第三話『2069:夜襲』

 〉〉〉二〇六九年 〉〉〉


——野尻元三げんぞうと、その妻佳子かこは、元三が親から受け継いだ一軒家、そこに建ってから随分ずいぶん長くはなるがそれ相応の趣深おもむきぶかさを備えた洋館に、住んでいた。



 ある夏の

 腰の高さの、薄橙うすだいだいひかえめな明かり。寝室のクイーンサイズベッド。薄めの掛け布団の膨らみ。その一端いったんから、ひとそろいの指毛が伸びた大きめの足。ひと揃い、というのは、波打つ布の中身が独りきりであると意味するのではなく、二人の中身のうち一人の背丈せたけが、クイーンサイズの縦幅に肉薄にくはくすることを意味する。四辺形しへんけいの布は、その表面上で次々と来たる波のせいで四辺しへんの平行を乱しており、毛の目立つ足先ののぞく辺に向かい合っている対辺たいへんの先には、ひしゃげた、横長の枕。その白が基調の枕カバーには、よだれでやや黄ばんだ染み、短い毛、長い毛、まれちじれた毛などが散見さんけんされるが、それらを気に留める者は、この屋根の下に、誰一人としていない。大小二つの頭蓋スカルが、その輪郭りんかくからはみ出た三角の突起を肉肉にくにくしく突き合わせて向き合う。


「ねぇ元三げんぞう

 と妻は、湿った息の塊を、夫の口にあてる。


「なぁに佳子かこ?」

 と夫は、突き合わせていた鼻がペしゃっと潰れるほどに圧をかけ、返事する。


「ずっと言おうと思っていたんだけど……私たち、子供が欲しいと思わない? 年齢的にちょっとギリギリかもだけど、今はいい出産方法も増えてるみたいだし」

「うーん、確かになぁ。子供かぁ…………。あ、男の子だったら、サッカーを教えてやりたいな」

「あ、じゃーあ、女の子だったら……サッカー部のマネージャーね?」

「おいおい、お互い過去の自分を反映させる気満々じゃないか」

「うふふ、そうね。でも、親ってそんなものなのかしらね」

「そうかもなぁ…………。ま、男の子でも女の子でも、佳子かことの子なら、どんな子でも、一生、愛せるよ」

「何よ、こんな歳にもなって、カッコなんかつけちゃって……」

 直後、衣擦きぬずれだけが部屋にこだまし……


 部屋の中の時は静止する。

 しばしの沈黙。

 その静けさは、脱ぐものは脱ぎ終わり、くちびるどうしが重ね合わせられているせいで引き起こされている。


 そこで突如とつじょ

 ドドドドドドドド! 

 と下品な足音。


 音の出所は、近い。


 二人は咄嗟とっさに顔を離し、まるで部屋の熱を帯びた水蒸気が氷へと凝華ぎょうかするかのように、身を固まらせる。


「何だ、今の音!?」

「まさか、泥棒かしら??」

 二人は見つめ合って不安がる。


「ちょっと見てく——」

 と、姿元三が起き上がり布団を出て、寝室の入り口扉に近い側からベッドを降りた矢先。


 寝室の入り口、やや立て付けの悪いドアが内側に、蛞蝓なめくじが地をうようにゆっくりと、開き、蝶番ちょうつがいが高く鳴く。


 額縁がくぶちのようなドア枠の中に立っていたのは……


 黒尽くろづくめの男。

 その人相はフードを深く被っているせいではっきりとはわからないが、背丈は元三と同じくらいにあって、体格はに良い。挙動も比較的若々しく、そう簡単には撃退できるはずもない。元三は目線だけを使って、彼自身と同じく頭部と恥丘ちきゅうを除いては赤裸せきらの佳子に、扉のある方とは逆、部屋の奥に行くよう誘導すると、両手を、自陣の標的ゴールを守るキーパーのように広げて、かばう。


 よく見ると、侵入者は、刃物を持っている。その刃物は変わった形の短刀、もっと言えば、恐らく国じゅうの店を回っても手に入らないであろう短刀で、色は七色、燃え盛る炎のような形の刃を備えた未来的なデザインをしている。

 切先が、元三に向けられる。


 元三は反射的に、枕元にあるほこりまみれになった小型の間接照明器具へ手を伸ばし、そこから伸びる同じくほこりまみれの電源プラグの存在を無視して胸元に引きせる。ブチリと、ソケットから差込接続器プラグが抜ける音。刹那せつなに、億千のくずきらめきが噴出しちゆく姿があったが、いっそう深さを増した暗がりによって、それらはき消される。


 闇の到来とほぼ同時に、侵入者は直立不動のまま、ドア横の壁のとある部分に向けて、短刀を持っていない方の腕を伸ばし、その人差し指を、、目視無しでトンと叩くのだが……

 何も起こらない。

 寝室は、依然いぜん暗い。


 元三も隙を見て負けじと、間接照明器具の傘の部分を、ベッドの枕側が接している壁に叩きつけてその一部をバリンと割ると、鋭くなったガラス質を、侵入者に向ける。


 すると、侵入者はあっさりと、一目散に逃げていった。


 〈〈〈 第四話『2049:机上論』へ〈〈〈

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