第五章 四節

 八神まどかが右へ左へ、頻りに宙空を見回した。

 盛んに首をめぐらす彼女の周りには、光を反射し、鈍いグレーに発光する球体は緩慢な動作でとめどなく回転している。

 その数――十三機。それは不規則な動きでコンテナの間を泳ぎ回る。


「接触性の機雷……それに接触物の個体識別の可能なものですか……」


 試しと言わんばかりに落ちていた瓦礫を機雷に投げつけた八神は、瓦礫の直撃でも爆発しないそれを目で追いながら、同時にあたしに疑問を投げつけた。対して、あたしは手にした最後の機雷を起動し、浮上させる。


「今のあたしじゃ、あんたを捕えることが出来ない。だから、少しでもいい。これであんたに隙を突けるならそれだけでいい」


 触発性対人認知空中機雷――通称、デトネーター。

 最新鋭のAI技術を実装したデトネーターは、本来装填する鉄弾の代わりに、内部に小粒のゴム弾を大量に装填している。

 しかし、この機雷の持つ最大の特徴は、通常の機雷とは異なり、接触した対象を個別認識することで爆発の実行と非実行を判定することが出来ることだ。

 その判定要因はDNAの塩基配列。物体との接触時に、特定のDNA構造を持つ者がデトネーターの表面から一〇センチ圏内に存在していた場合のみ、この機雷は爆発する。つまり、瓦礫やあたしとの接触では爆発せず、八神まどかにだけ反応する。


「十四機の機雷には一定時間ごとにそれぞれ十通りの異なった浮遊パターンを持たせて、同時にアルゴリズムでよりランダムな軌道を描くようにしているわ。設定したあたしでもすべての軌道は読めないし、それに――」


