第七話『2069:未来人からの少数報告』

 〉〉〉二〇六九年 〉〉〉


 蒸し暑さは続く。

 警察による捜査から数週間が経ったが、虹色の未来的な刃物をたずさえた黒尽くろづくめが再び現れる気配は、全く無い。そういうわけで、野尻夫妻は、いつものように、可もなく不可もない生活を送っている。


 ある朝。

 青い空、白い雲、雲でかげる太陽。


「じゃ、いってくるわ」

「ああ、気をつけて」


 今日は、佳子だけが仕事で、元三は丸一日、休みである。


「あ! 光機能性高分子タイヨウ新聞、取っておいて!」

「ああ、まだだったか。というか、そもそも新聞、きてたか? いつものオンボロチャリンコのキィキィって音はしなかったが……」

「いや、に、寝室の窓から確かに見たわ。いつもと違う配達員みたいだったけど」

「おいおい、カーテン開いてたのか? 新入りに見られてたらどうするんだよ」

「いやぁねぇ! 元三が朝からだから、バタバタして忘れちゃったのよ? 全部あなたのせいよ」 

「ごめんって」

「うふふ。でも気にしなくていいのよ? 私もアレだったから」

「なんだよそうだったのか! なら早く言えよ」

「そんなのつまらないじゃない」

「まぁ、そうだな。って、急ぐんじゃないのか?」

「本当! 遅刻しちゃう! いってきまーす!」

 元三は、一人職場に向かう佳子を、門扉もんぴを挟んで見送る。

 

 佳子が遠のいて見えなくなると、門扉もんぴの横の郵便受けを開いて、身をかがめ、中をのぞきこむ。


 新聞はない。

 代わりに、一通の便りがある。


 小ぶりで質素しっそな茶封筒。

 それは、今どきの光機能性高分子ひかりきのうせいこうぶんし製ではなく、いにしえの素材、〈紙〉が使われている。そして、どうやら様子がおかしい。ペラペラな〈紙〉が、元三の手によって、何度もクルクルと繰り返し反転されるのだが、茶、一色。たいそう無作法なことに、宛名と宛先は無く、送り主の名も見当たらない。よって当然、郵便印ゆうびんいんも無ければ、配送の形跡も無い。元三は、眉をひそめながら、便りを家の中へと運ぶ。どこかの棚にはさみのしまってあるリビングまで、一直線に向かいそうな勢いの歩み。そう思われたが、廊下の途中で、急停止する。よほど中身が気になるのか、封筒の端を手でビリリと不恰好ぶかっこうに千切って開け、中から、二つ折りになった、古臭い〈紙〉製の茶色い便箋びんせんを取り出す。便箋を広げる。


