〈第3葉〉畏怖

*前回までのあらすじ*


 植物学者の青年、リンネ=ライラックはとある理由から旅を続けていた。夕刻、目的地のワゼット村に到着したリンネは早速、広場で店の後片付けをしていた村人に話を聞いている。


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「こんなこと聞くってえと、もしかしてあんた、かい?」


「え?」


「あー。あんたは行商人か、って聞いてんだ」


 男は釘抜きを地面に置き、頭をきながらやれやれといった様子でそう言った。


 リンネは反射的に自分の身元を明かそうとしたが、それが自分にとって不利益にこそなれ、何の利益をももたらさないことに気づき、


「まあ、そんなところです」


 そう、曖昧あいまいに返事をした。


「そうかい、それにしちゃ荷物が軽そうだね」


「今から、シトラまで仕入れに行くところですから。この村ではしばらく補給のつもりです」


「ふうん。残念だが、この村にゃあんたの財布をうるおわせてくれるようなもんはねえぜ。昔は小麦オルデもよくれてたが、最近はさっぱりだしな。うちだってただの道具屋だ、万国を巡ってるあんたに売れるようなもんは――」


 ふいに半ば饒舌じょうぜつとなりかけていた男の言葉が止まった。男の視線はリンネの腰のあたり、採取したての青々とした野草の苗が入った数本の試験管に注がれている。


「あ……悪いな! お、俺はそろそろ家に帰んねえと」

「あ、あの」


 留める間もなく、男は大工道具を放り出して立ち上がると一目散いちもくさんに駆け出していった。


 今度はリンネが頭を掻く番である。人前で無防備に「野草の入った試験管」などをさらしていたのは落ち度としか言いようがなかった。


 ――この村でも、なかなか自由には動けそうにないな。


 腰に提げた試験管をポーチに仕舞いこみながら、リンネは思う。


 野に育ち、山に生きる草本にまつわる話題が禁忌タブーとなった原因は、ガーデナー教を国家宗教とする大帝国・聖カンサス帝国が世界を掌握しょうあくしていたいにしえの時代にさかのぼる。


 ガーデナー教は、唯一神ガルディを世界の創造主とする一神教である。

 ガルディが創り上げた神聖な世界の中に人間をはじめとする動物が生かされている、という世界観は〔箱庭宗教〕と評価され、帝国の繁栄と共に当時の人びとの共通認識となった。


 ガーデナー教は生きとし生けるものへの加護を寛大にうたう一方で、神の許しを抜きに世界を侵すことだけは許していない。


 では「世界」とはなにか。

 それは簡単に言ってしまえば、生きとし生けるもの以外の存在である。


 大いなる海、陸、空……そして、

 自然を含む植生もまた、庭主ガルディ御心みこころによって創り上げられた尊ぶべき世界の一部とされた。


 だからこそ、植物を分解し、研究しようとする植物学者は、当時の天土学者と呼ばれる科学者らと共に迫害のき目を見ることとなる。

 

 、あるいは、


 彼らに対する悪しきレッテルは、帝国が崩壊した後も一部の人びとの信仰と共に残り続けた。その中心となっているのが、隣国であるイリス共和国に本拠ほんきょをおく過激派のガーデナー真教会である。


 先程の男の反応を見るに、この村を覆っているのもまた、真教会に対するの感情とみて間違いないだろう。


 村人全員が同じ信条を持っているとは限らないが、情報収集のハードルが大きく上がってしまったこともまた事実である。


 リンネの嫌な予感は的中し、その後も数人の村人に話を聞くことは出来たものの、結局まともな情報を得ることは出来なかった。

 皆が皆、リンネの左目のバンダナをいぶかしみ、旅人であることに気がつき、最後は上手く会話から逃れてしまう。入口の看板が示唆しさしていた通り、どうやらこの村で旅人が歓迎される時代は過去のものらしい。


 乳母うばと思しき女性との会話が彼女の抱える乳飲ちのみ児の泣き声によって途切れたところでリンネは広場のベンチにどっかりと腰を落とし、本日何度目かのため息をついた。

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