 ――もう一つ、今回のこれにはちょっとした細工が施してある。それは……、


「実はね……これに設定したDNA、八神はづきのDNAなのよ」


 その言葉にまどかのこめかみが微動した。小さく息をつく。


「つくづく癇に障る人ですね……」


 彼女は手にした刀を振ると、次の瞬間、機雷をモノともせぬ動きで走り出した。


「ええ、そうです……私は、私はお姉さまのッ――」


 そしてあたしの鼻先まで接近すると、それを上段に振り上げた。

 ガチッと鈍い金属音が鳴り響く。ギリギリとしのぎを削る。


「なるほど……あなたは剣道部でしたか」

「これでも有段なんだけどねッ!」


 あたしが前に強く踏み込み、現出させた刀で斬り込むと、彼女は大きく後方に跳び退いた。さらに数度下がり、そこを通過した機雷を避ける。まどかは鼻で笑った。


「私は……八年前、お姉さまのバックアップとして誕生しました」


 静かに語り出す彼女は、懐から黒々とした銃を取り出した。


「もともと身体の強くなかったお姉さまは、周囲の人間にもなかなか姿を見せず、ミストラルでも上位の人間しかその顔を知らない、いわば象徴的な存在でした」


 銃を携えた腕をしかと伸ばし、まどかは引き金を三度引いた。それは浮遊する機雷に余さず命中し、無理やり軌道を変えた。


「次第に内部での存在を疑われ始めたお姉さまは、《自らの妹》という目に見える、より具体性の高い存在を用意し、組織を指揮させることで、自分の存在を強いものとした」


 撃たれた機雷は左右に分かれ、やがてあたしと彼女の間に一本の道を造り上げる。

 開始の合図は明白だった。


「私はッ! 遺伝子を操作されッ! より強くッ! より完全な個体として造り上げられたッ!!」

「――くッ!」


 振り下ろされる凶刃があたしを襲う。こすれ合う刀が幾度も音を立てる。

 彼女の怒りに合わせ、それは強く反響する。


「《まどか》とは完全なものの証として付けられた名ッ!」


 腰を狙い横に刀を薙ぎ払えど、まどかは身を引き、僅差での接触も許さない。


「ヌグッ!!」


 鮮やかに身をくねらせたまどかの右足があたしのみぞおちをえぐる。胃袋を歪め、骨をきしませんばかりの一撃にあたしは圧され、床を弾んだ。


「何という皮肉かッ! 私は組織で、笑われ者だった! 私などお姉さまの半分にすらなれないのに大それた名だと、嘲笑われたッ!」

「お、大いに同感ねッ!」


 追撃を目論む彼女の接近に、あたしはすかさず立ち上がり、刀を握る手に力を込める。


 しかし――


 面を取ろうにも、軽やかなステップで退く彼女に届かない。型の不明瞭な、まるで円を描く独特の太刀捌きで、動きに予測がつかない。


 ――厄介ね……。


 縦に振ったかと思えば、横から刀が伸び、踏み込み切り上げられたかと思えば、それは突きとなる。時おり、片手にした銃を組み合わせるんだから、なおさらやりにくい。

 お互いに息は切れない。プログラム世界じゃあ、やろうと思えば精神が切れない限りいくらだって殴り合うことが出来てしまう。あいにく、あたしも彼女もそれをやるだけの精神力を持ち合わせてしまっている。

 あたしは近くを接近したデトネーターを、まどかに向けて蹴り飛ばした。


「私は不完全だッ! でもッ、お姉さまはそれでも認めてくれたッ! そして彼も……」


 しかし、彼女は切っ先を機雷に立て、撫でるようにいなした。直後、間隙を埋めんと彼女は走り出し、あたしへと肉薄する。

 迎撃態勢。刀を上段に構える。だが――


「ちょッ!」


 寸分狂わぬ間合い。あたしの刀が間合いに入る直前、まどかは不意に跳躍し、あたしの背後に着地した。その容姿と合わせて、まるで黒猫がじゃれるがごとく華麗な挙動で。


「こんにゃろ!!」


 即座に反転。振り向きざま、足の運びなど度外視に刀を振り下ろす。

 衝突。小さな火花が散る。


「きっとなんとかなる、と私を励ましてくれたッ! 彼は、この任務は私にしか出来ないと、認めてくれた! 私はそれで充分だったッ!!」


 檄が飛ぶ。まどかの心があたしの胸を打つ。

 でも、その気持ちはあたしだって負けない。


「あいつバカで、めちゃくちゃお人好しなのよッ! 誰だって助けちゃう、そういう大バカ野郎なのよッ!!」


 息の触れそうな距離での友達自慢。最高の友達自慢。


「だから、颯はあんただって助けたッ! だから、ソウちゃんも、あたしも颯に助られた!」


 ――だから、今度はあたしたちが颯を助けるのッ!


 そして、反撃へ。

 一歩、二歩と後退しまどかとの距離を取ったあたしは、握っていた刀を一度消失させる。しかる後、振動砲の暴発で壁際に押しやられていた鉄柱をむんずと掴んだ。


「ふぬぬぬんううう、あああぁぁッ!!」


 長さ十メートルはあろうかという鉄柱を持ち上げるあたし。それをそのまま、まどか目掛けて投げ付ける。

 巨大な鉄柱はけたたましい音とともにフロアを転がった。まるで陸に上げられた鮮魚がのたうつかのように七転八倒する鉄柱に――しかし、まどかはバウンドのタイミングを突き、小さな体躯でもって滑るように潜り抜けた。

 二本、三本、四本。数百キロはくだらない鉄柱を、次から次へと、ありったけ放り投げる。プログラム空間ならではの怪力をいかんなく発揮する。


「ヤケクソですか。――――ッ!?」


 鉄柱を避けたまどかの目の前を――出し抜けにデトネーターが横断した。


 ――来たッ!


