過度

 居酒屋の二階、二十人ほどの人々が集まっている。某学会の二次会であり、必然、話題の事件で盛り上がっていた。

「あの、比較宇宙文化学の論文、やばいですよね」

「蜻蛉沢成男教授の。謎のイスベルグ。実在しない人間の論文をでっちあげるとはね」

「私も誰か作っちゃおっかなー」

 しばらくその話題で盛り上がっていたが、一人だけ浮かない顔の男がいた。大学院生の彼は、しばらく躊躇した後、口を開いた。

「なんか、どうにも気になってて。そもそも、蜻蛉沢先生の名前、聞いたことなかったんですよね」

 皆が顔を見合わせる。

「まあ、よその分野だとなあ」

「でも学会長にまでなってるんですよね」

「そういえば……比較宇宙文化学、って言うのも聞いたことなかったですね」

「教授が所属する大学の名前も……」

「おいおいやめろよ。まあ、調べればわかるだろ」

「そうですね」

 大学院生は、スマホを手に取った。しかし、浮かない顔をしている。

「どうした」

「えっと……これで何をしたらいいんですっけ」

「何言ってるんだそれは……あれだよ。あれで……ああして……それなんだ?」

「変な形で変なボタンついてるね。あれに似てるね、発表するときの光が出る……なんだ?」

「みんなどうしたんですか~、飲みすぎですよ? 飲みすぎ、何を?」

 話せば話すほど、混乱していく人々。

 そんな中、店の隅でただ一人、小さな笑みを浮かべている者がいた。その者が最初からここにいたのかどうかも誰も知らない。そもそも人々はもう、自分と他者の違いも分からなくなってきている。

「あー、しまったな。。まいっか」

 その者は、やれやれと首を振って、立ち上がった。

「蜻蛉沢さんが悪いんだよ。忘れない代わりに書かないって言ったのに。みんなに忘れてもらうしかなくなっちゃった」

 その者、イスベルグの笑顔は、次第になくなっていくのであった。

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