楽しい話の広めかた②

『ただいまより、COMICαを開幕いたします』

 放送されたアナウンスと共に会場内を温かい拍手が包み込む。物凄い勢いで人が雪崩込んでくる(もちろん、走ってはいない)。

 それもそのはず、ここに来るような人間はオタクの中でも一次創作だけの供給に我慢できず、二次創作という派生ですらしゃぶりにくる、業の深いオタクたちだ。

「すいません、新刊一部ずつください」

「はい~ありがとうございま~す」

 早速、朱音のサークル……の隣であるゆりの新刊が買い求められる。ツインテールで和服の女性の隣には外国人と思わしき男性が立っている。会計は女性が、列整理を男性が、ときちんと役割分担をして早くも並び始めた列をてきぱきと捌いている。

「すいません、新刊全部一部ずつください」

「ありがとうございます。こちらお釣りになります」

 今度こそ、朱音のサークル……ではなく、伊吹恵那の新刊が買われていく。そちらも列形成が始まっており、サークルの一人が整理を行っている。

「う~ん、皆忙しいのかな?」

「アニメ化もせっかく決まったんだから、私はいっぱい来ると思ったんだけどなあ~期待、外れちゃったかな~」

 隣で苑子がぶつくさと文句を言い始めるが、朱音本人はどこか落ち着き払っている。

「すいません、新刊一部ずつください」

「あっ、ありがとうございます」

 待望の一人目が新刊を購入した。本を手渡すと女性の参加者は嬉しそうに笑う。

「紅坂先生、『五反田の枢機卿』アニメ化おめでとうございます! 私、『五反田の枢機卿』の大ファンですから。一巻なんて二十回以上読み直したし、まだ毎週読んでは泣いてるし雑誌が発売されるたびに売り切れるはずがないのわかってるのに始発で本屋に並んでるんですよ! それで毎月読んで感動してまた思い出して泣いちゃうんですよ!」

「へ、へぇ……そうなんですかぁ」

 その女性の語り口は、そこからべらべらと続きそうで、それでも絶賛されていることだけは確かで、朱音も邪険にはできない。人と関わりあうのがあまり得意ではないというか推奨行動ではない朱音にとっては同じくらいの言葉で返してあげたいのにできないというもどかしい状況であった。

「はーい、こちらでも新刊購入できますよー」

 若干溜まり始めた列を見かねて苑子が声をあげる。それによって列が移動して、隣のサークルに比べて微々たる速度ではあるが、少しずつ列が捌け始める。

 けれど、それによって列がなくなったかと言われればまた別の話で、それどころか、朱音が担当する会計列は少しずつ伸びていく。

「一巻の辺りとか、ちょっとキャラの心情が理解できないところがあったんですけど、それでも何故か読み直しちゃう不思議な魅力があって、五回くらい読み返したあたりからふっと『ああ、このキャラってこういうことが言いたいんだな』って凄く理解できるようになって、いつの間にか泣いちゃったんですよね」

「…………」

 朱音はというと、もはや相槌すら打つこともできず、思わずにやけてしまうのを必死にこらえてただその幸せな報告に耳を傾けている。

「そしてこれ、差し入れです!」

 と、その女性はどんとそれをテーブルに置く。どう見ても日本酒の瓶だった。それもかなり大きい。一応『五反田の枢機卿』のキャラクターが愛飲している銘柄ではあったけど、明らかに同人誌即売会ということを考えると不釣り合いにもほどがある差し入れだった。ちなみに朱音は飲んでもいい年齢ではあるけれど、飲めるわけではない。

「ありがとうございます~それで申し訳ありませんが、列が詰まっててさっきからスタッフの方が睨んでまして……」

「あっ、はい。ごめんなさい、すいませんでした!」

 隣から苑子が助け舟と共に酒瓶を引っ込める。その女性も粘着したいというわけでなく、ついつい語りすぎてしまったのだろう、ペコペコと謝って列を離れてくれた。

「すいません、新刊一部ずつ」

「はーい、かしこまりました」

 あまりの台風のような出来事にキャパシティを超えてしまったのか、朱音は唖然としていて、お世辞にも役に立っているとは言い難い状況だった。それでも、不死川書店で揉まれた実力なのか、苑子がてきぱきと列を捌いて、文字通り以上の二人分の活躍を見せる。

 最初の女性参加者が良い《わるい》お手本になったおせいでで、朱音という神様に対して感想を奉納する列と苑子が捌く物品を手に入れる列に分かれてしまって明らかに捌けのいい人が並びまくる列と明らかに捌けのわるい少しだけ並んでいる列が生まれてしまった。

 スタッフもさほど迷惑になってはいないこの奇妙な現象を面白そうに眺めていた。隣のサークルも同様だ。まともに受け答えができていない朱音に対してファンが一方的に思いの丈をぶつけていく……そんな幸せな世界を見せられてしまえば、微笑ましいとばかりに笑顔を向けざるをえない。

 ただ、まあ、その幸せな世界の裏……というか、そのすぐ隣で

「はい、新刊一部ですね! ありがとうございます!」

「はい、新刊二部ですね! ありがとうございます!」

 とテンプレートの発言を繰り返し、お金を受け取りお釣りを返す機械と化している町田苑子という存在がいたことも、忘れてはいけない。

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