第六話『2052:ニケの手巾』

 〈〈〈 二〇五二年〈〈〈


 中三の夏。

 放課後。元三げんぞう美樹仁みきひと佳子かこの仲良しお調子者三人組は、いつものように元三の家で遊んでいる。三人がいるのは、ひんやりとした木目調もくめちょうの床の上。よく目をらせば、あちこちに、砂利じゃり、短い髪の毛、長い髪の毛、菓子のくずなどが散っているのがわかるが、遊びに過集中気味の中学生三人は、そんなものは気にもめない。今、元三と美樹仁がきょうじているのは、二年前から全国の小中学生の間で一大旋風いちだいせんぷうを巻き起こしているカードゲーム、"NIKEニケ"である。両者の、縦二マス、横五マスをプレイフィールドとする各自陣営には、ギリシャ神話の神々の仰々ぎょうぎょうしいイラストが描かれた光機能性高分子ひかりきのうせいこうぶんし製の硬質のカードが、乱立している。お互いの手元には、複数枚のカードが、扇子せんすのように広げて持たれている。。その扇形おうぎがたの面積は、元三よりも美樹仁の方が幾分いくぶん広い。佳子は、そのすぐ横、やや元三寄りのところに座って、観戦する。


「元三、これ、詰んだわね」

 佳子が、冷静に、目玉を左右に振って盤面ばんめんを見て、戦況せんきょうを分析する。


「はぁ!? ま、まだわからないし!? こっちには一ターン目から大事にとってある伏せカードがあるんだ。ほら、防御バリアカードがまだ出ていないだろう? この聖なる罠のカードがひるがえりし時、美樹仁キサマは敗北をきっするのだ!」

 元三が、ソワソワしながら、御託ごたくを並べる。


「いや、それはハッタリだね。ここは攻めるべきだ! いけ! 勝利の女神ニケで、元三プレイヤーに直接攻撃!」

 美樹仁は元三に向かって、大振りの指差し、漫画のキャラクターばりの決めポーズで、そう叫んだ。


「くっ……うわぁぁああ!!! 俺の負けだぁ! やっぱり美樹仁はカードゲームも強いなぁ」

 元三は、手札をわざとらしくばらき、後ろに向かって滑り飛んでいく。勢い余って、壁の、傷の目立つ幅木はばきに、肘鉄砲ひじてっぽうを食わせる。

 

「あはは、それほどでもないよ」

 美樹仁は貴族のような顔で、扇形の手札を使って、顔をゆるりとあおぎ、すずむ。


「この間の理科のテストも惨敗ざんぱいだったしなぁ。俺は六五点、美樹仁は満点」

「カードゲームはともかく、理科のテストとなったら……なんたって、世界的な理論物理学者、秋津上繁茂あきつかみはんもの息子なんだから、さすがに譲れないよなぁ」

「そんな強い後ろ盾は、ずるいよなー。遺伝子っていうのは、残酷だよ!」

「それに……勝利の女神"ニケ"、もついてたことだしね、ほらこれ」


 美樹仁は、勝負の決め手となったカード、『勝利の女神ニケ』を、元三の目の前へと持っていき、自慢げに見せつける。キラキラとしたホイル加工になっているレアカードは、その紙部分のみが、湿気を吸ったせいでりかえっている。


「くーっ! 絶版になった三年前の初期イラスト! 光機能性高分子タイヨウ版じゃなくて、リアルの紙でできてやがる! 激レアカード! そぉれもずるいわー!」

 元三は、そう言って、しょぼくれながら、広げられたカードたちを、一枚一枚、床上のくずと共に回収し始める。


「ねぇ、神々の戦の直後に失礼しちゃうけど、実は…………私から発表があります!」

 佳子が、立ち上がって、仁王におう立ちで、宣言する。


「「おっ、なにー?」」

 元三と美樹仁は、飼い主に駆け寄る犬のように、佳子の足元にい寄る。


「今度、最後の大会があるじゃない? そこで、せっかくだから、願掛がんかけも込めて、マネージャー含め部員みんなでおそろいのハンカチ作ろうと思ってるんだけど、どうかな?」

