第十一話『2069:アキツカミミキヒト』

 〉〉〉二〇六九年 〉〉〉


「やぁ。まぁ、そこに座れよ」


 その返事は、確かに元三の顔をした誰かの口から発されたが、声は明らかに、元三本人のものとは思えない。少なくともこの誰かが、二〇六九年の元三ではないとこだけは確かである。


 元三は、この滑稽こっけいにして珍妙ちんみょうな現象、つまりはこの部屋の中にブザーを鳴らして入る前に見ていた大きな姿見すがたみの前に立っているかのような感覚に襲われる恐怖、これに対峙たいじして、眼球の動きだけで、目の前の切り株型の椅子に座る自分と瓜二つの男の全身を、くまなく観察する。観察を一通り終えると、おもむろに、用意されたもう一方の切り株型の椅子に、自らも腰掛ける。


「ひさし、ぶりだね」

 元三はそう言って、とてつもない違和感を強引に押し切って、会話を進めようとする。


「ああ。本当に、久しぶりだよ」

 は、落ち着き払ってそう返すと……


 下げた左膝の上に右足を組む。

 右手の五本の指ををいやらしくこねくり回す。

 そのまま指先を、人差し指と中指と薬指とを、軽くほほにあてる。

 真顔で、元三の両目を、しっかりと捉える。


 それら過程は、蛞蝓なめくじの歩みの如く、のろりのろりと、済まされた。


 二人がぎこちない挨拶を交わした後は……


 部屋が、薄気味悪い沈黙に襲われる。


「そうだ、見せたいものがあるって言ってたよな? ひょっとするとそれは……のことか?」

 元三は、まるで今話しかけている相手が、美樹仁であると確信しているかのように、尋ねる。


 すると、元三の顔をした誰かは、真顔を作る表情筋はそのままに、口元のみを動かして、妙な微笑アルカイック・スマイルを浮かべて……

「…………フフッ」

 と、笑い声をわずかにこぼすばかりで、具体的な返事をするには至らない。


 沈黙は続く。


 元三は、真顔で見つめてくるその誰かから、目をらすことができない。


 元三の顔をした誰かの指先、依然いやらしさを保った右手の指先によって、分厚い襟巻きマフラーが、引きがされ、床に捨てられる。薄手の白いワイシャツの胸元は、第一、第二ボタンが開いていて、肌が露わになっている。が、おかしい。首と胴体との間、つまりおよそ鎖骨の上あたりに、あるはずのない境界線が引かれているのである。右手の指先は、今度は、頭頂部へと伸びていき、自分で自分をつまみ上げるような動きをしたかと思えば……


 鎖骨の上から頭頂部にかけての皮が、ずるりと、葡萄ぶどうのように、けた。


 皮の下の顔は……


 美樹仁だった。


 向かい合わせに座っている元三と、老けた、美樹仁だった。


 元三の顔が、床にぼてっと、転がり落ちて、止まると、ひしゃげる。そう。それは、眼球の部分だけがくり抜かれた、元三の顔を模した、精巧せいこう覆面マスクだった。ひしゃげた覆面マスクの、口元のゆがみは、偶然、さっきまでの妙な微笑びしょうとそっくりになっていた。


「美樹、仁……」

 元三の声は、全てを悟ったような、息混じりのかすれた声。


「なぁ、元三……」

 その声は、もう完全に、美樹仁本人のものである。


「な、なんだい?」

からの手紙は、読んだか?」


 "手紙"という単語に、元三は、体をびくつかせて、反応する。


「手紙……手紙っていうのは、つまり、未来の、二〇七九年の俺からの——」 

「違う! お前じゃない! ミキヒトだ! まだ受け入れないのか? 馬鹿だなぁ、お前は! よく聞け、これから俺が言うことを。〈俺は、タイムマシンを発明したことで、時を自由に行き来する存在になった。つまり、既存の人間よりも高次の存在となったのだ。つぶさに言えば、この地球というアインシュタイン的四次元時空を超越し、五次元の住人となったのだ。だから俺はもはや……躊躇ためらわずに言えば、現在、過去、未来を俯瞰ふかんする、神のような存在なのだ!!!〉」

