第三章 二節
生まれ変わる。
そんな超自然的でオカルトチックな現象は、黄泉がえりとか前世の記憶、臨死体験なんかを通して語られるんだろう。それらは概して霊能力者やイタコの得意とする範疇で、一般の人間が遭遇する確率はほぼゼロに等しい。もし生まれ変わりを体験したならば、キリストのように崇め奉られかねないし、特別な力の一つでも会得しちまうに違いない。
そして――
生まれ変わる。
今の俺はそんな気分だった。
これまで積み重ねてきた十八年間のうち、八神の話によると約五年もの間、ただ予知されたからという理由だけで牢獄に閉じ込められていた。記憶を書き換えられ、理想的な家族、理想的な友人、理想的な環境を与えられ再教育の名目で人格を更生させられていた。
反抗心が芽生えるのも必然だ。世界の真実を目の当たりにし、更生などではなく、自分の本当の自由を得るために新しい一歩を踏み出したいと思った。
生まれ変わったんだ、俺は。
戦うために。運命を変えるために。
「バックドアはそう多くありません。セキュリティ権限がないため、あくまでも私たちはセキュリティの穴を突くしかないのです」
八神まどかは疾風のごとき軽快な走りを見せていた。
バックドア――直訳すれば『裏口』や『勝手口』を意味し、本来IDやパスワードを必要とするコンピュータの機能を、許可なく使用することが出来るコンピュータ内部の通信接続のこと……らしい。パソコン関係に疎い俺にとってさっぱりの内容だが、つまりスタッフ専用の隠し通路を悪用しているということなのだそうだ。
白の世界――バックドアから抜け出した俺たちが立っていたのは、街を一望できる屋上ではなく、どういうわけか通学途中、あの心臓破りの坂道だった。
「これからどうするんだ。ターミナルに突っ込むのか?」
先行する黒いコートが風にはためく音を耳にしながら、俺は訊いた。
「少し遠回りをします。ターミナルを目指すことは最大の目的ではありますが、最優先でやらなければならないのは私たち『ミストラル』のリーダーを救出することです」
「リーダー? 聞いていないぞ」
てっきり俺を外に出してくれるために来てくれたのかと思っていたが、どうやらそこまでおいしい話じゃないようだ。
「私たちのリーダーはあなたが起こすとされたノアの殺害に加担するとされ、このルーインに収監されました」
「俺の事件に加担する? どうして」
「私たち『ミストラル』の最終的な目標は未来犯罪予防法の撤廃だからです。あなたはその主軸であるノアの殺害に一番近い位置にいた。リーダーはそれを支援しようとしたのです」
「……」
なるほど。まあ、決してありえない話じゃないだろう。現実の俺に一体どれほどの力があってノアを殺そうとしたのかは予想もつかないが、それが可能ならば利用しない手はない。現実での接触うんぬんその他もろもろを抜きにしても、言うなれば共犯者だ。
だったら――
「なんとかしなくちゃダメだよな」
助けてやるのはやぶさかじゃない。ただ単に利害関係が一致しただけの希薄な関係かもしれない。だが、それも俺に力がなければ成立しなかったことで、そういう意味でみるならそのリーダーには迷惑を掛けてしまったことになる。それに『ミストラル』のリーダーが脱獄に加わったほうが、今の状況も好転するかもしれない。
このお人好し過ぎる楽観思考も更生プログラムの成果なのか、と頭の隅で考えたが、その考えはすぐにくしゃくしゃに丸めて放り投げた。
すると突然八神は足を止め、こちらを振り向いた。俺はたたらを踏むように立ち止まる。
「……」
沈黙。心の奥深くまで見透かされそうな澄んだ相貌が俺を捉える。猫っぽい視線に、なんだか気恥ずかしくなって目を逸らした。
「なんだよ」
「手伝ってくださるのですか?」
「文句あるのか?」
「いえ……」
一拍置いた彼女をちらりと見ると、引き結ばれた口が柔らかくほころんでいた。