 佳子の、エモーショナルな提案。

「いいじゃん!」

 大賛成の美樹仁。

「メーカーは?」

 早速話を進めたがる、元三。

「そりゃ、NエンIアイKケイEイー、だろ?」

 当然だ、と言わんばかりに、美樹仁。

「あ、? でもどうして?」

「だって、勝利の女神、"NIKEニケ"だぜ? ほら、俺の持ってるこのレアカードと同じ」

「あれ、ニケって読むのか! 知らなかった! 俺の履いてる黄金まっきんきんかわスパイク、NIKEニケのやつだったのに……」


「おっけい、なら、NIKEニケのハンカチにしよっか。今度、時藤ときとう先生に予算交渉してくるね!」

 佳子は、美樹仁の持つ、り光るニケのカードを見つめながら、そう言った。 



***



 夏の終わり。


 全国中学生サッカー県大会。決勝戦。強豪二校、超越中ちょうえつちゅうサッカークラブ対逆瀬中さかせちゅうサッカークラブの大接戦。試合後半では、一対一、決着がつかずにホイッスルが鳴った。今は、十五分の延長戦アディショナルタイム前の小休止インターバル。ベンチ、顧問の時藤翔ときとう かけるの周りを囲むのは、汗臭いユニフォームを体に張り付けた、元三げんぞう美樹仁みきひとを含むチームメンバーたち。皆、両手を膝につき、肩を膨らませたり、すぼめたりしている。


「よし、内院ないいん、あれを持ってこい」

 神妙しんみょう面持おももちの時藤ときとうが、佳子かこにそう指示する。


「はい、先生!」


 佳子と数人の女子マネージャーたちが駆けた先には、大きな立方体コンテナ。その上部、一辺が樹脂製の蝶番ちょうつがいで下部の本体と繋がれたふたが、満を辞して、長く彷徨さまよった迷宮ダンジョン内でようやっとありついた宝箱のごとく、開けられる。中には、北極海のごとく、揺れる氷水ひょうすい。社会科教師時藤翔ときとう かけるの秘密兵器、クーラーボックスだ。そこに、厚手のタオル、もとい……ハンカチーフ。中央に"NIKEニケ"と大きく刺繍ししゅうの入ったハンカチーフたちが、ごそっと、投入される。今では珍しい綿めん百パーセントの正方形が、うねり、吸水し、沈みゆく。そこに突っ込まれる白い手の数々。ハンカチーフたちは、水の冷たさでより一層きめ細やかに引き締まった女子マネージャーたちの絹肌きぬはだの五本指によって、やや温度を上げながら、ついさっき含んだ水気みずけしぼり取られていく。


「なるほど、ハンカチ、いつ渡されるのかと思ってたけど、このタイミングか」

「おっ、ついに女神様のお出ましか」

 元三と美樹仁がそう言いながら、ニケの手巾ハンカチの到着を待つ。


「はい、元三、美樹仁」

 佳子の声。


 そして、ぺちぃっ、と、何かが叩きつけられるような音。


「「冷たぁっ!」」

 元三と美樹仁は、二人して叫ぶ。


「はい、今ので勝利の闘魂とうこん、注入よ、ふふ」

 佳子は、悪戯いたずらっぽく微笑む。


 元三と美樹仁の手には、いつの間にかキンキンに冷えた"NIKEニケ"のハンカチが握られており、大粒の冷たいしずくが、彼らの全身の汗腺けあなからき出る塩水あせ肉薄にくはくする勢いで、したたる。


