〈第7葉〉ローブ亭

 *前回までのあらすじ*


 ワゼット村唯一の宿屋の主、ラモザ=アドニス老人と出会ったリンネは宿泊のため宿屋「ローブ亭」へとやって来る。そこで出会ったのは、老人の妻であり、ドライアドというニンフでもある女性、クレマチス=アドニス夫人だった。

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「うん、こいつはこんな見た目だが、歳はわしと二つしか違わんのだ。なんでもドライアドってのは長命でな、見た目も宿った樹齢に合わせてしか衰えんらしい」


「そういうこと。あたしとこの宿は一心同体ってことさ。……ところであんた、今更だけど、この方はどこの誰なんだい」

「いや、いつもみたいに橋の上で釣りをしてたらな――」


 ラモザ老人が夫人にここまでの経緯いきさつを話す間に、リンネは改めて「ローブ亭」の内装を眺めた。夫人の姿形に目を囚われすぎていたせいで全く気づかなかったが、壁材や床材から戸棚、カウンターなどの家具に至るまでの全てがローブ材で作られている。しかも、そのどれもが立派な正方形の木目を持つ超一級品だ。宿の名前もこうしたこだわりが由来となっているのだろう。


「植物学の先生なんだって? それじゃ、さっきの説明は必要なかったかもね」

 気づくと、クレマチス夫人が両脇と髪のつたで魚を携えながらリンネの側に寄ってきていた。


「いえ、私もドライアドとこうして対面する機会はありませんでしたから」

「ははっ、そりゃそうかもしれないね。ともかく、これも何かの縁だ。ゆっくりしていってくれればいい」

「これはどうも」

 器用に伸びてきた髪の毛に、不思議な心持ちで異種同士の握手を交わす。その手触りは予想外に柔らかく、心地良いものだった。


「ほら、あんたは早くリンネ先生を大広間に案内しとくれ」

「はいはいっと。先生、そっちを真っ直ぐだ」

 老人に言われるがまま、フロントから伸びる板張りの廊下を行く。101号室、102号室、103号室に次いで104号室がない。何かの縁起担ぎかと思いきや、単純に大広間に辿り着いただけだった。


 大広間というだけあって、そこにはフロントよりも一回り大きな空間が広がっていた。窓際には談笑用と思しき丸テーブルと丸イスが置かれているが、これもやはりローブ製なのだろう。部屋の奥には宿の二階へと続く階段がたたずんでいた。


「さ、晩酌といこうや」

 部屋の視察を続けるリンネの背後からラモザ老人がにゅっと顔を出した。いつの間にか、その手には酒瓶ワインボトルと二本のグラスが握られている。リンネが目をつけたのは、漆黒のラベルに押印おういんされたシトラ王国の国家印章だった。


「カベリロ種……銘柄は“夜の森”ですか」

「お目が高いね、先生。こないだシトラから来た行商人から買ったんだ」

 ロベリア大陸における果実酒ワインは【レザン】と呼ばれる植物の果実を用いるのが一般的だが、中にはその果皮のみを用いた高級なものも存在する。とりわけシトラ王国の一部地方を原産とする薄皮のカベリロ種を用いたものは希少価値が高く、王家を通じた販売ルートしか許されていない。センティフォリアの市場には滅多に出回らない幻の逸品いっぴんである。

 こんなに贅沢ぜいたくな酒など何ヶ月ぶりであろうか。久々の盃を前に、リンネの喉が鳴った。


「――いえ、今夜は遠慮しておきますよ」


 しかし、その欲望は目的を見失うまいとする理性が押しとどめた。この老人と酒肴の晩を共にしては、とてもじゃないがまともな話は聞けそうもない。


「ん、そうかい? せっかく久々にお客人と晩酌ばんしゃくが出来ると思ったんだがなあ」

「またいずれご一緒させて戴きます。それより、例の話ですが」

 ボトルとグラスを大広間の隅に据え置かれた棚の上に置くと、ラモザ老人は丸椅子にどっかりと腰を落とした。勧められるままに、リンネも対面の席に着く。


「フリージア先生の話、だったな」


「ええ。この村の薬草園の主であった彼女と――その最期にまつわる話について」

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