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習慣について

 髭を伸ばすようになってかなり経つ。
 元々癖毛で、いわゆる天然パーマというやつで、どうヘアアレンジしても同じ髪型に収束し、どのように切っても最終的には同じような髪型になってしまうので、髪型に対してこだわりを抱くようなこともなかったのだが、どうやらこの癖が強い傾向は髭にも当てはまるようで、髭もやたらと変な方向をむくようで、これに櫛を通そうとすると(そう。もう櫛が通る長さなのだ)私の心と同様にねじ曲がっている髭が抵抗し、櫛に入れた力が顎に伝わる。
ある時、日帰り温泉でシャンプーを髭にも使ったところ櫛が通りやすくなったので家でも同じようにやるようにしているのだが――なぜか、あまり効果がない。もしかすれば日帰り温泉で使ったそれが良いものなのか、或いはリンスインシャンプーで微妙に効用が違ったのかは定かではないが、長い髭はそれそのものが独自の習慣を求めてくるものになる。
 前に私のサークルの古参メンバーが、手持ち無沙汰になると映画『トレインスポッティング』のジャケット写真のポーズをとりがちだとネットで言っていたが、髭を伸ばしている私は髭の先を弄ったり、或いは頬にも生やしている髭に手を添えるようなポーズをとったりすることが多い。何か映画的な動作をする時に、その行動の気障な感覚を許容できるようにするだけのビジュアル的な力が髭にはあるように思われる。
不思議なもので、現代の右翼思想家として知られるアレクサンドル・ドゥーギンも、アラン・ド・ブノワも、少し前に遡ってジョヴァンニ・ジェンティーレも、なぜか右翼というのは髭を生やすのが好きで、とくにアラン・ド・ブノワは私のようにポーズをキメるために生やしているんじゃないか? と疑われるぐらいにはポーズをキメてお話をする。

 ところで、この髭が生える辺りになぜか最近はできものが出来ることが多い。無意味にとにかくニキビが出来がちなティーンエイジャーの時分も終わり、寧ろ今は三十路の坂を登り、人生なる坂を下りている途中であると言うのに、髭の周囲によく出来ものができる……。
ビタミン類もとっているし、食物繊維についても最近は気を使うようにしている。なぜだろう……と思って調べてみると、手でもってよくさわる部分に出来ものが出来やすいのだと皮膚科の病状解説に記述があった。
 何ということだ。
 つまり、私が髭を愛でているつもりで手をあてると出来ものが増えてしまうのだという……いや、単純に内臓がやれているという節もないことはないのだが、何であれあまり手を顎や頬に当てたりしない方が良いと医者が言う。
御免被る。
第一、格好つけるために髭を生やしているのに、格好つけのための動作をやめるなど本末転倒ではないか!

 しかし、考えてみれば。こうした日常における些末な動作の積み重ねが人間の見た目や精神や成り立ち、或いは技巧と言えるものを変質させていくというその考え方自体は非常に示唆的なもので、歳を重ねた先では何か重みがあるような気がしてくる。
精神にストレスを受ければ胃が荒れ、荒れた胃から湧き出る臭いが口臭となり、そうした不調を補うために胃を刺激するものを食していればこれは悪循環となる。部屋の掃除を怠れば埃と臭いの基準が消失し、自身が異様な臭いを発していたり、或いは自身の服装が全く社会生活に適合出来ていないということの実態を把握することが困難になり、常識や習慣が低水準な、荒れたものを基礎に置くが上に周囲から人が消えていく。これも悪循環。
人と会話する頻度が少ないと表情筋が減っていくという話にも同一の部分がある。つまるところ、人とは生活の反映であり、自身の人としての要素を変革せしむるには生活を変革する以外にやりようがないのである。……



 というわけで、皆様。
生活の積み重ねの先に一年があります。良い習慣の下で生活はできましたか?
今年も一年、良い習慣の中に自分の心身を置けるように努力致しましょう。自戒を込めて……。

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