幕間
二一〇七年。首都郊外。喫茶店。
からんからんと乾いた鈴の音を鳴らし、一人の男性がドアを開けた。
パリッとした白のワイシャツにグレーの背広。下に同色のスラックスを合わせた三十代後半の男性。今では矯正技術の発達からファッションの一環でしかなくなった眼鏡には、景色が歪みそうなどの強いレンズが収まっている。
足を患っているのだろう。男性は、昆虫のような節くれ立った六本の脚の付いた旧式の歩行補助椅子に座していた。椅子は滑らかな歩行運動を繰り返し、機械的に一歩一歩店の中へと入って行く。駆動音はまったくないと言っていいほど静かで、この場の雰囲気を決して乱さない。
彼の行きつけに通う前近代的で、古めかしい内装のこの喫茶店は、ガランとしてほとんど人がいない。人気がないというよりは、どちらかというと立地があまりよくない。
「こちらです」
頻りに辺りを見回していた男性に、店の最奥に座っていた女性が立ち上がった。黒のパンツスーツに身を包む姿は、いかんともオフィスレディという感じではない。
その女性を認識した男性は、補助椅子を彼女の立つテーブルの前まで移動させ、あらかじめ椅子の取り払われたスペースに着地する。補助椅子はゆっくりと沈み込み、テーブルに高さを合わせると、かちりと音を立てて固定した。
それを確認した女性は、やおら話し始めた。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
頭の後ろで長い髪をまとめる女性は、若々しい見た目にそぐわない厳しく整えられた眉に切れ長の目と、そしてさらにかしこまった振る舞いで迎え入れた。
「あぁ……悪くはないね。仕事を辞めてからは、むしろ暇過ぎるくらいさ。次の職を探そうと思っているんだけど、このザマだからなかなか……」
椅子の上で揃えた膝を軽くさすり、男性は苦々しく笑った。
二人はテーブルに備え付けられたガラス製のタッチパネルで、アイスコーヒーを二つ選択すると、数分と待たずして、ウェイトレスがコーヒーを届けた。人間が直接手でものを運ぶ店は、その多くが廃れてしまっているが、それもこの男性のお気に入りの理由だった。
「義足にはなさらないのですか?」
女性のその言葉に、男性はカップを包むように持ちながら苦笑した。
「一度は試してみたんだけれど、どうもうまく作動しなくてね。医者の話だと神経系に異常はないらしいんだが、信号が関節にまで届かないんだよ。困ったもんだ」
「こちらで義足の専門技師を探しましょうか? きっと優秀な技師が見つかると思いますが……」
「たぶん……誰に頼んでも無駄だと思う。それにこの脚でも悪くないかな、って最近は思ってるんだ。どおせ、部屋でパソコンを弄っているだけだしさ。いや、そんなことよりも……」
「何か?」
出されたコーヒーに口を付けようとした女性は、男性の怪訝な表情に手を止めた。
「喋り方。よそよそし過ぎない? いつも通りでいいじゃないか」
「あ、えっと……ですが……」
その出し抜けの要望に、一気に顔を赤らめた女性は目をさまよわせた。あたふたと両手を振った。
「ええっと……それは、ここは現実ですし。あれは、政府のシナリオで……それに……それに、あなたは、一回り以上も……年上ですし……」
「五年じゃ短すぎるかい?」
悪戯っぽい男性の微笑に、女性は困惑するばかり。抗議の言葉を口にしようと数度口を開け閉めしたが、結局諦めたように肩を落とした。
「あー……じゃ、じゃあ、ちょっとだけ……」
「うん、ありがとう。僕もそのほうが気が楽だよ」
男性――鞍馬総一郎は、はにかむ女性――雨宮雫に笑い掛けた。
「それで? 直接話したい要件というのは?」
事件からおよそ三カ月が経過していた。
SXH‐01の暴走の一件以後、ノアの予言内容に不確定性が見られることがメディアを通して公のものとなり、それは現行法――未来犯罪予防法の維持を支持していた世論の反発を呼ぶ結果となった。
激化した世論に押された政府は、未来犯罪予防局による恣意的な予知改変があったことを発表。
その事実を後ろ盾に得た予防法反対派の勢力が急増大し、暴走事件から数日後ルーインシステムは全面廃止を余儀なくされた。
システムの施行以降、ノアと予防局によってシステムに収監されていた約二万人の囚人は、無人AIによる監視付きという条件で仮釈放処分となった。
