第二章 一節

 三月十三日。午後。自室。


 三月十一日――校長室で倒れ意識を失った俺は、鞍馬と雫の両名に担がれ、近くの私立病院に運ばれた。

 その後病院で目を覚ました俺はそのまま丸一日を過ごし、翌日十二日――医師による簡単な診断を受け、午後には晴れて退院という運びとなった。もともと貧血という診断だったためか、意外と早く病院とおさらばすることが出来た。


 風に吹きこむ桃の香りが鼻腔をくすぐる。庭に咲いた花が目にも鮮やかだ。

 現在俺は、自室の椅子から太陽のさんさんと照る外を眺めていた。何も暇を持て余した卒業したての高校生――いまだに実感が沸かない――が、自分の将来を憂いているなんて、ありがちな物語のワンシーンじゃない。

 いやまあ、将来について想いを馳せているのは、当たらずも遠からずくらいに的中している。違う部分があるとすれば、それは『自分の』というその一点に尽きる。

 まどろっこしいことを抜きに答えを言ってしまうと、俺は雫のことを考えていた。

 病室で目が覚めた瞬間、真っ先にあることが脳裏をよぎったのだ。


 それは――雫は鞍馬に告白したのだろうか?


 あの日、秘密の部屋を探す直前、俺と彼女は会話をした。


『もしもソウちゃんの言うとおり、この旧校舎に秘密の部屋があるとして、それを見つけることが出来たら――あたし、告白するよ』


 彼女は確かにそう言った。俺は覚えている。

 そしてまるでその言葉が奇跡呼び込んだかのように、俺たちは秘密の部屋を見つけた。黒と青の幾何学模様に満たされた空間――あれを秘密の部屋と呼ばずして何と呼ぼう。

 あの時、あの瞬間、俺と鞍馬には発見による達成感が生まれ、一方で雫の心にはある種の決意が生まれていたはずだ。


 なのに、だ。その彼女の決意を嘲笑うかのように――俺が倒れた。


「ぬうううう――ッ!! やっちまったよなあ」


 間違いない。あの二人は――とかく雫は、自分たち幼馴染のこととなると柄にもなく繊細で不器用になるきらいがある。あの場面、俺が倒れるなんて不測のアクシデントに見舞われれば、彼女はすぐに固め掛けた決意を引っ込めてしまうに違いない。

 事実、それを裏付けるように、俺の携帯にはメールも電話も着信ゼロ件という、もし告白していれば――告白されていれば、ありえないであろう状況に陥っている。

 居ても立ってもいられなくなった俺は椅子を滑らし、机の上にあった携帯を掴むと、実は本日三度目になる雫への電話を敢行した。だが、


「んー」


 携帯を耳に当てながら俺は眉に皺を寄せた。

 どういうわけか彼女は電話に出なかった。一度目も二度目もそして今回も、繋がったかと思えば聞こえるのは留守電用の平坦なアナウンス音声だけ。それが生の人間の声に変わることは一度としてなかった。

 不満には思うものの、その度メッセージを残すのに気が引けた俺は、何も言わず携帯を閉じた。


 再び椅子に身体を預け、窓から外をふり仰ぐ。壁の上に掛けられた時計の針がカチカチと静かに時を刻んだ。

 はたして何分経っただろうか。はあ、と大きくため息をつき、一気に立ち上がる。


「……行くか」


 協力を約束した手前、このままなんてありえない。たった一度のミスで俺たちの仲が悪くなったり、あの二人が疎遠になるなんてことは少しも考えられないが、それでも『なんとかなるさ』と軽口を叩ける状態じゃない。何より一度でも謝っておかないと、俺の気が済まないんだ。まったく、出来の悪い子供を持って苦労する親になった気分だ。

 休日に雫が行きそうな場所を二、三個考えながら、素早く寝巻を脱ぎ捨て、クローゼットから上着を引っ張り出す。それを頭から強引に被って、下は手近にあったジーンズをチョイス。続けて携帯と財布をポケットに突っ込み、勢い込んで部屋を飛び出した。


 が――勢いづくのはここまでである。


 たかが貧血されど貧血。医者からはさすがに絶対安静とまでは言われなかったが、善良なる両親からは外出禁止令を手厳しく喰らっていた。やや心配性な気のある両親なんだが、もしかしたら二人も出来の悪い子供を持って、苦労しているのかもしれない。

 ま、要するに現在の俺は、いかなる理由があろうとも家を出ることの出来ない状況に置かれていた。

 慎重に、慎重に。足音を消しつつ階段を下りていく。今日は日曜日のため両親ともに休日で家にいる。油断をすればすぐにでも見つかってしまうだろう。そろりそろりと下り、残すところあと一段。息を呑む瞬間だ。だが――


「もう……無理よ」


 悲痛な声が俺を呼び止めた。出し抜けのことに足を止め、反射的に耳をそばだてた。声はリビングから届けられた。


「もう、この任務を……降りたい」


 それは母さんの声だった。どうやら母さんは泣いているらしく、何度も息を詰まらせ、嗚咽を漏らしながら訥々と話していた。

 でも、何故だろう。そのセリフや言葉尻はいつもの母さんらしくない。


「わかっているだろうが、それは無理だ。任務を放棄するわけにはいかない」


 そして響く親父の声。二人の会話にこもった切迫感がそのまま俺に伝わってくる。


「放棄するわけにはいかないって言ったって、原因不明の電波妨害ジャミングで位置情報が取れないと報告を受けたわ。あのノアでさえ予測を立てかねてる。こんなこと初めてなのよ」

「だからこそ、ここでの任務継続が重要になるんだ」


 俺はリビングのドアの脇に背中を付け、二人の会話に聞き入った。


 ――一体何の話をしているんだ?


