降りしきる雨の季節に何を想うべきなのか。
残念ながら六月の雨が似合うような思い出上の女性というのも存在せず、無論男性にもそれは居らず、では降りしきる雨を見ながら私は何を想うべきなのであろうか。
六月の雨は十一月の雨とは違う。
水がついて、それが乾けば温度が奪われる。
水が乾かなければ結局そのものが冷えている。
六月の雨は湿ったくて、次の日の晴れをより暑くする。
雨の中を傘を差さずに歩くと『雨に唄えば』を思い出す。
思い出すのだが、これは人に対して過剰な暴力を振るう際に流れる曲なのではないかと考えるのは『時計じかけのオレンジ』を見過ぎであるし、映画が違うし、出来る範囲で肉体的暴力なんぞ他人に振るうべきではない。仮に今あなたが『雨に唄えば』を歌っていたとしても、である。
しかし、六月にしっかりと雨が降ると、確かに季節を感じないこともない。
六月の雨は非常に不愉快だが、我々に夏の訪れが正しい過程を経て訪れたことを知らせてくれる。
日常の行動範囲が狭まり、パーカーに短パンみたいな意味の分からない部屋着の延長というか部屋着の延長そのものみたいな服装で外に出る羽目になったり、下手な夏の日よりも余程汗をかくとか、そういう風な些末な(些末ではない!)問題を差し引いて考えれば、六月に雨が降るというのは星の巡りの正常さを感じ取ることが出来て良いと言えないこともないのではないか。その口調から分かる通り私は都市に降る夏の雨が大嫌いなのであるが……。
裏で色々な作業をしてはいますが、進捗は芳しくありません。更新見ればまあ分かることですよねこれは!
でもね、頑張っていない日は一日たりとも私には存在しませんよ!
それだけは、断言出来ます!!!