 わざわざ〈紙〉を使っている割には、

 何かしらの機械を用いて作られたのだろうか、

 手書きではなく、タイプされていて、

 無機質なありふれた字体のみで、

 埋め尽くされている。


 元三の二つの目玉が、コロコロ転がるように、文字を追う。


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 過去に生きる俺へ。


 まず始めに自己紹介を。俺は、二〇七九年の野尻元三だ。この手紙が届く頃俺は……例の事件もひと段落していることだろう。つまりは、俺の家に押し入った侵入者の話だ。単刀直入に言えば、あれは、俺だ、せいで、人相は確認できなかったかもしれないが。そうだ、フード。俺は侵入時、フードを被っているはず。何せ、俺自身が、だからな。そして、俺が二〇六九年に戻る理由だが……それは、とある悲劇の回避のためだ。俺が既に一度経験した現在の世界、つまり今この手紙を読んでいる俺にとっては未来の世界で、俺と佳子は、子育てに奮闘している。過去の俺には当然、わかるはずだろうが、俺と佳子は、あの夜、子をもうけるはずだった。はずだった、というのは、俺が阻止する予定だから、そう表現している。その子は女の子。名前は、結衣奈。読み方は、「ゆいな」だ。可愛い名前だよな? だが結衣奈は実は……重い障害を抱えて生まれてくる。現在の俺が過去の俺に接触していることからもわかる通り、佳子、現在、未来を行き来できる技術は確立されるが、それでもなお、決して治すことのできない、重い障害だ。そのおかげで俺と佳子は、本当に苦労する。どうせこの手紙を読むのは自分自身なのだから、白状しよう。正直、結衣奈を育てるのは……きつかった。きつかっ「た」。もはや、佳子形だ。俺と佳子は、手のかかるガイジ……いや、障害児のせいで、ほんの少しの気の休む間もない。ほとんど廃人のようになった。何のために生きているか、わからなくなったよ。わからなくなった俺は……俺は……結衣奈を、手にかけようとした。いや、実際、結衣奈の首を、俺は両手で、それなりの握力をもって、包む所までいっていた。その両手で、結衣奈の、か細い首を、強く締めれば、俺も結衣奈も過去も、全ての苦しみから解放されるような気がしていた。だが俺は…………できなかった。無理だった。いくら、自分たちの生活の苦しさの原因だと言っても、我が子を、この手で殺すなど、無理だ。だから、俺は考えた。そして、突拍子もないことを思いついた。「殺せないのなら、そもそも生まれないようにすれば、我が子を殺さずに、その存在を消すことができるじゃないか」と。肝心のその方法だが……人生というのは奇妙な偶然が起こるもので、俺と佳子の親友と言うべき存在、秋津上美樹仁が、ちょうど俺がその突拍子もない案を思いついたのとほとんど同じ時期に、タイムマシンを完成させたのだ。美樹仁。そう、あいつは、とんでもないことをやってくれたよ。俺はすぐに美樹仁に頼んで、タイムマシンの記念すべき処女航海を、結衣奈の誕生阻止のために使わせてもらえるようにした。そういうわけで俺は、野尻夫妻の「仕込み」を邪魔し向かうわけだ。別に俺は殺人を犯すわけではない。生まれていないものは、殺せない。それに、どうせ子供なんて、また後日セックスすれば、いくらでも産めるものだろう? セックスのタイミングが違えば、受精の具合も変わるだろうから、結衣奈とは全く別な、障害のない健康優良児が生まれるだろう。だから、わざわざ警察に……この手紙の件は話さないでいい。タイムマシンなんて信じるはずもないし、そもそも、俺は、そんな気にはならない、よな? 何せ、遥か十年先とは言えど、我が子への殺意がバレてしまうんだからな。いずれにせよあの刑事は〈ヤクタタズクズ〉だ、話しても無駄だ(この言葉の意味が、わかるだろう?)。よって、俺がするべきことはただ一つ、もう一度、子作りを試みればいい。結衣奈という未来にいたかもしれない存在は、この手紙限りで、消してしまえ。過去の俺には、なんの罪悪感もないはずだ。俺は、過去を変えてまで、我が子を消そうという決断を下せる人間だ。俺は所詮、そういう人間だ。殺人のような明らかな犯罪以外は、何だって、できるはずだ。そして忘れてはいけないのは……ここに綴ることの全てを実現可能にするのは、美樹仁だ。美樹仁がタイムマシンを完成させたのは、奇妙な偶然なのではなく、必然だったのかもしれない。美樹仁は、そういう意味では、野尻夫妻の救世主のような存在だ。そうだ、美樹仁は、こんなふうに、小難しいことを言っていたよ。


 ——俺は、タイムマシンを発明したことで、時を自由に行き来する存在になった。つまり、既存の人間よりも高次の存在となったのだ。具に言えば、この地球というアインシュタイン的四次元時空を超越し、より高次元の住人となったのだ。だから俺はもはや……躊躇わずに言えば、現在、過去、未来を俯瞰する、神のような存在なのだ。


 一言一句違わず、とはいかないかもしれないが、とにかく、そんなことを言っていたよ。


 ちなみに俺は、全てを実行する前に、佳子の人生を変える旅に出る前に、現在、つまり二〇七九年において、この手紙を書いている。そして、過去に着いてすぐ、事件から数週間後の日付指定便で、この手紙が届くように手配していることだろう。お前がこの手紙を読み終わる頃には、とっくに、俺と佳子が結衣奈の障害のおかげで苦しい生活を余儀なくされる未来は、健やかなる結衣奈ではない他の子供と幸せに過ごす未来に変わっているはずだから、過去の改変が未来に反映される前に、前もって手紙を書くしかない、というわけだ。

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 未来の野尻元三を名乗る人物からの、手紙。

 数箇所、誤植ごしょくがあるが、それはタイプされて作ったために起きた変換ミスだろう。元三は読み終えるとすぐ、全身の力が抜けるような感覚に襲われ、手から、無意識に、手紙を落とした。床に落ちた手紙は、元三が動揺したのか、あるいはごく自然に夏の蒸し暑さのせいか、どちらかはわからないが、とにかく…………



 塩水あせで、びっしょりと、濡れていた。

 



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