 正確な話をするわ。

 デトネーターを設置した際、あたしは『設定したあたしでもすべての軌道は読めないし』と言った。だけど、本当は一定の浮遊パターンを持たせたものを混ぜていた。あたしが完全に軌道を把握している機雷をいくつか仕込ませておいた。


 その数は――六機。そのうちの一機にまどかと刀を重ねた瞬間に気が付いた。


 浮遊パターンは、直進からの急下降。さらにそこから左右への蛇行。

 その動きを理解していたあたしは、連続鉄柱投げっていうとち狂った行動に出た。

 そして、これも計算通り――

 あたしは右手に出現させた38口径を、その彼女の目前を通過するデトネーターに向けた。

 発砲。

 要領としては、さっきまどかが行った機雷の軌道を変える作業に近い。だけど、今回はその逆――機雷をまどかに集めるための一撃。


「――――ッ!!」


 彼女の顔が驚愕に染まる。

 機雷の出現による不意打ち。強制的な軌道の変更。

 この二つは、まどかの隙を突くに充分だった。

 発光。小さな炸裂音を発し、無数のゴムの塊が乱れ飛ぶ。それは余すことなくまどかの身体に吸い込まれた。塊の一つが遠く離れたあたしの頬をかすめていった。

 小さな身体が虚空を舞う。

 好機到来。


「えええああああぁぁぁぁ―――ッ!」


 宙に爆ぜたまどかに向け、銃を刀に持ち替えて猛然と走り出す。

 天高く掲げた得物を勢いのまま思いっきり振り下ろす。それに対し、咄嗟に片膝を突いた彼女は息も絶え絶えに刀で防ぐ。

 だが、その態勢はあまりに無理が過ぎていた。


「あんたに同情する気はないわ! あんたがクローンだろうがなんだろうが、あたしにはこれっぽっちも関係ないッ! 悲劇のヒロインぶんなッ!!」

「くッ、んぐッ」


 まどかの表情が険しくなる。ぐっと踏み込んだあたしは、上から圧し掛かるように力を掛け、彼女の刀を床にまで下げる。ついで、あらわになった彼女の刀の柄頭を拳で叩き付けた。刀は鈍い音とともに床に刺さった。

 深々と刺さり起立する刀を手離し、彼女はもう一方の手に携えていた銃を持ち上げようとする。けれど――


「させないわよッ!」


 その銃があたしに狙いを定めるかの間際に、握る腕をまるごと斬り落とした。


「アアアアッ!!」


 悲鳴。腕口から血を噴き出し、まどかはたまらず傷口を抑えた。それでもなお、血液は溢れ、血だまりが累々と広がっていく。その中にぽつんと銃が取り残された。


「む、無能……というわけでは……ない、ようですね」


 全身に数え切れないゴム弾を喰らい、片腕を失った彼女はその場で仰向けに倒れた。


「動かないほうがいいわよ。たぶん肋骨もぼろぼろだろうし、出血ひどくなるだろうし。この世界で死んだら、現実でも死ぬ。あんたの言葉よね?」


 あたしは彼女の首に刀を添えた。いつかとはまったく逆の光景だった。


「安い挑発に乗り過ぎよ、あんた。冷静ならきっと機雷にも気付けた……クローンであることってそんなに悪いこと? あたしはそうは思わないけど……」


 そもそも、コンピュータウィルスである颯を助けようとしている時点で、クローンもへったくれもない。だから、本心を口にしたつもりだった。なのに、彼女は――


「……黙れ」


 黙れ、と憎しみを並べた。カッと見開かれた丸い瞳から、涙が一滴こぼれた。


「私は……クローンだって構わなかった。ただ……ただ、一つの存在として、認められれば……それでよかった……。それを認めさせる……機会を、得たのに、私は……」


 彼女の言葉の一つ一つは、呪詛の一文のように聞こえた。


「失敗した……この私が、お姉さまを助けられなかった……彼を……助けられなかった」


 最後の一文に、あたしはまどかの襟を掴んだ。顔を突き合わせ、厳しく睨み付ける。


「颯は死なせない! 絶対にソウちゃんがなんとかしてくれるッ!」

「なぜ……なぜ、そこまで信じることが出来るのですか……」


 鮮血を滲ませながら放たれた彼女の問いに、あたしは堂々と宣言した。


「楽しかったからよッ! たったの五年間だったけど、二人と一緒にいて心から楽しいと思った。最初は気が進まなかったわ。せっかく予防局に入ったのに、意味のわからないコンピュータの中で、潜入任務なんかしなきゃならなくなるなんてね」


