第12話「慟哭の東埼玉道路」(4)
「……え?」
庸介に迫っていた男の足が止まった。
いや。止まったのは、彼だけではない。
流美や庸介、その場にいた他のメンバーまで全員の動きが止まった。
まるで倫の言葉に凍らされたように、身動きさえできずに固まる。
「ん? 聞こえなかった? とりあえず、斬ってみようかと言ったんだけど」
(クキリン……なに……を……言って……)
流美の心配をよそに、倫だけが歩みを進める。
その手には、白昼に呑まれて薄く光る
真夏の蒸れた空気の中。
バーチャルサラウンドなのか、それとも
倫が揺らす度に、周囲の空気を振動させるような、ウォンウォンという鳴き声が届く。
その音は、どこまでも不気味だ。
ウォンと聞こえる度に、流美の背筋に寒さが走る。
暑さで滲む汗に混じり、冷たい汗が走る。
さらに倫の見た目も、不気味さに拍車をかけた。
彼の上着からズボンまで、血糊がべったりとくっついている。庸介を抱きかかえた時についたらしいが、すでに乾燥して固まってしまい
そこからは、本人でさえも気分を害する臭いがまとわりついているはずだ。それなのに、倫は意に介した様子がない。まるで「なにもなかった」かのように笑顔を浮かべている。
それが怖い。
だけど、逃げられない。
誰も、逃げられない。
たかが中学二年生男子の姿に、その場にいる大人から子供まで、声さえ出せずにいたのだ。
いつも目立たず、庸介の影に隠れるようにしていた倫。
彼だけが、いつもと同じように飄々としたまま前に向かって歩いている。
(いつもと同じ……じゃない……なんかやっぱり変だ、クキリン……)
その倫の二面性を感じ、流美は恐怖とは別に背筋をゾクゾクとさせる。
止められない、場違いな感情が湧きでる。
「
倫はそういうと、無造作に持っていた
目の前には、スーツの男。
顔をひきつらせながらも彼は、倫から放たれた雰囲気を喉に詰まらせている。
歩道と車道の間ぐらいの位置で対面する二人。
倫の顔から消える笑み。
途端、倫の腕が振りあがる。
走る、魔法の刃。
「――ひいっっ!」
その勢いに思わず目を瞑り、男はやっと悲鳴をあげて尻もちをついた。
ほぼ同時に、男の横にバサッと落ちる青々とした葉がついた木の枝。
倫の
それを一瞥した倫の顔に、また笑顔が戻る。
今度は、いつもと同じ
同時に全員の硬直も解け、数人がやはり崩れるように座りこむ。
「ほら。
倫は黙りこむ全員の目を順番に見つめていく。
すると、ほとんどの者が目をそらしてうつむいた。
「ついてくるのは勝手だけど、この2人になるべく負担をかけないようにしてよ。いくらヒー……強くても、大変なんだからね。あまり目に余るなら、僕がその負担を斬り捨てるよ」
眼前に魔法剣を構えて宣言する倫に、周囲が息をのむ。
まるっきり嫌われ役。それを庸介にやらせないため、たぶん倫は承知で買って出たのだろう。
だが、あまりにも板についている。流美が見る限り、彼のふるまいは自然体だ。
つまり芝居ではなく、これは倫の一面性そのもの。
(なに……なんなの? こ、この普段とのギャップ……)
流美の胸中に、熱い物がわきあがる。頬の下にゾワゾワという快感があきあがる。
思った通りだ。流美は、自分の勘が当たっていたことを確信する。彼の中には、善と悪、はたまた正常と異常ほどのギャップが隠されている。
それはずっと彼女が求めていた、興奮するほど好きなキャラクター性。
顔が自然ににやけてしまいそうになる。
「ごめんなさい。助けてもらっているのに……」
流美が感情を抑えようとしていると、子連れの母親が一歩前にでてきた。
「ただ、みんな怖くてしかたないの」
30才ぐらいだろうか。まだ小学校低学年の娘を抱き寄せながら、緊張の面持ちながらも倫にすがるような目を見せる。
「私は、怪物に襲われて足を食いちぎられたんだけど……やっぱり数秒で元に戻って……」
そう言いながら、彼女は左足を見せた。しかし、その足のどこにも傷跡ひとつない。ただ、履物は失われており、膝下やスカートには痛々しい薄黒い模様だけが残っていた。
それに同調するように、「オレも治った」「私も」と誰もがARCに襲われて、身体の欠損や死に至りそうな傷を負いながらも、数秒後には戻ったと同意する。
「だから、死なないかもしれないけど、あの痛みは本物だった。幻なんかじゃない! あんな痛い思い、娘にさせたくないの。だから……娘だけでも……」
懇願された倫が、少しだけ困った表情を見せた。
そして、まるで尋ねるように、庸介と流美を見に視線を送る。あれだけ啖呵を切って見せたのに、もうすでにいつもの倫だ。自分で決めずに、庸介に委ねようとしている。
その庸介も、両肩を上にヒョイとあげて、流美に視線で「どうする?」と尋ねてくる。一番怒り心頭に発していた彼女に判断を委ねたのだろう。
「……はぁ、もうっ!」
流美は、まるで吐き捨てるようにため息をついた。
流美とてネチネチと怒るのは好きではないし、別に見捨てたいわけでもない。
「さっきクキリンも言ったけど、別についてくるのはかまわないわよ!」
流美は少し険しい顔をしながら、その女性に近づいた。
警戒する女性は、自分の娘をことさらに抱き寄せる。
だが、流美は気にしない。
目の前に着くと、すっと膝を曲げてしゃがみこんだ。
そして母親の足につかまり、不安そうに立つ少女を見る。
少女の身長は、流美がしゃがむと同じぐらい。ちょうど目線が合うと、少女はピクッと怯えをうかがわせる。
「大丈夫よ」
だから、流美は表情から力を抜き、優しい微笑を作った。
なるべく柔らく、しかし力強く声をかける。
「助けられるかぎりは、がんばるから……ね?」
気持ちが伝わったのか、少女も怖々とながらうなずく。
「お姉ちゃん、強いでしょ?」
「……うん」
少女の返事で、流美はまた破顔する。そうだ。自分は強いのだ。
なにしろ、
「だから、任せて!」
「うん。……でも、お姉ちゃん、なんでドラゴンとかよべるの? 魔法使い?」
少し緊張が解けたのか、少女が顔を上げて流美を見ていた。
「ん? ……ふふ。そうだよ、魔法使い。これでもお姉ちゃん、【龍王】……ドラゴンの王様って呼ばれてるんだから!」
流美は立ちあがる。
そうだ、私は【龍王】。もう油断はしない。
倫のことは気になるけど、それは後回しだ。
まずは、目的地に行かなければならない。
「あのぉ……」
ふと今度は母親が、流美に目線を合わせてくる。
そして、遠慮がちに尋ねる。
「あなたたちは、どこに向かっているの?」
「KCHよ」
「KCHだと!?」
最初に庸介に文句を言ってきたスーツ男が割ってはいる。
他の十数人も、一瞬だけざわめく。
「……けーしーえっち?」
少女が首を傾げながら見上げてきたから、流美は「そう」と大きくうなずいた。
「KCHは、【
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