未完成品というのは非常に不思議な性質を持っている。
それはつまり、私という個人が読者としての性質と創作者としての性質を持っていることを証明してくれるものである。
ここだけの話……未完成品は、面白い。
そもそもを言えば自身の創作物の殆ど全ては後の自分が読んで何となく腑に落ちるというか、とにかく、ああ成程と納得出来るような独特な面白さがある。
無論これは当然と言えば当然の話で、私は私が読みたい作品が世間に存在していないがために書いている(それが理由の全てでないにせよ)のだから、その作品は私が探し求めていた作品の一つなのであることは間違いなく、これは揺らがない。
ところがここで一つ問題が生じるのだ。
つまり、未完成の作品というものがそこにある。これはかつて自分自身の手でもっていくらか書いて、その上で途中でほっぽり投げた作品である。この続きを十全に書くことのできる人間はこの世にたった一人しか居ないーー私である。
これがこの場合問題になる。
当たり前の話であるが、私の書いた作品は私にしか完成させることが出来ない。となれば、その作品の結末を見たいのであれば自分自身の手で書くしかない。ましてや私なんて脳内プロット人間でマトモなプロットを書いていることの方が珍しいわけであるから、私個人と未完成作品との連結性というか、同一性はより高まっていくわけである。
そこで、読者である私は作者である私に向かって言うのである。
「この作品の続き、読みたいなぁ……」
さてそれに対し、作者である私はどう答えるのか。
~べき論で言えば、ああ分かりました今すぐにでもそれを書き上げましょうとなるわけであるが、これは理想論である。現実としてそうしなければならないという事実によって人々が突き動かされるようにできているのであれば東西冷戦で東側が勝利を収めたであろう。しかし現実として、そうではない。
つまり、作者である私はこう返すわけだ。
「……何が何やら分からんが、どうも書けん」
これが不思議な事実である。
続きは思いついている。何ならオチも思いついていたりして、後はそこにある穴を何とかして埋めれば先に渡ることができるというのに、作者としての私は海を割ることを求められた一般人のように怪訝な顔でもってその連続的な穴を見つめるわけである……別に海を割れと言われたわけではないし、後ろではエジプト軍が追いかけてきているわけではないのに、私は固まってしまう。
ところが読者である私は思うわけだ……このお話、面白いじゃないか、と。
……さて。
ここまで長々と書かれた文言の全ては『言い訳』である。
つまり私は、自己の作品を自分自身で視認しやすいように、確認しやすいように、未完成品をぶん投げて、取り敢えず書けるものから書いていき、後は明日の自分に頑張れと言ってしまおうと考えている。
端的に言えば
「未完成品をアップするが続きが書かれるかどうかは分からないが、これは作者にとって必要なことである」
という言い訳をここで作っているの、である。
ソルジャーズ・レビューはちょいちょい続きを書いています。
それ以外についてもおいおい明日以降の私が何とかしていくことでしょう。
今から私は他でもない私自身のために未完成品をアップロードする作業を開始します。
「一体どうやったらこの迷宮から抜け出せるんだ!」
-南米の偉人シモン・ボリバル、臨終に際して-