Re: Santa Claus
「言ったはずだ。俺はサンタから足を洗った」
裏通りの階段を下りた地下のバー、ソファ席に向かい合う男二人。
「そこをなんとか。なんせ、イヴは人手不足だろ」
「知らん」
口髭の生えた男が、グラスに手を伸ばす。中には、アラウンド・ザ・ワールドと呼ばれるジンベースのカクテル。
「お前にしかできない仕事なんだ」
「だったら、今は誰にも不可能な仕事だ」
「けどさ」
もう一人の男は、ナッツを口に放り込む。
「お前、毎年一件だけやってるんだろ」
「何のことだ」
「息子のとこ」
「親が息子にプレゼントを届けるのは当然だろう」
「けど、本物のサンタとして行ってるの、知ってるんだぜ」
口髭の男が、ぎょろりした目でもう一人をにらみつける。
「知らんな」
「別れて五年か。一度もちゃんと会えてないんだろ」
「俺は死んだことになってるらしいんでね」
「別れた奥さんとも」
「会ってない」
「そうか。けど、息子さんは喜んでるらしいぜ」
「当たり前だ。本物のサンタが行ってるんだからな」
にやり、と笑われて、口髭の男ははっと視線を逸らした。
「認めたな」
「ふん」
「とりあえず、今回の相手だ」
男は、胸ポケットから一枚の写真を取り出してテーブルに置いた。口髭の男は、それを見て眉間のしわを深くした。
「猿じゃないか」
「チンパンジーだ」
「どっちでもいい。ふざけてるのか」
「ふざけてないさ。研究施設のスイア君。文字を理解できる優秀なチンパンジーだ」
「どっちにしろ猿だ」
「けど、ちゃんと神様に願ったんだ。クリスマスのプレゼントを」
男はもう一枚の写真を取り出した。そこには、スイアがひらがなの書かれた板を並べている様子が映されていた。
「こんなもの、職員があげればいいじゃないか」
「彼はサンタを信じている。神様は、そう考えたんだ」
「まったく、よくわからん話だ」
「この件をできるのはお前しかいない。それにお前、今年は……」
「……わかった。やってやるよ。確かに今年は、できる」
「それでこそ、サンタ界のドン」
「古い呼び名だ」
口髭の男は、アラウンド・ザ・ワールドをもう一杯注文した。
多くの人は知らないが、クリスマスのプレゼントのいくつかは、本物のサンタが届けている。
本物のサンタは絶対に気づかれてはならない。こっそりと家に侵入し、子供を起こさないようにプレゼントを置いてこなければならない。また、子供がどんなプレゼントを望んでいるか、神様に届いた願いから正確に推定しなければならない。
口髭の男は五年ぶりの任務を前に、頭を抱えていた。
「しっかし、猿の願いってのはなあ」
これまでの蓄積されたノウハウから、子供が望むものというのはだいたいが予想できる。しかし前例は、すべて人間なのだ。
「それに、いまいち気分が乗らん」
口髭の男の手元には、すでにプレゼントが一つ用意されていた。本当ならば、イヴに届けるはずだったものだ。
「勘が鈍っているのか、そもそも無理なものか。……やめよう。俺にできないことはない」
男はプレゼントの箱を鞄に入れて、家を出た。
「えっと……父さん?」
「よう。五年ぶりか。元父さんだ」
口髭の男は、一人の少年と向き合って座っていた。
「久……しぶり」
「ああ、大きくなったな」
本当は、毎年一回ずつ見ていた。ただ、明るい場所で見るのは本当に五年ぶりだった。
「新しい父さんが来たんだろ。最後にこれを渡したくてな」
「え」
「まだ早いけど、クリスマスプレゼントだ」
「……ありがとう」
「開けてみろよ」
「うん」
少年は戸惑いながらも包装を解き、箱を開けた。
「あっ」
「そんなんでよかったか」
「これ、欲しかった奴だ」
少年は双眼鏡を手にしながら、表情を明るくした。
「そいつはよかった」
「なんか、サンタさんみたい」
「ほう」
「サンタさんも毎年、絶対一番欲しいものくれるんだ」
「そりゃあ、サンタだから当然さ」
「そうかなあ」
「そうさ。まあ、用事はそれだけだ。母さんにばれたら怒られるし、帰るよ」
「……うん」
立ち去る口髭の男の背中を見ながら、少年は何かを言いかけてやめた。彼は、とても穏やかな笑みを浮かべながら、その背中を見送った。
12月24日。イルミネーションの輝く町とは異なり、研究施設のある山奥はひっそりと静かだった。口髭の男はすでにその中に侵入していたが、誰も気づかなかった。姿が、消えていたからだ。
サンタクロースは、魔法使いだった。魔法を悪いことに使わないと誓いを立てた人々が、神様にその任務を与えられたのだと言われている。そしていつからか、魔法使いたちの力は弱まり、クリスマスが近づかないと魔法が使えなくなった。
魔法使いたちはサンタになることで、自分たちの力が役に立っているのだと感じることができる。口髭の男のように途中でやめるものはまれだった。
そして彼も、戻ってきたのだ。
廊下を抜けて、広い部屋に出てくる。厳重に鍵がかけられている扉も、彼はすっと通り抜ける。草木が覆い茂るエリアになり、口髭の男は視線を上げた。チンパンジーたちは樹上にベッドを作って眠っている。
「これか」
男はうなずくと、木を登り始めた。そしてベッドにたどり着き、そこで眠っているチンパンジーの顔を確認した。
「スイア。君の望んでいたものだ」
口髭の男は、プレゼントを彼の頭の横に置いた。スイアは眠ったままだった。
口髭の男は木から下り、大きく息を吐き出した。
「まったく、なんてイヴだ」
その頬は、とても緩んでいた。
次の日、地方局のニュースでメガネをかけたチンパンジーのことが取り上げられていた。どの職員のものではないメガネは、どう考えてもサンタクロースの贈り物ではないか、ともっぱらの話題であった。そのメガネをかけたチンパンジーのスイアは、ある職員の顔を見ると声を上げて笑って見せたというのである。
その職員はしばらく呆然と立ち尽くし、そして涙を流しながら笑い返していた。
「スイア、お前ってやつは……」
スイアの目をはっきり見て、彼は言った。
「ちゃんと会ってくるよ。それにしてもお前、そっくりだなあ」
その日の夜慌ててプレゼントを買った彼が、久々に娘に会いに行ったことも、娘がとてもメガネが似合う女の子であることも、ニュースでは取り上げられていない。
「まったく。俺へのあてつけとは思わなかった」
口髭の男は、今日もアラウンド・ザ・ワールドを飲んでいる。
「そうじゃないさ。結果的に、お前だからわかったことなんだ」
もう一人の男は、やはりナッツを口に放り込む。
「しかしね、まさか猿の方が職員のためを思っていたとはね。本当のサンタは奴さ」
「はは、そうかもね。それと、猿じゃなくてチンパンジー」
口髭の男は口髭をこすりながら、深いため息をついた。
「俺にもサンタが来て、円満な家庭をプレゼントしてほしかったよ」
「いい子にしてなかったせいじゃないかな」
「反論はしない」
結局それから、あと三杯アラウンド・ザ・ワールドは注文されたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます