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憚る者

私は概ねいつも同じファミリーレストランで本を読んでいる。
ファミリーレストランは素晴らしい。ドリンクバーを頼めば無限にコーラとコーヒーが飲める。頼めばご飯が出てくる。明らかに最強の作業環境だ。毎日通うことが出来ないのが難点であり、私がもし一発当てたらすか○らーくの株を優待券貰えるぐらい買うという純真無垢極まりない夢を胸に抱えている。
その実現可能性についてはこの際捨て置こうとおもうわけですが、無論ジョナサ○の店員にも入れ替わりがあり(入れ替わりが認識出来るぐらい入り浸っているのか、というのも取り敢えず突っ込まないで欲しい)店員のうち半分は大体顔を覚えてしまっている。
最近、す○いらーくグループの店舗は設備投資を加速させているようで、全席にコンセントがつき、お一人様専用の席(私はキ○ガイシートと呼んでいる)も増えた。故に私は常にお一人様専用の席に座り込んでは本を大量に積み上げて食事の後にそれらを読むということをしている。店員の目線から見ればクソ客だが、自覚的なのでなおのことクソである。
しかし常連に悪い顔をしないという不思議な法則なのかそういうルールなのか裏側で『若鶏みぞれ煮膳野郎』『クーポン面倒臭太郎』みたいなあだ名がついているのかは定かではないが、取り敢えず顔を覚えている人が出てきてしまった。向こう側にも。

そう、今日に至り、あいも変わらず若鶏のみぞれ煮膳とドリンクバーを頼んだ私はいつも通り大量の本を積み上げ(フーコー×2にユンガー、ドゥルーズと三島由紀夫とオースター、カミュ)ていると
「いつもありがとうございます。ところで狭くはないですか?」
「だ、だだ大丈夫です。本読んでるだけなので!」
「だってその、いつも本が沢山あるじゃないですか……何処でも良いんですよ!」
はい、これが会話である。
身内以外と会話したのは前回のバイトの面接以来(落ちたが!?)なのでかなり怪しい挙動をしていたのではないか、という心配はともかく、そうなった。

しかし、不思議な話というか、私は大体身内以外には大抵遠慮する。
遠慮しないのは身内相手のみであり、それ以外の場面ではせせこましく、厨房の角で野菜の芯を齧っているドブネズミの如く遠慮する。
無駄に図体のデカい割に何故そうした肉体に見合うような精神性が備わってこなかったのか。いつも何故何かに怯えたような態度を取るのか。うなぎをご馳走してもらった時にはすっかり遠慮して一番安い奴を頼んだ。美味しかった。
そもそもの自己肯定感の希薄さ。自分が何かを言うと横柄に聞こえてしまうという自らに非がないはずのルッキズム(ルッキズムはデブを差別するなという言説をもっと取り上げて欲しい)の問題で、私は随分と、遠慮する、『憚る者』となってしまった。悪いことかどうかと言われると、実際人生において損をする場面が多いのでやはり良くないと思う反面、身内にはズケズケと烏滸がましい物言いをするため、これはたんに二面性とか裏表みたいな話に持って行った方が良いのではないか、という考察をする。

ソルジャーズ・レビューは……いつ、完結するんですかね……

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