 任務だの、電波妨害だの。位置情報ってのは何の位置情報だ。誰の位置情報だ。


「無理よ……私たちで止められるはずがない。知ってるのよ。アレがソースコードに触れたって……プログラムの一つを跡形もなく削除デリートしたって……」

「ああ、それは私も報告を受けている」

「もしアレが人間を攻撃することになったら、それはただシステムをログアウトするのとは意味が違う。わかっているの? 下手をしたら死ぬのよ、私たち」

「もちろんわかっている!」


 親父の声に苛立ちが増した。びくりと心臓が跳ねた。


「ここ数日、ずっと予定にないシナリオ変更が続いている。一昨日の一件も鞍馬博士の独断で行われた。どうして博士はあんな場所にアレを連れて行ったのか……」

「それを言うなら雨宮もよ……あの二人、何を考えているのかわからないわ」


 鞍馬博士? 雨宮?

 いよいよわけがわからない。もし内容が知れたことならば、ここまで動揺することも混乱することもなかっただろう。けれど、今二人の間で繰り広げられている議論は、その範疇じゃない。二人からは到底考えられない、まるで人が変わったように意味不明な言葉が飛び交っている。


 そのトドメが――鞍馬博士と雨宮。


 博士なんて大袈裟な、呼び捨てなんて不躾な。それはわずかな差異だが、重大な意味を持って心に突き刺さる。今までそこにあって当然だったものが、一晩を越して忽然と消えてしまったような、それはそんな感覚に近かった。

 それともう一つ――二人が頻繁に口にする『アレ』。まさかな。


「なあ……何の話をしているんだ」


 壁から背を離した俺は、意を決してリビングに入った。

 問わずにはいられなかった。尋ねずにはいられなかった。訊かずにはいられなかった。


「は、颯ッ!」


 向かい合っていた二人は、ダイニングテーブルの椅子から弾かれるように立ち上がり、即座に俺を正面に捉えた。母さんが立ち上がった際、椅子が大きく後退し鈍い音を立てて倒れた。

 一瞬の静寂。牽制するかのように互いの視線が交錯する。

 その時の二人の表情は、おそらく俺は一生忘れられないだろう。

 親父と母さん、両方の瞳の奥には明らかな恐怖が浮かんでいた。母さんに至っては顔から血の気が引き、まるで化物でも見たかのようにひどく怯えている。


「聞いていたのか?」


 一方、武骨な顔を厳しく歪めてもなお親父は親父らしく振る舞った。


「少しだけな」

「そ、そうか……」

「それで? どういう意味だよ。アレって何のことだよッ!」


 声を張り上げ、二人に詰め寄る。恐怖を覚えていたのは俺も同じだった。締め付けるように心臓が痛かった。

 二人が俺を避けている。俺が一歩進むごとに一歩後退し、二歩進めば二歩後退する。この拒絶反応に心当たりがない。こんな拒絶されたことはいまだかつてない。あまりに突然。あるとすれば卒業式の日に意識を失い、病院で一晩を過ごした。ただそれだけだ。

 それだけで何が変わる? 何も変わらない、変わるはずがない。変わっていないはずなのに、どうして――こんなの自分の息子に向ける態度じゃない。

 父は母を守り、母は父を支える。じゃあ子供は? 俺の居場所はどこにある。


「……何も教えることは出来ない」

「なんで! どうしてッ!」


 首を横に振る親父に、俺はテーブルを強く殴りつけた。コップが倒れ、コーヒーが滴る血のように広がる。すでに俺は両親に肉薄していた。迫り、二人は背後のキッチンに背を当てるほど退いていた。


 ――俺を怖れている。どうして。


「颯……そこを動くなよ。絶対に動くな!」


 苦しげに歯を食いしばる親父は太い右腕を突き出し、俺を制止させると不意に天井を見上げた。


「オペレーター、問題が起きた。非常事態宣言の発令を要請する」


 それは家全体に、否この世界全体にまでこだまする。

 

 直後――それは起こった。


「おわッ!」


 リビングの壁一辺を大きく占めている庭に面した窓が、突如一斉に砕け散った。ガラス片が床一面にばらまかれ、同時に玄関と裏戸を蹴破る二つの音、階段を駆け降りる音がやかましく響き渡る。


