第二話『2049:過去を巡りて』

 〈〈〈 二〇四九年〈〈〈


 春と夏の過渡期。

 超越ちょうえつ中学校、一年X組の教室。最前列ど真ん中、少年少女三人組が、横並びの三席で、仲良く同じ足組み姿勢ポーズ、左膝の上に右脚を上げて、座る。

 向かって、左から順に……


 野尻元三のじり げんぞう

 秋津上美樹仁あきつかみ みきひと

 内院佳子ないいん かこ


 超越中ちょうえつちゅうサッカークラブのエース二人と、そのマネージャー。佳子かこは、いわゆる女マネというやつである。

 彼らは今、妙なことに、顔は真顔で、口元は、妙にニヤついている。というのも……


 今、中学校じゅうで、「半跏思惟像はんかしゆいぞうごっこ」が大流行している、からである。


 が、ごっこあそびに水をさすように、教室のドアがガラガラと開いた。


 社会科教師の時藤翔ときとう かけるが、三人を見るや否や、

「おい、お調子者トリオ、授業始めるから、ハンカシュイごっこは終わりだ」

 と、手をパチパチ叩いて、仏像の呪いを解く。


 三人はつまらなそうな顔をしながら、机の引き出しから、歴史の授業に必要な、光機能性高分子ひかりきのうせいこうぶんしでできた薄っぺらな教科書類、そして文具一式を取り出した。


 日本史の授業が始まる。

 先週は、旧石器時代から奈良時代の範囲で問題が出題される定期テストが行われた。今日は、テストの返却と、答え合わせが行われる、というわけである。


 教壇に立つ時藤ときとうが、生徒を一人ずつ呼び、赤ペンの入ったテストを返却する。


 まずは、元三げんぞう


「うい、野尻。お前は本当にゾウが好きだなぁ」

「え、どういうこと、時藤先生」

「まぁ、見りゃわかるさ」

「ふーん……あ! "65"かぁ。まずまずってとこだなぁ」

 元三げんぞうは、口をへの字に曲げ、テストの結果に不服そうである。


 次に、美樹仁みきひと

 

「うい、秋津上あきつかみ。お前はやっぱり、先生の見込んだ通り、絵に描いたような優等生だ」

「あ、もしかして俺、満点取っちゃいました?」

「あぁ、そのまさかだ」

「おー! 百点満点! いぇーい!」

 美樹仁みきひとかえるのようにピョンピョン跳ねながら、"100"と大きく書かれたテスト用紙を、クラスの皆に、自慢げに見せつける。


 そして、佳子かこ


「うい、内院ないいん超越中学ちょうえつちゅうがく一年のマドンナは、才色兼備さいしょくけんびとなるかぁ?」

「やだ先生、そんなセクハラ、校長先生にチクりますよ?」

「あーっとすまない! お願いだからそれはやめてほしい!」

「ま、冗談ですよっと……あ! "96"は中々いいじゃない。もしかして、美樹仁みきひとの次に高得点?」

 佳子かこは、ニコニコ笑顔である。 


 時藤ときとうは、失言を恐れてか、無言でうなずき、

「じゃあ、答え合わせするぞー」

 と言って、年季の入った黒板に、炭酸カルシウムの白いチョークを走らせ始めた。



*** 



 時藤ときとうが、テストの解説を続けている。


「えー、ここは旧石器時代についてだな。〈一九四八年、長野県の野尻のじり湖で、湖畔こはんで旅館を営む加藤松之助氏によって(  )カッコ臼歯きゅうしが発掘される。〉とあるが……野尻お前、ここ、合ってたよな? 答え、言ってみろ」

 時藤が嫌味っぽく尋ねる。


「はい、『ナウマンゾウ』でーす!」 

 元三げんぞうはそう言って、わざわざ立ち上がる。


「おい野尻、元気がいいのはいいことだが、わざわざ立たなくてもいいって。自己紹介か?」

「あ、すみません。元気なナウマンゾウはいますよ? ほら、ほら!」

 

 元三げんぞうは、自身の股間を両手の人差し指で示し、その場でぐるりと三六〇度回って、クラスの皆に猛烈アピールする。


「「アハハハハ!!」」

 と笑うのは、美樹仁みきひと佳子かこの二人だけである。


 美樹仁みきひとは腹を抱えて笑い続けるが、

 佳子かこの方は、すぐに周囲からの視線に気づき……


「あ、元三、そろそろ座ったほうがいいかも。みんな、ドン引きしてるから」

 と、元三を座らせる。


 時藤ときとうは、無言の苦笑いで、解説を再開する。


「じゃあ次の問題は、飛鳥あすか時代の文化についてだ。〈写真①の、円柱状の台座に腰掛けて左脚を下げ、右の足先を左の太腿ふとももの上にのせて足を組み、ほぼ直角に折り曲げた右膝の皿の上に右ひじをつき、右手の人差し指、中指、薬指を軽く右ほほに触れる姿勢の仏像は、京都最古の寺である広隆寺こうりゅうじにあるものであるが、その呼称を漢字で答えなさい。〉とあるが……じゃあ、野尻のじり、こっちへきて黒板に書いてみろ。汚名返上おめいへんじょうといこうじゃないか」

「ちょっと時藤先生、変な呼び方はやめてくださいよぉ!」


「「「「アハハハハ!!!!」」」」

 と、今度はクラスの皆が笑ってくれた。


 元三げんぞうは、なんやかんやで嬉しそうにちょこまかと教壇へ上がり、チョークを取って黒板に文字を書き始める。


⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎

⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎広隆寺弥勒菩薩半跏思惟象⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎

⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


「ガッハッハッハ! 野尻、やっぱりお前は、野尻の名前にじない、立派なナウマンみたいだな!」

 時藤ときとうが、ガハガハ笑いながら、ナウマン野尻を褒め称える。


「何? 時藤先生、どういうこと?」

 元三げんぞうは、己の痛恨のミスに、気づかないでいる。


「元三、"ゾウ"の字をよく見てみろよ。がないから、パオーンの方のゾウさんになってるって!」

 美樹仁みきひとが、そう指摘する。


「あ"ーっ!」

 と、叫んだ元三は、失意のあまりくずおれて、教卓きょうたくに隠れて見えなくなってしまった。


「はい、ぴえん超えてパオン。正解は『広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像こうりゅうじみろくぼさつはんかしゆいぞう』。きっと、前の問題のナウマンに引っ張られたんだろうな。にしても惜しいなぁ、これが書けてたら、クラス最下位を回避できたのになぁ」

 そう言って時藤は……


⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎

⬛︎⬛︎広隆寺弥勒菩薩半跏思惟象🐘パオン!⬛︎⬛︎

⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 "象"の横に、ゾウの絵を書き足した。

 

「しかも最下位だったのかよ! まずまずとか言ってたのがバカみたいだー! くそー、弥勒菩薩の身長と寿命なら答えられたんだだけどなぁ」

 元三が、起き上がって、教卓の上にひょこっと出てくる。


「何それ、ちなみにどれくらいなの?」

 佳子が尋ねる。

「身長は八キロメートル、寿命は四〇〇〇年。すごくね? 資料集に書いてたよ?」

 元三は、自慢げに答える。


「じゃあ、せっかくならそこを見てみようか、皆、資料集の十三ページを表示してくれ」

 と、時藤が、生徒の私語をうまく活かしてやる。


 クラスの皆が、一斉に、光機能性高分子ひかりきのうせいこうぶんしの薄いパネルを操作し始めると……


 生徒たち全員の資料集のパネル上。

 妙な姿勢で円柱の台座に座る仏像の画像が、大きく映し出される。

 

 画像の下に、説明書きがある。


弥勒菩薩みろくぼさつとは、釈迦しゃかの死後、56億7000万年後の世に降臨こうりんし、釈迦に代わって人々を救う未来仏である。上の写真の像(広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像こうりゅうじみろくぼさつはんかしゆいぞう)は、弥勒菩薩が台に座って片足を他方の足の上に乗せ(半跏はんか)、人々を救済する方法を求めて思索しさくにふける(思惟しゆい)様子を表現している。〉


「へぇ、弥勒菩薩って、未来に降りてくるのね。タイムマシンにでも乗ってるわけ?」

 佳子かこはそう言って、左隣の優等生、美樹仁みきひとに視線を飛ばす。


「うーん、どうだろう。仏ってくらいだから、もっと得体の知れない超常的パワーを使いそう。でも、飛鳥時代の人が、タイムマシンって発想を持ってたとしたら、それはそれで興味深いなぁ。おーい、どうなんだ、厩戸王うまやどのおう!」

 美樹仁は腕組みをし、斜め上を向いて、過去の大物政治家に、届くはずもない念を飛ばす。


「へぇ、タイムマシンねぇ……。にしてもこのポーズ、本当面白いよな。みんなでやろうぜ! な! な!」

 まだ教壇に堂々と陣取っている元三が、提案する。


「おい野尻、教師から授業の主導権を奪うなって!」

「いいじゃん、時藤先生もやろうやろう!」


 元三は、時藤を教卓の隣の担任教師用のデスクに無理やり着かせ、自身も席に戻る。


 そういうわけで一年X組の生徒たちは、半ば強制参加で、半跏思惟はんかしゆいごっこに巻き込まれる。


 まず、お調子者トリオがそろって先陣を切る。半跏思惟はんかしゆい姿勢ポーズ。左から順に、同じくらいの高さの半跏思惟像がまず二つ、元三げんぞう美樹仁みきひと。美樹仁の右隣の、一回り小さい像は佳子かこ。佳子の、育ち盛りの女子特有の丸みをおびた華奢きゃしゃな体が、柔らかな木の曲線美を誇る半跏思惟像を表現するのには、最適のようだ。それから、周りのクラスメイト三十人ほどが、三人にならう。社会科の教師、時藤翔ときとう かけるも、躊躇ためらいつつも、ぎこちなく、真似まねしてみる。

 異様な光景。

 こうして、三十体きょう弥勒菩薩半跏思惟像みろくぼさつははんかしゆいぞうは、半跏足組みし、思惟未来を思慕するのである。


「おいおい、みんなまだ、恥ずかしがってるんじゃないか? 口元には妙な微笑アルカイック・スマイルを忘れずに!」

 元三が、皆に指図する。

「おい元三、そんなことよりも太腿ふとももはさんで、"パオン"しないよう気をつけて脚を組めよ?」

 美樹仁が、頬に伸ばしたままの右手の肘で、左隣の元三を小突く。

「ばーか、そんなにデカくねぇよ。なぁ、佳子?」


 元三の、デリカシーを欠く発言に不意打ちをくらい……


「にょっ!? ……なんのことかしら?」

 と、佳子はあくまで純粋なよそおうのだった。


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