また政府は今件の責任を取るという名目で、未来犯罪予防局の解体を決定。その管轄であるルーインシステムは、管理責任者兼開発主任――鞍馬総一郎の辞任という形で決着がつけられた。
――というのが公式の発表内容である。
「警察庁筋の友達から聞いた情報なんだけど、ルーインシステムの廃止って単なる政府の責任取りじゃないらしいんだよね」
テーブルに肘を突いた雫はそう切り出した。彼女は予防局解体後、警視庁へ異動となったが、今事件での命令違反と独断専行、取得情報の不正隠蔽から、減俸と三カ月の自宅謹慎処分言い渡されていた。
「他に何かあるのかい?」
対面に座っていた鞍馬は、軽くコーヒーをすすった。
「確定情報じゃないからその辺は考慮してほしいんだけど、どうやらルーインが解体になった理由は……ノアに備わっていた予知能力が失われて、システムが存続出来なくなったかららしいのよね」
「ノアって、沙耶の? 彼女の予知能力がなくなった? 僕は聞いていないぞ?」
公式発表に載らないその情報に、鞍馬は身を乗り出した。慌てて雫が言う。
「待って待って。聞きたいのはむしろあたしのほうなんだから」
「あ、ああ……ごめん」
「ソウちゃんなら知ってると思ったんだけど、その様子だとやっぱ知らないみたいね」
「うん、まったくの初耳だよ」
落胆したように彼は身体を引き、背もたれに身体をぐったりと沈め込む。足が利かなくなってから踏ん張ることが出来なくなり、体力はみるみると落ちるばかりだ。
腕を組んだ彼は、一頻り悩んだ後、とうとうと述べ始めた。
「彼女の予知能力自体、どうして備わっているかわからないところが多い。僕はその点もちゃんと調査すべきだと、上司に進言したのだけれど、すべて却下されてしまった。やはり、調査なしには推測を並べるしかないけれど、そもそも後天的な能力だったから、彼女の成長とともになくなってしまったのかもしれない。いや――」
そう言って何かに気が付いたかのように、自らの脚を撫でた。
「……もしかしたら……僕の脚と同じなのかも」
「脚? どういうこと?」
「さっきも言ったと思うけれど、この脚は現代の医学では少しも異常がみられないんだ。骨にも、神経にもまったく異常はない。だけど、こうして動かない以上何かの問題を抱えていることは間違いないんだ。それがどうしても気になって、いろいろ仮説を立ててみたんだ。その中で一番有力なのは――」
鞍馬が指を一本立てた。
「颯がバラまいたウィルスがこの両脚を侵食したということ」
「ウィルスが? でも、あれはヴァーチャルの産物でしょ? そんなこと……」
「それ以外に考えられないんだよ。僕と颯が戦ったあの日、あの意識が途切れる直前、颯は僕の身体の中にウィルスを流し込んだ。その時に確かに全身の自由を奪われるのを感じた。爪先からじわじわとね」
言いながら彼の額に冷や汗がにじむ。平静を装ってはいるものの、あの時の出来事はその後一カ月の間、悪夢という形で彼を恐怖させていた。何かに呑まれるような、深い穴に吸い込まれるような、そんな感覚に、毎晩うなされては目が覚めた。
「所詮はヴァーチャル。確かに雫の言うことも間違っていないよ。ルーインで起きたことが現実世界に影響するなんてことは、まず考えられない。実証実験は何度もされているし、それによって人体に対する影響がないことも、ちゃんと証明されている。だけど、こうして僕の脚が機能しなくなったのは、あの事件からであることは間違いない。そう考えると……あの時、あの瞬間、彼は僕たちの常識をはるかに超える力を発揮したということになる」
「それと同じことが海馬沙耶にも起きたってこと?」
眉間に皺を寄せ、顎に指を添えた雫に鞍馬は頷いた。
「恐らく、そう考えるのが妥当だろう。事件後に公開された、第六展望ブロック居住区での颯と沙耶の会話を覚えてるかい?」
「え、あ、うん……あれは……なかなか忘れられそうにないもん」
ルーイン内部で行われた映像と会話は、そのすべてがサーバーに記録されるようになっている。無論、海馬沙耶の居住区でもそれは例外ではなく、御剣颯と海馬沙耶が行った会話は関係者の間で公開され、物議を醸すこととなった。
「沙耶と対面していた颯は、最初から彼女を殺すつもりがなかった。彼が見つけた答え、その答えは沙耶の特殊な部分、予知能力の部分だけを消し去ることだったのかもしれない」