 だけど――


「だけど、今は違う。辛い時も悲しい時も、どんな時も三人は一緒にいた。颯がウィルスだからとか、ソウちゃんが主任だからとか関係ない。楽しかったのよ! ここで過ごした五年間がどうしようもなくね! だから二人のためなら、あたしだって命を懸けられる」


 それはあたしの掛け値なしの想いで……あたしの本心で。

 その本心をぶつけんと息を吸い込んだその時、


「……え?」


 突如ターミナルが揺れた。鉄の擦れ合う鈍い音が無粋な伴奏を演じ、空間が大きく下に沈み込んだ。ターミナル全体が軋みを上げる。

 地震なんてありえない。それさえもプログラムで制御されてるんだから。


「きゃッ!!」


 騒然とした物音を立てて、天井が崩落した。落下してきた鉄材に噴煙がもくもくと立ち込め、一瞬の間視界が奪われた。唐突のことに口半開きで煙の先に目を凝らした。


「アアアアアアアアァァァァァァ――――――――――――――――ッ!!」


 叫び声。それも悲痛に呻く獣の声。

 床が断続的に胎動し、その都度びりびりと衝撃が襲う。

 赤い光が視界をよぎった。焼き付く紅蓮の炎が辺り一面を地獄に染める。あれは――


「ソウちゃん?」


 じゃあ……彼に馬乗りにされているのは――


「颯……なの?」


 燃える悪魔と化した鞍馬総一郎と、黒い死神と化した御剣颯。

 二人の親友は取っ組み合い、殴り合って――それはソウちゃんの防戦一方であったが、あろうことかターミナルの階層を十以上もぶち抜いた。

 あたしの声を聞き取ったのか、二人はほんのわずかの時間、視線をあたしに向けた。

 けれどそれも束の間、下に敷かれていた颯が思いっきり両脚を突き上げ、ソウちゃんをはるか上空に蹴り返した。あっという間に天井の穴へと逆戻りしたソウちゃんを追って、颯は――大きく屈伸をした後、矢のように鋭い跳躍をし、フロアを去って行った。

 その間、きっと五秒もなかった。でも、ことの重大さを知るには充分な時間だった。

 ソウちゃんがまとっていた赤く炎上する身体。あれは今回のために特別に組んだ強化プラグインを使用している証拠。それはつまり――ソウちゃんが颯の説得に失敗して最終手段に打って出たということ。

 そして颯の姿。剥がれた頬に透き通る白髪。眼帯で覆われた瞳にあの感情のない表情。


 ――あれは……誰なの?


「――余所見の……しすぎですッ」


 衝撃があたしを襲う。突如、八神まどかの右ストレートが腹部を強襲した。

 立ち上がったまどかは苦しそうに顔をひん曲げ、身を縮こまらせると、静かに後退った。


「もう、止めることは出来ま、せん。もう御剣颯は、止められない。彼の死は……運命で……決まっている」


 そう言い残して身を翻した彼女は、全身を引き摺りながらフロアに唯一の階段を下った。


「――ま、待ちなさいッ!!」


 追い掛けたかった。八神まどかはミストラルの最高幹部であり、その逮捕は予防局の絶対的利益になる。あたしの役目が彼女の逮捕ならば、そうすることは誰もが認めることだったはず。


 だけど――あたしは逡巡した。

 ――下に行くべきか……上に行くべきか。


「はあ……始末書……いや、辞表ものよね、これ……」


 自虐的に独りごとを並べるあたしはすべてを投げ出して――上階を目指した。

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