第一七話「越谷中央高等学校の支配者(三)」
「そ、それ……どーいうことなの、お姉ちゃん?」
流美の声が震えている。その誰もが触れたがるようなやわらかな頬も、今は強ばってひきつるように痙攣を見せている。
だが、それは流美だけではない。その横にいた庸介も、まるで泣きそうな顔を青ざめさせている。
倫はそんな二人を背後から見ながら、どこかで「やはり」と思っていた。
倫は知っているのだ。「死」とは安易で安価なものではない。「死」とは絶対的終焉であり、それを覆すには世の
だが、倫としては世の理をこの際、覆してもらいたい。そうしなければ、この世にヒーローがいなくなってしまう。
「気がついたかもしれませんが、この越谷を舞台にした
弓美の説明に出てきた【拡張型修復】に、倫は覚えがある。英語だったが、庸介や流美が蘇る時に表示されていたはずだ。
「その【拡張型修復】というのは、体の欠損部分をAR体というので補完するそうです。それに関して詳しい説明はありませんでしたが、【拡張空間】というのもでてきましたから、もしかしたら高次元物質みたいなものなのかもしれません」
「よ、よくわからん……つまりどういうことなんです?」
首をひねる庸介に、弓美が今度は微笑せずにうなずく。それだけで部屋全体の緊張感が高まり、数人が一斉に固唾を呑んで言葉を待った。
「簡単に言うと、このARが実世界に具現できる越谷エリアだけで有効な仮の修復ということです。逆に言えば、越谷エリアから出ると、修復されていた部分は消え失せる……ということのようです」
「――!!」
全員が息を呑む。
同時に庸介は自分の欠損した腹部を見つめ、流美は唯一残った右手首を見つめた。
二人の
どうしてという混乱。
生死がわからない恐怖。
これからが見えない不安。
それは、体をどこも失っていない倫も感じていることだ。
ここから逃げても、そのとたんに庸介は腹に穴が開いて死んでしまうことになる。流美などは、手首を残して消え失せるのだ。確かに世の理を覆しているが、中途半端すぎる。
「ただし、次の段階として【位相型修復】というのがありました。それをおこなうことで実体として固定され、本当の肉体となるそうです。つまり、越谷から出ても問題がなくなります」
弓美の見せた希望に、話を聞かされていた全員が顔を上げる。
だが、弓美はまるでその喜びを押しとどめようとするように、掌を前に向けていた。その表情は、不穏さを物語るように険しい顔をしている。
「なにが……あるの?」
流美の問いに、弓美は瞼を一度だけ閉じた。
そして意を決したように口を開く。
「対価としてとられるゲームポイントが問題です。実際は損壊率によって自動的に計算されるらしいのですが、四肢一本を位相型修復するには、最大五〇万ポイント。胴体部分なら最大一〇〇万ポイント、頭だと最大五〇〇万ポイント必要だそうです」
「五〇〇万……そ、そんなの無理よ! 私たち上位
流美の悲痛さに、弓美は辛そうにうなずく。
「そのとおりよ。しかも、すごく
「……そっちも高いの?」
「逆よ。すごく安いの。例えば、四肢一本なら一〇〇ポイントよ」
「一〇〇……」
弓美がスクッと立ちあがると、全員の顔をかるく見わたす。
その表情に、感情の高ぶりが見られる。
「さらに先ほど申し上げたとおり、今日はお試しキャンペーン期間中らしく、ポイント消費なく【拡張型修復】がされるそうです。要するにチュートリアルということなのでしょう。まったく馬鹿にしています」
彼女の言葉には、憤慨がこもっていた。冷静に話そうとしていたのに、抑えていた感情が我慢できずにあふれてしまったようだった。
だが、倫はその怒りのポイントが気になる。
そして、それが気になるのは、倫だけではなかった。
「確かにキャンペーンとはふざけているが、ポイントを使わないで修復してくれるならいいことじゃないか?」
倫の疑問を代弁するように暮林が質問した。
それは他の者も感じていたのだろう、多田も庸介もかるくうなずきを見せる。
「これは、このゲームを維持するための罠です」
しかし、弓美はかるくため息をもらして、全員を舐めるように視線を動かす。それはよく話を聞けという意思の表れだろう。
全員が弓美に視線を向ける。
