パスタの上にフォークが突き立てられる。
パンチェッタとキノコのパスタなのにキノコしか入っていないそのパスタに私はフォークを突き立てて、それをまわす。ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐる。
虚無だ。
出来たてほやほや、新鮮な虚無。
様々なインシデントが生じた。
しかし何故、私のような社会から疎外された一個人にこうもインシデントが重なって生ずるのか。
責任者を呼べ。
サイゼの、ではない。
私の人生の責任者だ。
「はい。ご用件はなんでしょう」
私だ。
そう、呼ばれてきた相手も私。対応するのも私。苦慮するのも怒るのもつまりそう、私。
つまるところを言えば、自分の人生の責任を取れるのは自分しか居ないんだ……という当たり前の事実の再確認をする以外にないわけだ。
「人二人あれば喧嘩すると、ある人は言いました」
「殺伐とした世界観だ」
「人が生きるというのは死に向かって走っていくことだと言いました」
「それは私の言いざまだ」
「でもさぁ、サイゼのパスタの中身が今日ここに限ってイマイチっていうのは、どうも私の責任ではない感じがしないかなぁ?」
「突然口調を舞城王太郎の書くギャルみたいにするのをやめろ」
「然り――そう思った」
「例えば、ラッセル・カーク『保守主義の精神』がつまらなさすぎて顎が外れるような勢いのあくびをする羽目になったという話があります」
「読んでいるのは君じゃないか」
「まあ、そうなんだけど」
「読みたい本が特別にあるわけじゃないから読んでいる。これ人は消去法と呼ぶ」
「こうやって本一つに立ち止まり停止を余儀なくされている間にも社会は動き続けている。お陰で君のお気に入りの店はいくつも閉まった。博物館でさえ一部展示を改修している」
でも考えてみましょうよ。
私がお金なくてどうしようもなかったこととか、今年出した進捗はわりと悪くない量であったこととか、今年は結構な数の本を読んだこととか。
そう心のなかで思いながら、パスタを回していた。まとまってはほぐれるキノコパスタ、ぐるぐる。
ソルジャーズ・レビューは年内にNo.6を完結させます。
他の進捗はがんばります。