手ごわい仲間の見つけかた ~b~
「まさか、本当に実行するなんて、ね」
「ああ? 当たり前だろ。あたしが冗談なんて言うたまじゃないのはわかってるだろ?」
「そういうのじゃなくて、仮にも資本関係にある相手を訴えるなんて、結局示談になったとはいえ、業界の常識じゃありえないわよ」
紅坂朱音は『五反田の枢機卿』のアニメ制作陣を“訴えた”。名誉毀損。
本来、全く別の人物が担当するはずだった脚本を押しつけられたことにより漫画家紅坂朱音の名誉を著しく傷つけられた、というものだ。
「別にいいだろ? ちゃんと示談で解決してやったんだから」
そして、それに協力したのは朱音では知りえない内部情報を流した不死川書店のアニメ事業部アルバイト社員竹下千歳。
情報漏えいというか、むしろアニメ製作委員会でのちょっとした世間話に過ぎないため千歳はお咎めなし。もちろん、それは千歳が正確な情報を流したから復讐対象から不死川書店が外れた、という事情があった……というのはさておき。
「あんた、わざと示談に持ち込んだんでしょ? 金をふんだくるために」
「当たり前だろ? 裁判なんてくそ時間がかかることやってられるか。それに裁判官のクソ頭固いやつにオタク業界の独自性なんて伝わらないなんて正論なことを教えてくれたのはお前が紹介してくれた弁護士のおかげだろ?」
「……で、そうやって色んな企業からお金をふんだくって、何がしたいわけ?」
「んなもん決まってるだろ? 『五反田の枢機卿』のアニメが失敗した理由はなんだ」
呆れたとばかりに、朱音は溜め息をつく。千歳も一応の確認だったのか、言わせんなとばかりに言葉にする。
「……完全な予算不足。時間不足。元々が突然空いてしまった枠を埋めるためのアニメだから、仕方ないといえば仕方ないわね」
「そうだ、この業界は何と言っても金が大事だ。クリエイターに金なんてものは関係ないが、資本がなけりゃ波及しない。あたしは学んだんだよ。金を出さないと口も出せない」
「まあ、妥当よね」
「だから、力を貯める。仲間を集めて、お金を集めて、装備を集めて、あたしを慕ってくれるオタクたちに、最高の夢を見せてやるんだ。紅坂朱音についていけば間違いない、そう思わせてやるんだ」
「それで、今度は何をするわけ?」
「ああ? わかんねーのか? RPGの鉄則だろ。まずは仲間集めだよ」
朱音は笑う。それは、子供のような笑み。ただし、倫理観の欠けた天才というこの世で一番タチの悪い人種の笑みであったが。
哀原歩生は、元アニメーターだ。元というからは今はそうでないということだ。もっとも辞めた理由は最低時給を著しく下回るというよくある業界の闇的な理由ではなく、勤めていた会社がなくなったというむしろサラリーマン的な理由であった。
アニメが好きで、イラストばかりを書いていてそのまま夢見たまま業界に入ってみたものの、実際に夢のとおりに行くほど甘い業界ではなかった。
歩生が想像していたものは、締切に追われ、刻々と迫る時間の中で少しでも面白いものを作ろう、この面白い作品を完璧に彩りたいというこだわりとこだわりのぶつかりあいだった。
けど、現実は真逆。締切に追われることは同じだが、そこにあるのは妥協に次ぐ妥協。線を削いで、陰影を削ぎ、クオリティーを犠牲にする。俗に言うクソアニメを量産していた。下請け企業は仕事を選べない。どんどん嫌気は増していった。
そんな中、ひとつの作品に出会った。ああ、これもクソアニメかとタカをくくっていた。モチベーションの低下、なんで自分はこんな作品を作っているんだろうという自問自答。偶然見つけた、膨大な資料。それは歩生にとっては宝の山に見えた。
紅坂朱音の心意気に惚れたのだ。そして同時に自分に対して恥しか湧いてこなかった。紅坂朱音は、この確定されたクソアニメの運命に抗おうとしていた。
自分がいつの間にか波に飲まれ、すっかり慣れてしまった、諦めに紅坂朱音は一人で立ち向かっていた。そうすると、自分のしていることが馬鹿らしくなって、歩生自身も抗おうと思った。
一枚だけ、ほんの一瞬のカットに全てを注ごうと思った。上からはこんな無駄なことするなと何度も罵られた。それでも、やめなかった。
どうせやめるのだからとどこ吹く風でその一枚を描き続けた。
そして、ネットで一瞬だけ気合入った作画と話題になっているのを見つけたとき、勝ったと思った。
そのあと、辞表を出そうとしたらそれどころじゃなくなっていて、気付いたら会社が潰れていた。散々笑って、部屋に篭った。歩生はあの一枚を書き上げた時点で、もう満足してしまったのだ。あれは、間違いなく、最高の一枚。
ピンポーンと、間の抜けたインターホンが鳴る。
ああ、せっかくいい気分だったのにと、歩生の心は微かにささくれる。しばらく黙っていると、さらに連打されるインターホン。けたたましい音とともに胸の奥から不快感が湧き上がってくる。
「うぉらぁ! ここにいるのはわかってんだぞ!」
「いや、普通にいない可能性だってあるでしょ」
「ああ? 鬱陶しいこと言ってんなぁ。大体、ここだってお前が調べてきたんだろ?」
「あんたに言われたからでしょ。いくらどさくら紛れだとしてもあんなことはもう二度とさせないで」
歩生は、玄関の外で繰り広げられる会話に薄ら寒さを感じつつ、幸せな記憶を邪魔された怒りで爆発しそうになっていた。
あれで満足したのだと、放っておいてくれと叫びたかった。けれど、それこそ、向こうの思う壺だとぐっと堪えた。
「おいおい、もしかして燃え尽きたのかぁ!? あんなんで満足されたら、こっちだって困るんだよ!」
「……うわぁ、えげつな」
「うるせえよ……」
多分、普通に出てこいなどと言われていれば歩生は絶対に出ていこうとは思わなかっただろう。ただ、あの一枚を、自分の渾身の一枚をバカにされて黙っていられるほど、歩生は器用な生き方をしていなかった。
ドタバタと、玄関に近づいていく。
お前に何がわかるのだ、あの一枚にどれだけ心血を注いだと思っている。
紅坂朱音のあれにどれだけの影響を受けたと思っている!
「――うっせぇな! ぁ……?」
勢いよく、ドアを開けて、歩生は“それ”を目にした。
「ほら、お前の描いたもんなんて、この程度なんだよ」
「あんた、えげつないことするわね……」
歩生の目にはノースリーブのワンピースの女性もパンツスタイルの女性も、その中身は別としてそれなりの美人にも関わらず、入らない。
そこにあったのは、哀原歩生が丹精、いや、心血を注いで書き上げた一枚絵……を、まるっきりリファインした、完成された一枚絵。
「あ……」
「えーっと名前なんだっけ?」
「あんた、スカウトしにきたなら名前くらい覚えておきなさい」
「哀原、哀原歩生だ」
歩生は苦々しく、名前を告げる。
「ふーん、じゃあ、藍原葵だ。葵、お前には漫画を描いてもらう。あたしが原作を描いてやる。あたしのために死ね」
「だから、あんたそれでスカウトしてるつもりなわけ?」
歩生の体、全身に鳥肌が駆け巡る。死ねと言われても、全然実感がわかなかったが、目の前の女のために、いや、正確に言えばその絵に。
「お前の、名前は……なんだよ……?」
「紅坂朱音」
朱音はにやりと深い笑みを浮かべた。
冴えない女神の介錯(ころ)しかた @mayamayamaaya
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