「よろしいですか。これはいわば、無理矢理借金させる高利貸しです。越谷市の人口は現在三八万人弱。ただし、この盆休み中、レジャーブームもあり住人は極端に減っています。それに盆休みではない人は、都内に仕事に出ている人もいるでしょう。例えば、三〇万人いたとしましょう。
「それだって、キャンペーンだから一五万人が助かったんだろう。
「そう。彼らは本来、死んでいた人たちです。それなのに生きている限り、
「それでも死ぬよりはいいだろう!」
「しかし、この『生かす』というのは、たぶん人間を助けるためではありません。よく意味を考えなければならないのです」
「どういうことだ?」
「そもそも、この信じられない
「……そ、それがわかったというのか!?」
「いいえ。謎だらけです。しかし、わかっていることもあります。例えば、この現象はどこから始まったのか」
暮林が少し顔を顰めて、一言だけ「レイクシティ」と答える。
「そうです、暮林先生。そしてこのゲームは、
その挑戦的な物言いに眉を少しつり上げるが、そのまま暮林は答えを口にする。
「そりゃあ……レイクシティの地下に眠るコンピューターをとめればいい……ってことか?」
「はい。正解です。
「じゃあ、なにか。あのバケモノ……
「いえ。とめるだけなら簡単です。電源の供給を絶てばいいのです。レイクシティには太陽発電、風力発電等の設備と、緊急用無停電電源装置もありますが、ずっと維持できるわけではありませんから、電力会社が電源を落とせば
「なっ、な~んだ。簡単じゃないか。よかった……」
その弓美の説明に安堵したのか、暮林が大きくため息をついて前のめりになっていた体をソファに預けた。その顔から力が抜けているのがわかる。
弓美が言ったことが当たっているなら、外部の人間もすぐに気がつくだろう。あとは待っていれば解決である。
「でも、とめるわけにはいかないのです」
だが、それはまだ早いといわんばかりに首をかるく振ったのは、今まで黙していた緋彩だった。
そしてその言葉を引き継ぐように、弓美が重々しく説明を続ける。
「そうです。的井さんの言うとおり、
「――!!」
流美が自らの体を抱くように、両手を肩にのせる。その顔は蒼白だ。
その横で同じように蒼白になって顔をひきつらせた庸介。しかし、彼はそれでも流美の肩に手をのせて彼女を気づかってみせる。
自分の命より、流美の命を気にかける庸介は、やはり最高だと倫は内心でうなずく。
たが、これはゆゆしき問題だった。今、もしなにかの拍子にNOAHがとまったら、目の前の二人は突然、死を迎えるのだ。そんなこと、あってはならない。庸介を失った時の喪失感、あんなものを倫は二度と味わいたくない。
「つまり、一五万人は送電をとめさせないための人質なのです。そして、この情報はすでに外部に意図的に流されているようです」
弓美が指を空中で動かすと、今まで越谷の地図が表示されていた所にテレビのニュース画面が複数並んで表示される。
そこには、「越谷隔離」「謎の超常現象」「
「この事実は、すぐに社会的に知れ渡るでしょう。そのうえで、一五万人を殺す判断をして電気をとめられる者がいるとは思えませんね」
誰もが口を噤む。それは同意。
「この越谷から逃げるには、拡張型修復されている場合は、位相型修復をおこない、そのうえでクリア条件を満たすこと」
「クリア条件?」
思わず、倫は反射的に聞きかえした。
弓美が首肯を返す。
「ええ。魔城と化したレイクシティの奥にいるボス
「一〇〇万ポイント……なら、お姉ちゃんは脱出できるじゃない! お姉ちゃんだけでも――」
「――妹をおいていけるわけがないでしょう」
流美の言葉を遮って、弓美は優しくほほえんだ。
「それにね、一五〇万ポイント近くあったけど、もう今はほとんどないの」
「……え? ど、どうして?」
「彼女は、僕たちのためにポイントを使ってくれたんだ」
流美の問いに答えたのは、今まで黙って銅像のように立っていた桐林だった。
彼はメガネを押しあげてから、黙っていられないとばかりに口を動かす。
「彼女は、元祖
「……まさか、お姉ちゃん。自分のポイントで?」
弓美がかるく苦笑する。
それを桐林が補足する。
「そうだ。彼女は自分のポイントのほとんどを使って、ここに
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