間とほぼ変わらない精神が形成されたことを認めた。


 彼は僕を父親と定義し、はづきさんを母親と明確に定義したのだ。


 その時点を持って、ゼロワンに『SXH‐01』という識別番号を付けた。SOICHIROとHAZUKIを掛け合わせて『SXH』と命名した。

 この功績は大学院でも認められた。AI研究の第一人者として卒業後の僕の政府配属まで約束された。それは僕の人生で最高の栄誉といっても過言ではなかった。

 本当に嬉しかった。自分の研究成果が認められた。手放しで喜んださ。


 ――だけど、ある問題が浮上した。


 つまり、『愛情』という曖昧なものが研究の助力となり得るか、だ。この研究はあくまで僕個人の成果であり、はづきさんの助力の一切が認められなかったのだ。

 もちろん、僕がそれを必要とした以上、そうあるべきだと抗議したのは言うまでもない。けど、大学はその考えを退けた。


 完全に僕の落ち度だった。僕のミスだった。


 そして、それから数カ月後のある日――悪夢の日が訪れた。

 八神はづきが大学から、いや世間から忽然と姿を消したのだ。


 ――ゼロワンと共に。


 そう、彼女は僕の研究成果を奪ってどこかにいなくなった。

 僕は失意に溺れた。彼女を失い、ゼロワンを失ったことによるショックは、いまだかつて計り知れないものだった。

 その反動から、僕はなおさら研究に没頭するようになったのは必然だっただろう。

 文献を貪り、寝食を忘れ、ひたすら研究室に閉じこもってAIと向き合った。

 やがて政府職就任から数年後、脇目も振らぬ盲進を続けた僕は、ゼロワンから応用して人工知能技術を発展させることに成功し、同時にあるチームで計画されていたルーインシステムの完成を成し遂げた。

 その功績が正統に評価され、僕は首都第三研究所の主任に任じられた。幸せだった。今度こそ自分は成功したんだって、ようやくそこで納得した。

 システム稼働後は至って順調だった。囚人との会話の齟齬はほとんどなく、脱走者もこちらの想定を下回っていた。外側からの圧力もその快調な稼働ぶりから黙らせることができた。

 しかし、稼働から四年が経った夏。すでに友人だったシステムの要――海馬沙耶が奇妙な予知をした。

 それは二つ。


 ――コンピュータウィルスがあたしを殺しにくる。

 ――共犯者の名前は、八神はづき。


 その言葉に、僕を含む関係者一同は驚愕した。これはあまりに異例の出来事だった。

 何故なら、過去かつて彼女の予知に人でないものが映ったことはなく、加えて彼女の視る犯罪の場面は一面的で、実行犯は視えても、その共犯者を特定することはなかったからだ。

 何かの間違いと思われた。だが――その予知は現実となって訪れた。

 

 二一〇〇年、五月五日。ルーイン稼働後史上初となるサイバーテロが行われた。


 そして驚くべきことに、その時送りこまれたコンピュータウィルスがゼロワンだった。僕の知らない新しいプログラムコードが書き加えられ、彼はウィルスとして僕と再会した。

 あらゆるプログラムを解体するデリートプログラム――それが破壊の力の正体だ。

 その力は、ルーインに設定した三十八個のセキュリティウォールを次々と突破していった。AIを搭載しているゼロワンは、あらゆる形状のセキュリティの脆弱性を即座に発見し、またその高い変容性によってプログラムコードを変え、こちらの攻撃をたくみに回避、進行した。

 ルーインの破壊は、時間の問題に思われた。


 ところが、あることが起こった。


 ゼロワンが二十九個目のセキュリティを突破した直後、その破壊活動を急に停止させたのだ。

 その不可解な停止を目撃した僕は、即座に行動に移った。停止状態のゼロワンをすぐに凍結し、ルーイン内に保護することに決めた。保護と言ってももちろん調査対象としての。

 それに対し、政府上層部は即時破壊を要求したが、僕はそれを断固拒否した。

 出来るわけがない。僕と彼女との製作であるゼロワンを壊すなんて出来るわけがなかった。

 その後の調査は、ほとんど僕の独断で行われた。その結果、二つのことが判明する。


 その一――ゼロワンが停止したのは、自らのプログラムを自らで破壊してしまったことが原因であるということ。どうしてゼロワンが自己破壊行動を起こしたのかは、いまだに不明だが。


 その二――プログラムの一部を欠如してなお、ゼロワンにある自我プログラムがまだ変化を続けていたこと。およそそれ以前の記憶――大学での記憶、はづきさんに奪われたのちの記憶が消えてもなお、ゼロワンは新たに生まれ変わろうとしていた。


 以降、ウィルスはルーインの中で成長を続け、最終的に一つの人型プログラムを形成した。


《御剣颯》の誕生だった。それが今から五年前のことだ。


 僕はすぐさまアプローチを試みた。《御剣颯》が僕の知っているプログラムをまだ持っているのなら、ちょうど年齢は中学二年生で、確かに彼は中学二年生の思考精神を保持していた。