「んー、まあ、あいつらしいっちゃあらしいかもね。でも、」
そして、雫は頬杖を突き、唇を尖らせた。
「その答えのせいで、八神はづきの思惑通りになってたら世話ないわよ」
「ははは、それもそうかもね。だけど、多かれ少なかれ、はづきは釈放されることになっていたと思うよ」
自嘲気味の笑みを浮かべて鞍馬は続ける。
「未来犯罪予防法は、僕たちにはまだ早過ぎたんだ。沙耶の力に僕たちは頼り過ぎた。未来なんてそう簡単にわかるものでもないし、ましてや簡単に奪っていいものでもない。システムの一部を作っておいて言うのはふざけた話だけれど、システムの崩壊はわかり切っていたことだ」
「まあ、おかげで、あたしも現場復帰に抵抗なくなったのはウソじゃないわね」
まどかと決着付いてないし、と彼女はぼやいた。そのぼやきに、一方鞍馬は自らの心情を吐露する。
「僕は……この結末で嬉しかったよ。颯が颯なりの答えを見つけて、単なる人形としてではなく一人の存在として生き抜いてくれたことにね。そりゃあ、僕たちの最終的な目標は、もはや達成出来ないし、悔いが残っていることはまったく否定しないけれど……それでも僕はこの結末を嬉しく思っているんだよ……」
それは親友として、親として、本心から出た言葉だった。
海岸で御剣颯と対面し、彼の選ぶ道を尊重した。
第六展望ブロックで彼と戦い、彼の揺るがない意志を確かめた。
そして、彼の最後の言葉。
――きっとなんとかなるさ。
その言葉が聞けただけで、鞍馬にとっては充分な成果だった。
小さな興味から造った小さなAIプログラム。それは少しずつ少しずつ成長を繰り返し、一つの存在として自我を確立させた。
それに留まらず、彼の親友として生まれ変わった。
その彼が自らの道を見つけた。誰のものでもない彼だけの道を。
「悔いが残るってのは……すごくわかる」
ほのかな笑みとともに雫が語り出す。
「悔しいよね。ずっと一緒にいて、ずっと遊んでいられると思ってたのに……あたしたち、海馬さんの言いなりになって自分たちで考えるの忘れてた。もっといい方法、きっと探せば見つけられたのに……」
「だからって、沙耶を責めることは出来ない。彼女を苦しめていたのは他でもない僕たちなんだから」
「もちろん……もちろん、わかってるわよ。ただ、悔しいってだけ……」
しんみりと空気が湿り気を帯びる。二人ともこの話題になれば、気持ちが重くなるのを避けられない。
「なんか湿っぽくなっちゃったね、ごめん。あ、そうそう、ソウちゃんに渡したいものがあったんだよ」
すると雫はスーツのポケットから二枚の紙片を取り出した。鞍馬には見覚えがあった。
「卒業式の前日に撮ったプリクラ。友達にご飯奢って、プリントアウトしてもらっちゃった」
へへっ、と笑う彼女から、紙片を受け取り、鞍馬はそこに写った三人の姿を覗き込んだ。
笑い合う三人。赤い字のラクガキで、ルーイン時間の三月十日と記されていた。見ていて自然と顔が綻んでしまう。そこに写った彼はまるで生きているかのごとく生命力に満ちて見えた。ほのかに温かい気がした。
「不思議なのよねえ……」
同じプリクラを天井に吊られたライトにかざした雫は、それを見上げながら首を傾げた。
「このプリクラを見てると、また颯に会える気がするんだよね。もうプログラムもなくなっちゃってるはずのに、いつかひょこっと現れそうな気がするの」
「え? 雫も?」
「も、って?」
「実は僕もそんな気がしたんだ。おかしな話だよね。彼の消滅を僕たちは、あのあと何度も確認しているのにさ。だけど――」
バツが悪そうに頭を描く鞍馬。
「いつの間にか……そう、いつの間にか僕と雫の間に割って入って、適当なことを喋って、ちょっと無気力気味に言うんだよ」
「きっとなんとかなるさ、でしょ? へへっ……本当、バカで能天気でお人好しなんだから、あいつ」
紙片を光に照らしたまま雫は噛み締めるように頷いた。
「きっとなんとかなる。きっとまた颯に会える。あたしはそう思ってるよ」
「はははっ、そうだね。僕もそう思うよ」
まるで彼がまだ生きているかのように。
まるで彼がまた姿を現すかのように。
二人は笑う。
まるで笑った先に彼が待っているかのように。
《完》
プリズンアクト @megane3852
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