幸せな時間の過ごしかた
「茜、『五反田の枢機卿』アニメ化決まったんだって?」
オタク業界というものは広いようで狭い。メディアミックスが盛んに行われる現在となっては多くの企業が相互に関わり合いを持っている。
そのため、茜のいる漫画業界からアニメ化が決まったとすれば案外意外なところから情報が漏れ出したりする。
「お苑に、千歳。お久しぶり。でも、どうしてそれを?」
「バイト先よ。不死川で働いてりゃ、まあ情報の少しは入ってくるものよ」
「まあ? 私の方が先に知ってたし? こうして祝いに来たわけだけど、途中で最低な輩とかち合っちゃって」
「苑子が先に知ってるわけないでしょ。閑古鳥が鳴きまくりそれでも子作りしかすることがなくて繁殖だけはしまくってたラノベ事業部なんだし。アニメ事業部の私が流してやったからに決まってるでしょ?」
町田苑子と竹下千歳は茜の同級生である。ついでに言えば、早応大における漫研所属というのも一緒。さらに言えば、茜のサークルである『rouge en rouge』の手伝いに時たま駆り出されているのも一緒。
「ありがとうね、二人とも。こうして多くの人に祝われるのは良いことだよ」
とはいえ、茜はもうプロとしてデビューしているし、むしろ『rouge en rouge』の方が忙しい現状においてそこまで接点は多くない。
「というわけで原作者特権でうちをちょっと噛ませてくれない? 具体的には私をアシスタントPに据えるぐらい」
「だから、お願い。茜。うちでノベライズ版の『五反田の枢機卿』出さない? 茜の書き下ろしで構わないから」
だから、こうして来てくれるのも、決して熱心な営業の一部……などではなく、友情の深さ故……のはずである。
「前向きに検討させてもらうとして……」
そして当の茜、いや、紅坂朱音は、
「でも今は仕事中だから、ちょっと出てなさい」
そんなふうに自分の作品のために血反吐を吐くのだった。
―――――――――――――――
「ごめんなさいね、秋島さん。騒がしくなっちゃって」
「いえ、全然構いません」
騒がしい(図々しい)友人たちは外で正座させて、朱音は作業に戻る。目の前に吊り下げられた餌でブーストがかかったとはいえ、締切というのは倒しても倒しても無限にやってくる。
てきぱきと作業をこなしていければいいものの、乗ることができなければなかなか作業は進まない。苑子なんかからは手が早い仕事で丁寧などと言われている朱音だが、結局のところ、乗ったところで書き溜めているだけだ。
一日にこれだけ進めるなんていうのはあくまで理想であり、今日は疲れたからやめる、なんとなく気分が乗らないから描かない、というのはざらにある話。
「…………」
「紅坂先生、手を動かしてください」
そして紅坂朱音というクリエイターはまさしくそれであった。乗らないとかけない、けれど、一度乗ればそのクオリティは他の追随を許さない(*当社比)。
「大丈夫、ちゃんと動かしてます」
「その割に音が全然聞こえていません」
アシスタントの秋島はそういうところがかなり鋭い。都内の名門女子大に所属していて本来は接点はないが、出会ったきっかけはよくあるイベントの付き合い。
「…………」
「紅坂先生」
「動かしてるわよ!」
仕事をしないと色々と文句が飛んできたり怒らせると非常に怖いので、もはやどっちが上なのかわからない。
「別に今日はこれで終わりでもいいんじゃないですか?」
だからいくら気分が乗らないのだろうと、言い訳作りのためにペンを動かさざるを得ず……
「えっ」
けれど、その本人からまさかの中止が飛び出す。
「紅坂先生の仕事に対するテンションにムラがあることは明らかですし仕方がありません」
「秋島さん?」
「というか、私も今日は早く帰りたかったので」
「えっ」
と振り返ってみれば完全に帰宅準備を済ませており、止める暇もなく、お疲れ様でしたと残して去っていった。
「いたい……痛いわよっ! 茜!」
「バカ正直に正座してるからでしょ? そんなのだから作品が売れないのよ」
「うっさい! あんたみたいに売れれば何をやってもいいみたいな考え、私は大っ嫌いなのよ!」
「あ、二人とも居たんだ」
入れ替わりに入ってきた苑子と千歳にずいぶんとまあ、酷い言葉を茜は投げかける。なんというか、いるとは思わなかったんですよーというやつだ。
流石に帰ってるでしょ、とも言う。
「当たり前よ。せっかく友人のアニメ化が決まったんだから」
「正確には、友人のアニメ化にたかりに来た、ね」
「それはあんたでしょうが千歳!」
「私から見れば二人とも一緒だけどね」
けれど、茜にとっても朱音にとっても、二人の来訪は嬉しいかったりする。だって作品のファンでもある二人がこうして祝いに来てくれる。だったら、きっと、愛すべき仲間たちもきっと祝福してくれる。アニメをきっかけにまた、多くの仲間が集ってきてくれる。
「一緒にしないでよ、茜。こいつは自分が有利になる身びいきを要求しているだけなのよ!」
「苑子だってそうでしょ。企画持ちかけた本人が編集を担当しないって、そんなはずないでしょ」
「千歳にラノベ事業部の何がわかるってのよ! こっちは手塩かけて育てた新人がなんにもしてない歳だけ食った無能に奪われて……っ」
「あーはいはい。そういう無駄に暗くなる話はいいから」
「お邪魔します」
「お邪魔しまーす」
「まあ、仕事の最中だったから本当に邪魔なんだけどね」
「…………」
「…………」
せっかくのお祝いにも関わらず、生臭い仕事の話ばかり。そんな空気を変えようとした茜の冗談はむしろ、正反対の状況に突き落としてしまって……
「ところで二人とも、そろそろ日が昇ることだけどそのバイトはいいの?」
「「ああ、大丈夫。うちは終電が始業時間だから」」
結局女三人、姦しい話に……ではなく忙しい話になってしまう。
上司がクソだ、作家がクソだ、色んな話に飛んでいき、果てにはなんでこの業界に入ったのだろうか……主に愚痴っていたのは苑子だったけど。
それでも、必ず訪れるだろう報われる瞬間に想いを馳せて会話に花を咲かせるのであった。
―――――――――――――――
「五反田の枢機卿アニメ化決定!」
誌上で公開されたとおり、『rouge en rouge』代表である紅坂朱音が作者として六聖社様より刊行されております『五反田の枢機卿』が四月よりアニメ放送されることが正式に決定いたしました。
六聖社様にとっても、作者である紅坂にとっても初めてのメディアミックスとなります。至らぬところも多いかと思いますが、原作サイドとして全力を尽くしサポートをさせてもらいます。情報については順次公開されていきますのでどうぞご期待ください。
2月10日 紅坂朱音
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