「な、なんだよッ、こいつら!」


 やがてリビングに集結した物体に、俺は我が目を疑った。

 瞬く隙も得ることかなわず、五体の奇怪なロボットが俺を取り囲んだ。

身長およそ二メートル。薄いコバルトブルーに塗装された機体がひどく冷たい印象を与える。

 人間とは似ても似つかないほっそりとした流線型の胴体が、継ぎ目のない滑らかなフォルムを形成している。長い両腕の先端には、鋭利な刃のついた五本の指がぶら下がっており、脚は人のものというより鹿のそれによく似ている。それぞれを繋ぐ関節はゴムのような素材に包まれ、伸縮しながら心臓のように脈を打っている。

 頭部にはアーモンド形の目が真っ青に二つ。無機質な能面の額からは鋭い角が伸び、鼻や口の類は見当たらない。一見して新種の宇宙人にも見える。

 体格の細さ、形状から言って中に人間が入っているとは考えにくい。かと言って、こんな精巧なロボットが開発されたなんて話を聞いたこともない。


 割られた窓から乱入したのが二体。玄関、裏戸、階段から各一体ずつ現れた五体のロボットは、甲高い駆動音をかき鳴らし、アーモンド型の目の奥を赤、青、白と絶え間なく点滅させる。


「――――ッ!」


 隙間なく四方を囲んだロボットは、その手に下がった得物をガチガチと耳障りにすり合わせ、標的に狙いを定めた豹のように低姿勢に構えた。さながらスピードスケートの選手がスタートラインに立つ時の姿勢にも似ている。一糸乱れぬ五体の構え姿にはまったく淀みがなく、俺の恐怖を軒並み増長させる。


「ぐッ」


 息を呑む。今にも跳び掛かってきそうな機械の群れに囲まれ、俺は退くことも進むことも出来なかった。人間ならばどうとでも対処のしようがあったかもしれない。しかし、目の前に居るのは――在るのは、感情の一粒も漂わない無機物の塊。交渉の余地など一切窺えない。


「親父ッ! 母さんッ!」


 割れんばかりの声で吠えるも二人に声は届かなかった。彼らは目も合わせず、頑なに俺を拒絶した。

 そして、こう着状態に痺れを切らした俺が息を呑んだその瞬間、親父が感情を殺した声で短く告げた。ただ一言、終わりを告げた。


「……やれ」


 親父の声に反応し、機械たちは高々と構えた腕を一斉に前に突き――


「颯ッ! 伏せろッ!」


 その刹那、耳馴染みのある男の声が反響した。けれど、声のした方向に目を向けるよりも早く、何かが俺の足元を通り抜けた。

 フルメタリックの球体――鏡のように磨き上げられたピンポン玉大の球。表面に地球儀に描かれる経緯線状の溝の走ったボールが転々とリビングの床を弾み、俺の足元に止まった。途端、球体の溝は瞬く発光したか思うと、錠の開く音とともに松笠状に溝を解放した。それは超音波のような甲高い音を発し、急速に勢いを増していく。

 笠と笠の間に濃密な電界が発生する。膨大なエネルギーに全身の関節が軋る。


「――――ッ!」


 咄嗟に背を向け、両手で頭を抱え込んだ。


 ――爆発するッ!


 いみじくも直感がそう告げた。だが、


「あれ?」


 だが、奇妙なことに爆発は起きなかった。どころか球体は徐々に光を収束させた。

 思い違い。故障。不発。さまざまな憶測が駆けめぐる。しかしそのどれもがハズレだった。


「電磁パルスかッ!」


 キッチンから響く親父の怒号に鼓膜が揺れる。気付くと、俺を包囲していた五体のロボットは揃いも揃って、フローリングの板の上に突っ伏していた。何かの作戦かと思ったが、どうやら違うらしい。死んだように突っ伏したロボットの瞳は一様に点滅をやめていた。


「颯、今のうちに! さあ!」

「鞍馬!」


 ガラスの破られた窓の先、青々とした庭の上に見慣れた親友の姿があった。

 太陽の散光に眼鏡を光らせた鞍馬は、灰色のパーカーにベージュのチノパンという、緊迫したこの状況にしてラフ過ぎる格好で俺を呼んでいた。あまりにラフな姿のせいか、かえって目立つのが、彼の右手で鈍く輝く球体――俺の足元に転がるそれと同じものが握られていることだった。

 彼は掛けていた眼鏡を中指で押し上げた。


「ここは危険だ。早く逃げよう!」

「え……でも」

「早くッ!」


 二の足を踏む俺をせき立て、鞍馬は庭を跳ねるように走り出した。あっという間に花壇を跳び越えた彼は、庭の端にある格子の門扉を押した。


「あ、ああ」


 急いで走り出す。けれど部屋を出る寸前、どこか残った未練に呼ばれ後方を見た。

 両親が物憂げに寄り添い俺を見つめていた。母さんの瞳からは大粒の涙が流れ、その彼女に服の裾を取られる親父は歯を食いしばり、苦渋の表情を浮かべていた。それの意味するのが畏怖から来る恐れなのか、別れを惜しむ悲しみなのか、俺には推し量ることも出来ない。いや、きっと前者なのだろうけれど、


 だけど――二人は何を考えているのだろう。


 たぶん訊いても答えは返ってこないだろう。そのことが直感的にわかって、


「……くそッ」


 俺は悪態一つを残して、がむしゃらに家を飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る