〈第2葉〉『ようこそワゼット村へ』

*前回までのあらすじ*


 風変わりないでたちをした青年、リンネ=ライラックはセンティフォリア王国連合のラジャータ地方西部に位置するワゼット村を目指し、旅を続けていた。


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 リンネが村の入口に辿り着いたのは、既に日が天頂を通過した後のことだった。雨に降られなかったことだけはこの若者にとっても幸いだったろう。あれから何度も道端の草木を観察したのだが、どれもラジャータ地方以外にもみられる雑草ばかりで、目ぼしい植物を見つけることは出来なかった。


 リンネは、わずか二十八歳の植物学者である。


 村の入口には、古びた木製のアーチがかかっていた。アーチの下には朽ちかけた看板が落ちており、これが図らずもリンネの興味を惹いた。


「覗き見ろ……あ、いや、『ようこそワゼット村へ』か」

 リンネはこの地方の言葉にあまり慣れていない。


 センティフォリア王国連合の領内ではあるものの、何しろ辺境の地である。独立国家の共同体という面の強いセンティフォリアにあって、地域ごとに言葉の差異があることは仕方のないことだった。


 見たところ文字もかすれている。過去の大嵐で落ちて、そのままにしてあるといったところだろうか。午後の光に当てられた看板の姿が、リンネの心にも一筋の陰を落とした。


「このあたりはまだ安泰だと思ったてたんだけど」


 あるいは、既にかもしれない。


 アーチをくぐり、足早に立ち並ぶ民家の脇を抜けていく。ずんずんと風を切って進むたび、ローブ材特有の薄焦げた香りがリンネの鼻を突いた。


 ローブというのはエートル目エートル科に属する常緑樹の総称である。その語源が材質の堅牢性けんろうせいに由来している通り、丈夫な建材として人気のある樹木だ。

 リンネの見立てによると、この村でもっぱら用いられているのは【コモ・ローブ】らしい。確か村の北に森があったから、そこから切り出して来ているのだろうなどと思考を巡らせているうちに、視界は開けた。


 中央に小さな石造りの噴水を据えた、村の広場である。真新しげなベンチとその両側を挟む街灯から、リンネはひとまずこの村が廃村に追い込まれていないことを確認した。


 あてもなく広場を歩き回る。と、民家の影で何やら手を動かす一人の男を見つけた。

 人と会うのは随分と久しぶりである。リンネは跳ねるような足取りで男に近づいた。


「すみません、少しよろしいですか」

「なんだい。今日はもう店じまいだよ」

 男は作業を続けながら、背中で返事をした。どうやら出店の片付けをしているところらしい。周辺には商品を詰めるためのコンテナが転がっている。これもまた、ローブ材製だった。


「ここでは何を売っているのですか?」

「何ってそりゃお前――」


 そこで、ようやく男は身をよじって振り返った。色よく日焼けした男の顔が露わになる。見たところ歳の頃はリンネとあまり変わらない。くぎ抜きを持っているあたりを見るに、出店の解体をしている最中だったのだろう。リンネの顔に貼り付いた左目のバンダナを不思議そうに眺めてから、ようやく男は口火を切った。


「あんた、旅人さんかい」

「はい。この村には今来たばかりです。何を売っているんです?」

「塩だよ。このあたりじゃ海もねえからな。こんな老人村でも多少は需要があるってもんだ」

「ということは、行商ですか」

「いや、俺はこの村のしがない小売商よ。塩は、たまにこの村に来るおろしから買ってるだけさ。確か南方の、ラヴァンドラのあたりから来てるって言ってたかな。それをこうしてたまの休みに売ってるって訳だ」


 方言混じりでしゃべる男の言葉は、やはり異邦人であるリンネには聞き取りづらいものだった。どんな国にあっても、こうした村落の民が語る言葉の節々には躍動感があふれている。


 それはリンネの生まれ育った町にはない、活力に満ちちたの言葉だ。それがリンネは好きだった。

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