「ありがとよ。じゃ、勝利の女神の名にじないように、大勝利といこうか!」

 拳握る元三。

「ああ、のために!」

 と言って、弥勒菩薩みろくぼさつ顔負けのニヤつきを口元に浮かべる美樹仁。


「おい、"NIKEニケ"、な。あんまイジんなって、俺の黄金のかわスパイクが泣くだろ?」


 元三の足元、ハンカチからの水滴で濡れた、黄金の革履物ヘルメスのタラリアが、なめしのつやも相まって、太陽の光をキラリと反射する。


「はは、ごめんごめん。佳子、ありがとな! バチバチに決めてくるわっ!」


 美樹仁がそう言うと、元三と顔を見合わせ、二人揃って、汗か水だかわからないもので濡れた、生暖なまあたたかいハンカチを、佳子の胸にたくした。



***



 延長戦アディショナルタイムに突入後、十三分経過。


 砂塵さじんのフィールドを駆け回る超越中ちょうえつちゅうの十一人のひたいには、汗が、ツーっと、垂れる。


 その汗の構成要素コンポーネントは、暑さによる汗、だけではない。

 

 焦り。


 延長線開始早々、超越中は逆瀬中さかせちゅうに、先制点を許してしまっているのだ。


 一対二。


 あと、二分、あるか、ないか。


 だが、ついに、"その時"がやってきた。


 フィールド上、センターラインを挟んで超越中ちょうえつちゅうの側でばかり無秩序に飛び回っていた、水色をした、五角と六角の組み合わせのボール


 それが、ついに……



——逆行する。



 センターサークルのど真ん中、チームメイトの一人からパスを受ける。確実にトラップしてボールを足元に置いた。彼の背後、右側から、ムンと、汗の臭気が、そよぐ。ミキヒトは、その臭いの発生源には目を向けずに、敵陣ゴールを目掛け、ドリブルを開始する。自動車のエンジン機構の運動のごとく、高速回転する、どろんこのハイソックスを履いた、毛の薄い絶対領域もも肉のぞく脚。圧倒的な加速度で、初速から最大速度。引きで見れば、ミキヒトの動きは完全なる等速直線運動であり、もはや、微小重力下を推進する、宇宙船を思わせる。ミキヒトは、あらかじめ決められているかのような軌道オービットを進み、向かってくる有小惑星群アステロイズが、一つ、二つ、三つ、四つと、いとも簡単にかわされていく。そんな中でも、ミキヒトの表情は、やはり不敵な笑みアルカイック・スマイルである。



「ヘイ! ミキヒトッ!」


 

 陣形の右翼うよく前方から、声。


 元三だ。


 敵陣の最終防衛線オフサイドラインキワキワで、雄大ゆうだいに、直立している。



「いると思ったよ」



 ミキヒトはボソッとつぶやき、元三の前方、完璧な位置に、パスを出した。

 


「ナイスッ!」



 元三の黄金のスパイクタラリア内側インサイドが、危なげなく、ボールを捕える。


 ゴールの方へ、吸い込まれていく元三…


 タッ、タッ、タッ、と翔け、翼が生えたように、軽快なドリブル。



「お"ぉい元! ナウマンが、揺れてる!」



 ミキヒトは、やけに緊張感のない声で、そう声を投げる。


 そう、ミキヒトは。


 勝利を確信したのだ。



「まかせろぉおお"お"!!!」



 そう叫びながら猛進する元三は、もう、誰にも止められない。


 揶揄やゆされる元三の、汗でユニフォームがトランクスごと張り付いた股間部分の膨らみが、上下に揺れ、悪目立ちする。


 超越中勢ちょうえつちゅうぜいは、後方守備ラインのチームメイトも、控え選手も、佳子ら女マネも、顧問の時藤も、総立ちで大興奮。




——そして有翼ゆうよくの金のタラリアは、水色の星を、ゴールネットへと放った。 




 ピィと、同点の笛。


 その勢いのままに……


 超越中ちょうえつちゅうは、タイマーの0ゼロの直前で、追加点を決めた。


 手巾ハンカチーフのおかげか、勝利の女神"NIKEニケ"は、超越中サッカークラブに、微笑んだ。



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