冴えないアニメの始めかた
とある作家のとある仕事場。とある月刊誌で現在、深刻な問題が起こっていた。
「まあ、明日なら大丈夫よ。萩原さん。次回のネームも順調だし」
「……信じていいのね?」
「今まで私が嘘をついたことありましたっけ?」
「作品については一度もないけど、締切についてはちょくちょく」
「作家の立場から言わせてもらうのは失礼かもしれませんが、いくら月刊誌とはいえアシスタント一人っていうのは無茶があると思うんです。『五反田の枢機卿』、背景とか滅茶苦茶書き込んでますし、あっ、今アシスタントの方が寝落ちしかけました」
とある零細出版社である六聖社。言ってしまえば箸にも棒にも掛からず、かろうじて小枝に引っかかる程度の規模。だから、そのかろうじて小枝に引っ掛けている作品が落ちるなど、許されるはずもなく……
「あーダメダメ。あーちゃんの作品についていけるアシスタントを紹介するようなコネうちにあるわけないじゃない」
「そうですかそれなら仕方ないですね。今のアシスタントさんと一緒に別の雑誌にでも移籍しますねそうします」
そんな中、全くやる気が出ていない……じゃなくて、少しでもクオリティをあげるために艱難辛苦の努力を続ける作家とさっさと軋みつづける胃の痛みから解放されたい編集との争いは耐えない。
「あ~ちょっと待って。ほんのちょっとだけ待ってあーちゃん~」
「そのあーちゃんという改めていただけるなら一回だけ待つのもやぶさかではないわけですが」
「もうページも取ったし先月号で告知もしちゃったのよ。『五反田の枢機卿超重大発表!』って」
「ちょっと待ってください。その重大発表とやら、私全然聞いた覚えがないのですけど」
「あのね……――――」
「アニメ化……? 私の作品が……ですか?」
プツ……と電話を切り、六聖社の生命線とも言える作家は立ち上がる。
そしてそのまま、黒ストッキングに包まれた思わず見蕩れてしまうような曲線美を備えた右足を振り上げて……
「――っぅ」
そんな、降って湧いた幸せが現実のものなのか思わず確かめてしまうのであった。
とまあ、そんな事情があるならばとアシスタントと一緒に小一時間小躍りした作家様――紅坂朱音というとっても赤い女神様は、原稿を徹夜で仕上げなんとか雑誌に特大の穴を開けることはなかったとさ。
――――――――――――――――――――――――
「そもそも、本当にアニメ化が決まったんですか? ここ、六聖社ですよね。風が吹いても儲けるための桶すら置いていないような」
「あらあら、自分の作品のことをそんなに卑下しなくていいのよ?」
そして後日、アニメ化の打ち合わせという次の話の打ち合わせも兼ねた、結局のところの諸々の打ち合わせのため、朱音は六聖社まで足を運んでいた。
「いえ、新年会なんかパーティだと『私の最新刊初版一万部も刷ってもらってない……』だとか『ここから面白くなるところなのに……打ち切り』なんて不景気な発言ばかり聞こえてきましたので」
重ね重ね、とは言っても重版のことではなくむしろ返本の山のこと……というわけでもなく、有り体に言えば六聖社は弱小出版社である。
そんな中でアニメ化という大勢に名前を知ってもらえる機会に思わず浮き足立ってしまうのも仕方のないことで。
「そりゃ、うちは風が吹けば儲かるどころかそのまま倒産してしまうような会社だけど、あーちゃんは違うでしょ?」
「私もその六聖社の一員なわけですけど?」
だから朱音も普段ならメールか電話済ましてしまう打ち合わせのために足を運び、こうして憎まれ口を叩いてしまうくらいには上機嫌なのだ。
「仮にも百万部作家なんだから、少しくらいそういう話があってもいいわよ~」
「私の漫画、そんなに売れてたんですか?」
「……口座とかチェックしてないの?」
「親から渡されてる小遣いで生活できるもので……」
「…………」
「……あの、何かまずかったですかね?」
箱入りの女神様にとって、何万部売れて定価はいくらで税率はいくらだから○○○○万円が~というのは半ばどうでもいい話。
そんなことより、百万部というのが朱音にとってどういう意味を持つのか……
「それしても、百万部ですか。今のところ五巻だから、単純に二十万人もの人が私の作品を読んでくれたんですね……」
むしろ彼女を神と崇め、毎月の発売日になくなるはずのない不人気雑誌を買い求めに走り、アンケートで毎度毎度面白かったですと記入し、毎月のように編集部にファンレターを送りつけ、それだけでは飽き足らず在庫を抱えること必須の明らかに売れない二次創作を作ってくれる天使たち……二十万人ほどいるかもしれない、顔も知らないけど間違いなく感謝の気持ちを伝えたい読者の方がずっと大事なのだ。
担当編集である萩原も朱音が売れたのはこういう謙虚さとは言い難い、ある種浮世離れした独特の感覚が大きいと分析していた。
「まあ、実際のところ後に行けば行くほど部数は下がるから実際に最後まで読んでくれてる人は少ないんだけどね」
「萩原さん、そういう作家のやる気を削ぐようなことは言わないでください」
「ごめんごめん。でも、そんな一言でやる気を削がれるような事態でもないでしょ?」
「はい、初めての作品でアニメ化。私の作品をもっとたくさんの人に知ってもらうとても貴重なチャンスですから」
「うちとしても万全のバックアップ体制を敷くつもりよ。あーちゃんにとっても、うちにとっても初めてのアニメ化。こんなチャンスは当分やってこない」
「――はい」
現状、多くのアニメで採用されている委員会方式で六聖社は少なくない額の資金を注入している。それは大きなチャンスであるということ、そして『五反田の枢機卿』というタイトルに、紅坂朱音という作家に対して大きな自信があるということを表している。
「頑張りましょう。あーちゃん」
「――はい」
いつもは反発してしまうような『あーちゃん』呼びに突っ込むこともなく、朱音は素直に頷く。
「というわけで、アニメ化のためにキャラクターの設定資料、舞台なんかの設定資料、背景の全体像やら、よろしくね!」
「……聞いておきますけど、締切は」
「延びません」
そういう雪だるま式に膨れ上がる作業量もアニメ化という餌をぶら下げられた女神様の前には嬉しい悲鳴でしか、なかったりする。
「ごめんなさい。流石にそれは無理です。落ちます落ちます。原稿も落ちますし私も物理的に落ちます」
なかったり、する?
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