タイトル文と以下文章はWikipediaから転載です。
退廃の理論・近代芸術は脳の病気。
「退廃」という概念は、道徳的に堕落している事を指すもので、古くは18世紀より規範に外れた詩や絵画などを批判するために使われていた用語であった。この概念を近代社会や近代芸術全般を批判するために大々的に提起し有名にしたのは、ブダペスト出身の内科医で作家、評論家、シオニストでもあったマックス・ノルダウの1892年の著書『退廃(Entartung、堕落論、退化論とも訳される)』であった。ノルダウによれば、芸術家は過密する都市や工業化など近代生活による犠牲者であり、こうした生活によって脳の中枢が冒された病人とされた。
思考は、考えや思いを巡らせる行動であり、結論を導き出すなど何かしら一定の状態に達しようとする過程において、筋道や方法など模索する精神の活動である。広義には人間が持つ知的作用を総称する言葉、狭義では概念・判断・推理を行うことを指す。知的直感を含める場合もあるが、感性や意欲とは区別される。
成程、よく練られて捻られて表現されていると納得です(笑)
馬鹿にしているのかと思ったキャッチコピーに、馬鹿にしているのかという童話のような内容……いやいや、実際に読んでみるとこれが馬鹿に出来ない。
淡々とした語り口で童話的な話や不気味な話が展開されるが、退廃思考のタイトルどおり、昭和中~後期辺りに流行った退廃的な、或いはノスタルジックな思考を勢いで形にしたような短編集となっている。
1話辺りは短いので、ポチポチと次の話へと移っていけるだろう。
教訓を得られる話の方が圧倒的に少なく、少々物悲しい余韻が残り、それが静かに雨音を聴く時のような、そして誰も見ていない所で振る雨を想像する時のような静黙で 寂寞たる心境へと導いてくれる。
これはある種の才能であろう。
昔の怪談に、訳の分からない奴があるじゃあないですか。
なんか、筋が通らないというか、え、何それみたいな奴。
「第2話 嘆虎殿」がまさにそれ。
いや、筋が通ってないという訳ではないし、「何それ」というのは批判的に言っている訳でもないんですよ。ただこの話の、マジで存在する古典みたいな、不条理と、ギリギリ筋の通る感じと、ラストの一文と、このなんというかなあ。絶妙すぎる。
とりあえず2話を読んでみて、嵌る感じだったら、他にも嵌る話はあると思います。
個人的には、この偽古典というか、偽神話みたいな奴を週に一話読めたら最高に幸せなんだけど、何が、どうして、と言われると、言語化できないので凄く困るみたいな、そんな感じです。
※ホラーか、と言われると、そうではないと思います。
ホラーではないんだけど、なんだか分からないけれど、ぶん殴られたような気持ちになる話があり、それが心地よいです。