「説得が必要かと思っていましたが、賢明な判断で嬉しいかぎりです」
――そりゃあ、どうも。
全速力での登校から、全速力での下校。
商店街のレンガ敷きの地面は意外なこと悪路に輪をかけて走りづらく、俺の体力は加速度的に削られていく。グラウンドで走るみたいにうまくはいかない。非常事態宣言とやらで街の住人――AIがいなくなったのは、障害物を避ける必要がないだけせめてもの救いかな。
ところがそんな俺とは対照的に、目の前を駆ける小さな背に、『疲れ』の二文字は微塵も感じられなかった。一歩十数メートルはありそうな長いストライドで飛ぶように走る彼女に、必死に食らいつく。その軽やかなステップもさることながら、あんな小さな身体のどこにそんな内燃機関が搭載されているのだろうな。非常に興味をそそられるところではある。
「お、おい。や、がみっ」
数分後、限界をきたした俺は堪らず彼女を呼び止めに掛かった。だが、その瞬間――
「下がってッ!」
八神の声が反響する。直後、何かが俺の上空を素早く通過した。
瞬間、目も眩む太陽を切り裂き、三本の槍が八神を強襲した。槍の先端が触れる直前、八神は右足で強く地面を蹴り、間一髪で後方へ回避した。
粉塵が舞う。隕石のような速度で降り注ぎ深々とレンガを穿った三本の槍は、それぞれ巨大なクレーターを形成していた。
槍は下部が大きな丸みを帯び、上部へ移るにつれて細長く伸びた涙滴型を成し、まるで先進的なオブジェと化していた。色は薄い青。どこかで見たことのあるその槍に、本能的に鳥肌が立つのを避けられなかった。
その俺の恐怖に呼応して、槍は突然、ジジッと電子音を発し微動する。
一気に俺の隣まで退いた八神が半眼で睨み付けた。
「ゼネラル・ハーネス社製、対逃亡者制裁用二足歩行兵器、グングニルです」
「グ、グング、えッ!?」
「政府の行う記憶の操作は消去ではなく上書き。度の過ぎた記憶の改変は、その人物の自我の崩壊を誘発するため、部分的な改変のみに留まります。ですから時たま突発的なきっかけにより、何十人かに一人の割合で本来の記憶を取り戻す人間が現れます」
そう語る彼女は左足を引き、姿勢を低く下げる。気が付けば八神の手には、それがまるで自然のことであるかのように蓮華の鍔を添える刀が握られていた。言葉は続く。
「そうなった人物は再度の記憶を上書きするため捕獲されます。その際に現れるのが彼ら……下がっていてください」
彼女が正面に立ち、俺と槍との壁となる。彼女の肩越しから見える三本の槍は、裂けるように手足を分化させ、素早く身をくねらせると、即座に臨戦態勢に形を変えた。
グングニル――それは今日一日で何度となく襲撃してきたロボットの名だった。
「お、おい……あいつらと戦うのか……」
我ながら情けなく出た声に頭も上げられない。すくんだ足が情けなさに拍車を掛ける。
今こちら側にある武器と言えば、八神が持つ神出鬼没の刀――ただ一本のみ。変装していた八神が再三使用していた爆弾は、度重なる襲撃によってすでに底をついている。俺も銃を渡されたが、『対逃亡者制裁用二足歩行兵器』なる厳めしい名前を持つロボットを相手に素人の撃った弾が当たるとは思えない。
だが――どうやらそれは浅はかな思い違いだったようだ。
「お、おい……八神?」
「……」
肝を冷やす俺の動揺が、彼女の心を乱すことはなかった。しんと静寂に身を委ねた彼女は中段に構えていた刀をおもむろに下段に直した。
そして――
「来るぞッ!」
三体いるうち中央の一体が鹿のような細い足をしならせ、天高く跳躍した。同時に残った二体が左右に分かれ、大きな円を描くように高速で走り出した。
神速。耳を劈く不快な駆動音を発するロボットたちは、一秒と経たずして目指す一点――八神まどかの一点に収束した。
「くそッ!!」
衝突。舞い上がった土煙が視界を惑わす。
