第一六話「越谷中央高等学校の支配者(二)」
戸締まりもせずに我先へと宿直の先生が逃げだしたため、職員室は開けっぱなしのままであった。
ほかにも休日ながら部活動をやっていた、野球部等の先生と生徒もいたが、この異常事態で家族が心配になり、すぐさま学校を出ていったという。緊急対応時の訓練が、欠片も役に立っていない。
ただ、そのおかげで校長室の緊急用の鍵さえも簡単に手に入ってしまったらしい。なにしろ、キーロッカーの鍵もつけっぱなしだったのだ。なんとも杜撰なことこの上なかった。
そして今、その校長室の大きく立派な椅子には、一人の少女が座っている。美しく枝毛ひとつない黒髪を肩にそわし、彼女は柳眉の下でわずかにほほえんでいた。そして両手をテーブルの上で重ねて、ピンッと伸びた姿勢で口を開く。
「それでは、今のところわかっていることを説明いたします」
流美の姉の【
流美は校長室に座る理由を聞いたが、「理事長室の鍵はなかったのよ」と見当違いな返事をされて閉口するしかなかった。
前々から弓美は、流美から見ると少しずれたところがある。でも、もしかしたらそれは、彼女の飛び抜けた高度な思考能力のせいなのかもしれない。なにしろ、誰もがただ混乱するしかできないようなこの状況において、人を集めて「わかっていること」を説明できるのだから、流美は自分の姉ながら驚きを隠せない。
「とりあえず、匿った市民代表で多田さんは、ここで聞いた話をみなさんに伝えて、今後どうするかを決めてくださいな」
多田と名のった四〇代の男性がうなずく。どこにでもいそうなスーツを着た、身なりのしっかりとした男性だ。彼は三人掛けできるソファに座っていた。
その彼の横には、この高校の教師である暮林が座り、その背後には【池袋マックス】のリーダーである金髪高校生【内藤】が立っていた。
また、その正面のソファには、緋彩と庸介、そして流美が座っていた。倫は遠慮したのか、庸介の後ろに立って聞いている。
「まずは知らない方もいらっしゃるので、自己紹介しておきましょう。わたくしは、KCH・
弓美の隣に立っていた桐林という青年が、かるく頭をさげる。
桐林は二年生で、弓美は一年生だ。しかも生徒会長ともなれば、彼が中央にいてもおかしくないはずだ。しかし、桐林は一歩前に出て会釈をするだけで、またさがってその場を弓美に任せてしまう。
「それから、あちらの二人は
まるで門番のようにドアの前に立っている二人もかるく会釈する。
流美は、その二人のことを知っていた。先日の大きな
「さて。話させていただきます。まず、異常に気がついたのは、もちろん
全員がうなずく。誰もがそう思っただろう。
「現実とは思えない……ならば、これはARの映像によるトリックなのかと考えました。もしかしたら、
「マニュアル……あ、そういえばヘルプが変わってた!」
流美が手を叩く。
確かに会場から出てすぐ、バケモノの姿を見た時に「Type」に関して説明がでてきたことを思いだす。
「そうか。簡易ヘルプがあるってことは、ちゃんとマニュアルも!」
「そうよ。あったわ。それはもう懇切丁寧なマニュアルよ。みなさんもマニュアルをあとで見ておくといいですわ。やはりマニュアルはきちんと読まないといけませんわね」
そう言いながら、弓美がかるく微笑する。その微笑は、次期ミスKCHと名高いだけあって、流美から見ればあざとい。実際、庸介以外の男には効果てきめんで、多田、暮林、そして内藤までも少し頬を染めていた。
流美は、ちらっとふりかえって倫の様子もうかがう。倫が流美に好意をもっていることは知っているから、さぞかしニヤけた顔をしているのだろうと思っていたのだ。ところが、彼はわずかにもニヤけてはいなかった。それどころか、いつもは見せないような真摯な視線を弓美へ向けている。
(……よくわかんないなぁ、クキリン)
そのよくわからなさが、流美にはたまらない。この異常事態の中で、倫の普段とのギャップが次々と現れる。そのせいで、今まで友達としてしか興味がなかった倫の存在が、流美の中で大きくクローズアップされてきていた。
「詳細は、マニュアルを見ていただくとして、マニュアルとネットから集めた情報で要点だけ話します。まず、ミーティングシェアを受けてください」
そう言うと弓美は人差し指を立てて、それを多田に向かって倒した。そして、次々とそこにいたメンバーに、何かを指先で押し投げるように向けていく。
その押し投げられた物は、ARのミーティング招待カードだった。流美の所にもカードが飛んでくると、弓美からの参加要請に思考で応じる。
「……みなさん、いいですわね。では、この地図を見てください」
そう言うと、弓美はある壁を指さした。
すると、その手前に越谷駅を中心としたARの地図が表示される。そこには赤い楕円形の線が越谷市をつつむように描かれていた。
「だいたいこの線辺りが境界だと思われますが、越谷は外部と隔離されました。北は【せんげん台】駅の北、一部
「はぁ~? なに言ってんだ? 隔離だとぉ~?」
内藤の嘲笑まじりの言葉に、弓美は極めて真面目な顔で返事する。
「そうです。みなさんも外に雲の壁があったのは見たと思います。あれは人を通さないようです。これはネット上の情報ですが、どれも同じことが書いてあるのでまちがいないでしょう。雲の中を進むと、体が透きとおっていき最終的には消えるそうです。マニュアルにも、『バトルフィールドから出ることはできません』と記載されています」
「バトルフィールドって、まさかこの閉鎖された越谷が?」
庸介の驚愕に、弓美は平然とうなずく。
「ええ。ここ全体が
「だ、だけど、バケモノといっても、ARでしょう?」
多田の疑念に、みんなが同じ怪訝な瞳で弓美を見た。もちろん、それは誰もが疑問に思っていたことで、この異常な状態の中でもとびっきり異常な現象だったからだ。
「原理はわかりませんが、説明をかいつまんで言えば、
「めちゃくちゃすぎる……信じられるか!」
暮林の否定を弓美は肯定する。
「ええ。わたくしも信じられません。しかし、それが事実であることは、わたくしよりあなたたちの方が体験してきたのでしょう」
「…………」
弓美の話で、襲われた時の恐怖が戻ってきたのか、暮林は顔を青ざめさせて力なく下へ俯く。
流美もあの時の恐怖を思いだす。いや、恐怖すら感じる暇もなかった。気がついた時には、何かに呑みこまれていたのだ。唯一、右手首が食いちぎられる痛みだけを覚えている。
そうだ。自分は喰われたのだと、改めて彼女は弓美を見る。
「……でも、お姉ちゃん。私、右手首以外、
「……流美、あなた……食べられてしまったの?」
「うん……。でも、なにも問題なく――」
「問題はあるのよ。それに
「キャ、キャンペーン!? なによそれ!?」
流美は予想外のことに、思わず声を裏返してしまう。
「どういうことなの?」
「流美。あなたは今、生きているとも死んでいるともいえない状態らしいのです」
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