 時を同じくして、未来犯罪予防局から天宮雫が僕を尋ねた。

 彼女は『ミストラル』と呼ばれるテロ組織を追っているらしく、そのリーダーである八神はづきを逮捕するために、《御剣颯》と接触したいのだという。随分と肝の座った若者だと思った。配属二年目にして、いつデリートされるかもわからない死地に赴こうとは。

 結果彼女の読みは当たり、八神はづきを逮捕することに成功した。

 逮捕後事件解決のためと言い、はづきさんをルーインに移送した僕はそこで彼女と面会し、ゼロワンを奪い大学を去ったこと、ゼロワンにウィルスプログラムを書き加えサイバーテロを起こしたことが事実であることを確認した。

 けれど、その動機を彼女が口にすることはなかった。

 彼女の記憶を操作しなかったのは、背後にあるテロ組織の手掛かりになるという理由を含め、本心では彼女に更正の余地がないと判断したためだ。そのあげく、こちら側のセキュリティの脆弱性を突かれているのだから、僕の判断ミスであることは逃れられない。



「元はと言えば、僕がキミを奪われたことに起因する。すべて僕の責任なんだ」


 過去を思えば、感傷的な気持ちにならずにはいられない。はづきさんとの研究は、いくらその結末が悲惨なものであっても、楽しかったことに変わりはなかった。大学でもほとんど友達のいない、むしろ友達など皆無と言って過言でない僕にとって、それは大切な思い出だ。

 否定はしない。するつもりもない。

 その大切な思い出によって生み出されたゼロワン――颯を否定することもまた出来なかった。


「最初はキミを研究対象としてしか見ていなかったと思う。一度組み立てられたプログラムを自らの力で消去し、再構成する。そこから僕でさえも想定していなかった新しい自我プログラムを構築したキミを、僕の研究者としての探究心が勝っていただろう」


 それもウソではない。

 元々、ゼロワンが造られたのは研究の一環なのだ。だったらその成長過程を科学者が観察するのは当然のことだ。たとえそれが別人によってプログラムを書き換えられ、人を殺すために存在するのだとしても、僕が持つ『知りたい』という欲求を止めることにはならない。逆に拍車を掛ける要因だと言ってもいい。


「だけど、それは本当に最初のうちだけだったんだ。ルーインシステムの完成によって僕の目の前にディスプレイの向こうではなく、五感すべてを通して存在したキミと触れ合った。そうすることで思った……」


 僕は唾を呑む。彼は微動だにしない。


「――僕はキミと友達になりたい」


 勉強一辺倒でうだつの上がらない僕にも彼は隔てなく接してくれた。ファーストコンタクトの段階で彼のAIとは思えぬ特異性を見せつけられた。

 数日、数か月、数年をともに過ごすうちに、僕はまるで本物の人間と接しているかのような錯覚を持つようになった。それから彼と、友達になりたいと思うようになったのは必然のことだった。息子でもあり親友でもある。そういう特別な存在になりたかった。

 その日を境に僕はある計画を立てた。


 ――御剣颯をこのルーインから脱獄させる。


 僕が用意した生体アンドロイドを用いて、外の世界で彼を生かす。

 このニセモノの世界でなく、本物の世界で生かす。

 彼はそれを望まないかもしれない。でも、彼はこんな小さな世界で生きるべき存在ではないんだ。もっと知るべきだ。世界のことを、外の世界のことをもっと。

 どんなに不幸になろうとも。どんなに辛酸苦汁を舐める結果になろうとも。

 それがどんなに困難な道のりだったとしても諦めない。幸い、雫の協力も取り付けることが出来た。彼女も颯を救いたいと言ってくれた。

 颯と僕と雫の三人が力を合わせれば、なんだって出来ると思った。


「問題は二つ」


 僕は指を二本立てる。


「キミにキミが人間でないことを伝えるべきかどうか。でも、これは即座に却下した。この世界では、キミは最も厳重な監視体制の下に置かれていたから、その事実を伝えることは僕と雫の計画に支障をきたすと考えた。政府側に僕たちの企みを知られないようにするには、すべてを秘密裏に進める必要があって、出来ることなら、脱獄ギリギリまで伝えるべきではないと思ったんだ」

「生きることはうまくいかないことのほうガ多いな」


 片手を腰に当て、彼はもう一方の手で後頭部を掻いた。フードの上から。


「もう一つはその脱獄の決行日。こちらは海馬沙耶の予知が助けになってくれた。彼女もこの計画には協力的でね。まあ、沙耶も自分を殺すかもしれないキミを外に出せるのなら、と思ってくれたんだろう。いくつかの問題が発生したが、十分な役割を果たしてくれた」

「…………ああ」


 彼は曖昧な返答をする。海馬沙耶という名前が気に食わなかったのかもしれない。


「だけど、僕たちの計画のすべては八神姉妹のせいで台無しになってしまった」

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