頭上と左右の三方向から向けられた目にも止まらぬ高速の突き。両手の指それぞれが凶器であるロボットに対し、ただの囚人ならば走馬灯を見る間もなくその一生を終えていただろう。
しかし、俺はこの目でしかと見ていた。
三体のグングニルが衝突を起こす間際、真っ黒の物体が地上から空中に跳んだのを。
それは垂直落下する水色の槍と交錯し――
「うわッ!!」
風を切る音とともに鈍い金属音を立て、何かが俺の目前に落下した。いや、『何か』なんて遠回しに言わなくともわかっていた。
落下したのは水色に塗装され、先端に五枚の刃が列を成す節くれだった一本の腕。グングニルの肩から先の部位が、細かな火花を散らしながらレンガの床を貫いていた。
やがて土煙が晴れると、機械の収束した地点に八神の姿はなく、そこにはただ三体のグングニルが居るだけだった。水色のロボットたちは、三本の右腕を八神がいたはず場所に、まるで楔形を作るように突き立て制止してた。
――いや違う。三体が織り成す形はたった一つの欠損によって不完全を生み出していた。
上空から降下し、三体の中央に縦に起立したグングニルの腕が肩口に綺麗な切断面を残して失われていた。そいつは腕をなくしてバランスを保てず、フラフラと左右に全身を揺らす。
「八神ッ!」
三体を透かす遠方から猛然と黒い物体が接近する。右手に携えた刀を左手に持ち替え、矢のように一直線に突貫する。速い。
しかし、その動きを感知した残り二体のグングニルが、瞬時に大きな眼球を黒衣――八神まどかに向けた。
衝突する。
二体のうちわずかに先行した一体が、八神目掛けて右腕を突き出す。プログラムによって完璧なまでに統制された一撃が、滑らかに寸分の狂いない軌道で彼女の顔面に突き立てられ――
「――――なッ」
刹那、それを俺が認識出来たのは本当に偶然だっただろう。
鋭利に尖った機械の腕が八神を捉える直前、唖然と声を失った俺の瞳が彼女の瞳を捉えた。
――鬼のように殺意のこもった衝動を捉えた。
グングニルの右腕が空を斬る。
八神は襲い来る凶器を、わずかに上体を下げることによって交わすと、瞬時に地面を蹴り上げた。かと思うと、次にはグングニルの突き出された右腕に左足を載せ、跳躍に使った上昇力をそのままに、右膝をロボットの青い瞳に打ち付けた。
えぐり、貫き――破砕する。
卵の殻を砕くがごとく弾けた頭に引かれ、ロボットの本体が大きく吹き飛んだ。凄まじい速度で空転するグングニルは、雑貨屋の店先で勢いよくクラッシュした。断末魔のように耳障りな機械音が軒先から響くも徐々に遠ざかり、数秒と待たずして沈黙する。
だが――八神がそれを確認するに至らない。至れない。
続けざま間を開けず接近した残り一体が、まだ地面に着地する前の彼女を強襲した。
五枚の刃が八神を引き裂く。
「……ッ!!」
声も出なかった。俺は目で追い掛けるのがやっとで、そこで起きた事象を脳が咀嚼するまでたっぷり二秒は要した。
縦に降り下ろされたロボットの爪が八神を捕えたかに思われたその時、鼻先にまで迫っていたはずの一人と一体の間隙を刀が埋めた。左手に持っていた八神の刀が、楯としてその役目を新たにしたのだ。
刀が爪を弾く。
弾かれたグングニルは後方へ大きく仰け反った。がそれも束の間、仰け反った勢いを瞬時に円運動に変えると、螺旋を描くように全身を回転させ、機械は巨大なドリルへと姿を変えた。
しかしながら、そんな悪あがきは彼女には届かなかった。
八神はグングニルの持つリーチの最大値を的確に見定め、起伏のある胸の間際に刃を留めた。
空振った遠心力を、グングニルは両足を固定することで殺す。
そして――それがチェックメイトの合図となった。
高々と両手で掲げられた刀が一直線に降り下ろされた。それは光の軌跡を伴ってグングニルの面を斬り、首を裂き、胴体を真っ二つに分断する。散り散りに外装が飛び、粉々と残骸がこぼれる。
