〈第8葉〉アンネ=フリージア

 *前回までのあらすじ*


 ラモザ=アドニス老人に案内されたワゼット村唯一の宿屋「ローブ亭」で、リンネはニンフのクレマチス=アドニス夫人に出会う。リンネがこの村に来た理由は、アンネ=フリージアについて深く知るためだった。

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「話していただけますか。彼女の死について知っていることを」


 有名な植物学者であった彼女の生涯と、その死の真相を知ること。それこそ、リンネが今回この村を訪れた一番の目的だった。

 老人はリンネの核心を突いた言葉に一瞬息を詰めた。


「――そこまで知ってんなら話は早いさ。先生、あんたは他の村の連中ともう会って話はしたのかい?」

「ええ、一応」

「それじゃ分かっとるかもしれんが、この村じゃ“植物”に関する話は禁句だ」

 神妙な表情で、老人はリンネにそう告げた。


「ガーデナー教、ですか」

「ああ、元を辿ればそうだ、ただ、勘違いせんでくれよ先生。わしらは決してガーデナー教を信奉しとる訳じゃない、むしろその逆だ」

 息巻く老人の勢いに、この村に来て最初に出会った男の引きった顔がふと蘇る。あれは敬虔けいけんな一神教の信者が異教徒に見せる怒りではなく、そうした強大な権力に対する恐怖の表れだった。


「――おう、案外早えな」

 手招きする老人の視線の先を追うと、そこには何枚もの皿と食器を持ち運ぶクレマチス夫人の姿があった。例のごとく両手のみならず、その豊満な緑色の髪を一杯に使っての配膳である。目の前に次々と料理が置かれていくさまは圧巻だった。


「なんだか案外しんみりしてるね。話の邪魔だったかい?」

「いやなに、まだ話も始まってねえんだ。お前がいた方が話も進みやすいさ……っと、嬉しいねえ。先生に貰った木の実の効果はあったのか?」

「あたしはまだ味見してないけど、焼いてるときの嫌な臭いはなくなってた気がするよ。ほら、先生も見てるだけじゃ面白くないだろう?」

 夫人から銀のスプーンとフォークが手渡される。


「戴いても良いのでしょうか?」

「言ったろ、ご馳走するって。かかあの作る料理は天下一品よ」

 そう言いながら、早速老人は焼き立てのムイラを頬張っていた。


「ほお、確かに臭いがなくなってやがる。ほら、お前も食いな」

「本当かい? じゃあ、一口だけ戴こうかね」

 それはしばらく味わうことのない団欒だんらんであった。それは無限に続く平野地帯を抜けてきたリンネにとって久々の感覚である。


「さっきの話の続きだが」

 スノウポグの身を煮出したスープを飲み干したところで、老人はそんな風に切り出した。


「そう、この村じゃ植物の話は厳禁だって話さ」

 クレマチス夫人が、やや呆れたような声を上げた。まさかそんな話をしていたのか、といった体である。そんな夫人の様子を横目で窺いながら、老人は話を続けた。

「リンネ先生、お前さんは運が良い。わしらは見ての通り村の連中とは違って“そっちの話”に関しちゃ寛容だ。もっとも、自分のことを植物学者だなんて紹介してた時点で、そりゃ分かってたんだろうが」

「ええ、まあ。カリュの実を差し出した時点で、反応が良かったものですから」

「わしはその時点で見事にたばかられてたって訳だ」

 お互いに苦笑する。窓の外から聞こえる虫の鳴き声が、二人の間に生まれた沈黙を埋めた。


「少し前までは、みんなそんなこともなかったんだけどね」

 ふいにクレマチス夫人が小さく呟いた。


「そうとも。少し前までは――数年前の、あの事件があるまではな」

 老人はリンネから視線を外し、天井のはりを見上げた。目をつむり、口を小さく結ぶ。そんなわざとらしい所作が自然に見えるほどに、その表情は真剣だった。


「――フリージア先生がこの村に来たのは、随分と昔になる。その頃からワゼットは何にもない村でな。あるものといえばそこに流れてる綺麗なアルバ川の分流と、よく穫れる小麦オルデ、わしらの切り出してくる良質なローブ材くらいのもんだった」

木樵きこりをされていたんですね」

「ああ、そうとも。今じゃ腕もすっかり衰えたが、親父にみっちり鍛えられたおかげで昔は村一番の斧名人だったさ」

「この人ったら最近はその自慢話ばっかりでね……そのおかげであたしはこの人と出会えた訳なんだけど――って、やだよ、そんな話はどうだっていいだろう」

 夫人の髪が老人の脇腹を思い切り小突いた。老人はあいて、と声を上げて顔をしかめたが、普段からこうした痛みには慣れているらしい。一つ咳払いを入れると、すぐに元の調子に戻って話を続けた。


「まあ、そんな何にもねえ村だったが、健康だけは村の人間のとりえだった。村にはお医者様が一人だけで、それでも困らない程度の具合だったさ。ただその年、運の悪いことに流行病が村を襲った。ほとんどの村人がその流行病にかかって、肝心のお医者様もそれで亡くなっちまったもんだから、もうほとんど絶望的な状況でな」

「もちろんあたしたちだって流行病でぐったりだったよ。フリージア先生が現れたのはそんなときさ。先生は村人の家を全部巡って、全員の病気をすっかり治して下さったんだ。そりゃもう、魔法みたいにね」

 夫人の言葉に、ラモザ老人が感慨深げに頷く。人間の肉体や精神を回復させる魔法がこの世界に存在しない訳ではない。しかし、治癒魔法は死を扱う黒魔法と同様に数ある魔法術の中でも最上級のものだ。「穀倉地帯の一握の小麦オルデ」と喩えられるように、その希少価値は尋常ではない。アンネ=フリージアは優れた植物学者だったが、流石に治癒魔法を扱うことは出来なかっただろう。


 となれば、その治癒能力は間違いなく薬草学の知見によって引き出されたものだ。

「そんな腕前のお医者様だ。当然、村を挙げて定住して下さらねえかって頼んだのさ。フリージア先生はそれを二つ返事で承諾して下さってな、山の上に診療所を開いて、薬草園で研究を続けなさった。以来村人の病気は全部フリージア先生が診て下さって、平和なワゼット村が取り戻されたって訳だ」


 老人はそこで話を区切り、一息に水をあおった。

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