深い青空の見上げかた④
四月になり一週間ほどが過ぎた。
一年の本格的な始まり。新しい生活への期待に胸を膨らませた若人たちが話のきっかけとして『今季のイチオシアニメ』を語り始める時期。
早応大学でも、それは例に漏れず。漫画研究会、アニメ研究会、文芸部エトセトラなオタクの受け皿となりうる組織が新入生の勧誘を行っていた。
昨年度、その誘蛾灯に引き寄せられてしまった高坂茜は、今、その場所にはいなかった。茜は、紅坂朱音として、自室に篭っている。四月開始のアニメ『五反田の枢機卿』の原作を執筆していた。ビデオデッキには第一話の録画予約がされているが、見るつもりはない。消すのですら、億劫だった。郵便受けには第一話の白箱が投函されている。これも、見るつもりはない。
腹を痛めて生んだ子供の陵辱映像を見たいと思う親はそうそういないだろう。たとえそれがよく似た別人だったとしても、だ。朱音の大事な子供は、今も手の中にいる。朱音の手ほどきを受け、すくすくと育っていく作品<こども>。
誇らしいと、朱音は思う。多くの人に読んでもらって面白いと言ってもらえる、褒めてもらえる、それに勝る喜びはない。アニメはつまらないけれど、原作は面白いね、それだけで朱音は救われる。『五反田の枢機卿』がアニメになってよかったと、思えるようになる。
いや、それはきっと願望だ。オタクにありがちな救済願望にすぎない。自分の努力をこんな理不尽な形で吹き飛ばされたくないから。自分が重しとなって、この子を守ってやる。
朱音は筆を置き、できあがったばかりの完成原稿を見直す。気に入らないページを修正した第二稿……を丸ごと没にして書き直した第三稿。時間的に見ればお世辞にもそれに見合った出来ではないが、渾身の出来だ。
担当の萩原はよく20:80の法則を口にする。80の完成度までは20の労力で作り上げることができる。けれど、そこから100にするには80の労力が必要だとかなんとか。そして、20の労力で80の作品を作り『余裕があれば』100の作品に近づけていくのが、プロだと。朱音が一度も締切を破ったことがないのは、担当のこういう言葉を口酸っぱく言われていたからという面がある。
けど、朱音が今しているのは、それに反する行為。スピードが劇的に上がっている分、均整は取れているが破綻しないわけではない。いずれ、一本の縄から滑り落ちるときが来る。
朱音は、それすらも構わないと思っていた。アニメのことを外せば、今が一番楽しい。今まさに、命を削って作品を描いている、そういう自覚があった。
完成した原稿を大切に脇へと置いて、朱音は別の原稿を始める。先日の即売会で書いた新作。誰に縛られることなく自由に描き続けられる、自分だけの作品。紅坂朱音の、新しい子供。
描きまくってやる。朱音は、そう心に誓った。この世界を自分の作品<こども>たちで溢れかえさせてやるのだと。ありったけの承認欲求を満たすのだと。
そのために、描いて描いて、描きまくってやる。そのためには、死んだって構わない。
「死んでも描き続けてやるさ」
朱音は机に向かいながら、凄絶な笑みを浮かべる。けれど、その笑みを見たものは、誰も、いない。
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五月一日に行われるコミックリアリティにサークル『rouge en rouge』として参加いたします。新刊は新作マンガの第二話となります。一冊のみの新刊となりますが、その分分厚くなっておりますので変わらぬご期待の方をよろしくお願いします。価格は500円、限数は2とさせていただきます。
当日、皆様と会えることを楽しみにしております。
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