かくして、鉄の塊は無残に地面に崩れ落ちた。
残心。
ふう、と八神が一息をつく。その頃には彼女の持っていた刀は忽然と消えていた。
「お時間を取らせました」
こちらに歩いてくる彼女の呼吸は、つねと変わらず一重にも乱れていない。道すがら、いまだに静止出来ずにいた片腕のグングニルを右ストレートで薬局の奥へと片付けた。
「行きましょう」
すいすいと泳ぐように歩き出す彼女に疑問を感じざるを得ない。その声や態度、一暴れしてさえ乱れない調子に、俺は尋ねずにはいられなかった。
「休憩はいらないのか? あんな常人離れに暴れてどんな体力だ、お前」
飛んだり跳ねたり、斬ったり蹴ったり。これで少しも疲れていないというのなら、彼女はもはや化け物だ。見てる俺でさえ休憩にジュースの一杯でも飲みたいくらいなのに。
「休憩?」
ふふっ、と小気味よく笑われてしまった。
「必要ありません。この世界はあくまで仮想現実ですから」
「は? どういう意味だよ」
「確かにこの世界は非常によく出来ています。物理法則、化学法則、環境から人間の体感出来るその他すべての感覚知覚まで、現実と錯覚してしまうほどです。ですが、それらを認識しているのはすべてここです」
そう言って彼女は頭を指差した。
「今あなたが動かしているのは身体ではない。あくまでも脳です。ですから、今のような激しい戦闘だとしても、この身に受ける疲労は直接脳に伝えられた錯覚。私のように訓練を積んだ者ならば疲労感は排除出来ます。あるとすれば、せいぜい精神的な倦怠感ぐらいでしょう」
「じゃ、じゃあさっきの動きは? あれはどうやってやるんだ」
あの人間離れした反射神経と運動神経もまた偽りの作り出す仮想なのだろうか。
「仕組みは一緒です。通常、人が動くまでのプロセスは外界を感覚器官で受容し、電気信号を介して脳が認識する。そののち適切な処理が脳で行われ、再度電気信号が腕や足にその処理結果を報告して身体を動かします。しかし、ご説明した通りルーインに身体は存在しません。脳が認識し、脳が処理した段階でそれはこの世界に行動として反映されます。腕や足に情報を伝える段階はカットされ、その分コンマ一秒以上速く行動をすることが出来ます」
別段人体の構造に疎いわけではないからか、何となくだが理解出来た。要するに脊髄反射の強化版だろう。
「また私たちの筋組織はデジタルデータによって構築された模造品に過ぎません。確かに個体に可能な運動機能は限られていますが、それもまたデータが定義したものに過ぎず、そんなものに人間が縛られたりしません」
「やろうと思えばオリンピック選手にもなれるってか?」
俺の運動能力の壁を取っ払ったらその次元だって可能かもしれないと、半ば冗談交じりに言ってみた。のだが、それは冗談ではすまなかった。彼女は首を横に振った。
「いいえ。オリンピックなど人の範疇。私たちはそれにさえ囚われない。その気になれば――」
にわかに不敵な笑みが濃くなった。
「空だって飛べるかもしれません」
「そ、そらぁ……?」
彼女のあまりにも真面目な表情に、声が裏返ってしまった。
もしや、ありえないことじゃないのかもしれない。あれだけ常軌を逸したアクロバットを展開された今なら、そんな夢物語だって充分に思い描ける。考えてみれば、このデータの世界において海を泳ぐのも、空を飛ぶのも同じなんじゃないだろうか。どちらも構成しているのはいわゆる二進法の中で、本質的な違いはないのだから。
と、信じかけた俺に彼女は囁いた。
「まあ、そんなことをしようとした人間は今まで誰もいないのですけどね」
――冗談かよ。
「行きましょう。少しゆっくりし過ぎました」
キュッ、とブーツの踵を返し、彼女はロングコートをなびかせた。
ああ、とどこか落胆している俺がいた。
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