 美樹仁は、そのように、そらんじた。


 元三は、開いた口が、塞ぐことができなかった。


 なぜならば元三には、その内容に、よく、聞き覚えがあるからだ。


秋津上美樹仁アキツカミミキヒトは、改名した。現御神未来人アキツカミミキヒトと! いや、音だけでは伝わらないか? 音は変わらないからな! 漢字はどんなふうか教えてやろう! 現在に人間の姿で顕現けんげんせし神! つまりは現人神あらひとがみだよ! そして『未来人みらいじん』と書いて、『ミキヒト』だ! 理解できるか? お前の頭に! タイムマシンなど……ない! 開発は失敗だった! お前は、野尻元三は、俺という神の手のひらの上で、転がされていたに過ぎないんだよ!!!」


「そこいらに散らかっている太陽新聞を見てみろ! 見出しを見てみろ!」


 未来人みきひとは勢いよく立ち上がり、部屋中の光機能性高分子タイヨウ新聞を、拾い上げていく。


「見ろこれを!——〈快挙! 秋津上あきつかみ博士開発の最先端望遠鏡が超大質量ブラックホールを観測!〉——してねぇよ

バーカ!——〈入滅教信者激増! あの天才博士もカルト集団の一員に!?〉——バカな親父がバカみたいな宗教にハマりやがった! ほらこれはどうだ?——〈地球の終焉近し!? 天才博士曰く、地球は死の星となる!〉——んなわけねぇだろ!——〈水星のそばにワームホール現る!〉——これもひどい!——〈ワームホールは、超大質量ブラックホール"Tusita"トゥシタへと繋がっている!?〉——んなもんねぇよ!!——〈地球型惑星エイザレス、"Tusita"トゥシタ軌道上に発見せり!〉——バカめ!——〈地球宇宙船化計画! 282億人を救うのは核融合エンジン!?〉——狂ってやがる! 全部デマだ! 尊敬してたはずの親父は、ただの詐欺師だった! もちろん知ってるよな? とんでもない大ニュースだったからな! 大親友の父親の欺瞞ぎまん! 蛙の子は蛙だ! 俺も、元三お前に! とんでもない欺瞞を働いてやったぞ!」


 未来人みきひとは、吐き捨てるようにそう言って、集めた光機能性高分子タイヨウ新聞を、今度は、ばらく。それらはひらり舞って、再び部屋に散った。


 元三は、何も言い返せないでいる。


 すると未来人みきひとは今度は、散らばった光機能性分子タイヨウ新聞を、次々と、一つ一つ着実に、足裏あしうらで捕らえていく。パキパキ、バキバキと、新聞の光機能性ひかりきのうせい薄膜はくまくが割れる音で、まるで元三を威嚇いかくしているかのようである。


「元三、お前が全てを知った上で、聞きたいことがある。俺の書いた、偽りの未来人みらいじん、いや未来人みきひとからの手紙を読んで、お前は未来の自分に、失望したか? なぁ? なぁ? 失望したか? どうなんだ? なぁ? なぁ? なぁあああああ!?」


「……ああ。したよ。自分という人間の、価値の無さを認識したよ。もう、死んでやろうかと思ったよ。でも今手紙が捏造ねつぞうだったとわかって考えはもちろん変わっ——」


「遺書は書いたか? 書いたか? 書いたか書いたか?? なぁ? 言えよぉ、なぁ!?」


「……ああ、書いたよ」


「だよなぁ! 知ってるぞ! お前が遺書を書いたのは、知っているぞ! ?」


「どうして……知っているんだ!?」


「うるせぇ! 知らずに死ねっ!」


 刺突しとつ


 未来人は、どこからともなく、刃物を、あの時の、刃が燃え盛る虹色の炎の形をした短刀を取り出し、元三の腹に、深く、刺した。


「ごめんなぁ……元三。俺は、佳子が好きだったんだ。お前がうらやましかったよ、本当に。だから、学生時代は、色々と悪戯いたずらをしたよ、佳子に。とんでもないやつをね」


「まさか、お前……」


「ふふふ。有翼のサンダルタラリアが、其方そなた冥界めいかいへ誘おう……」


 未来人は、元三の中に収まっていた短刀を、ゆっくりと、引き抜く。


 魂が抜けたように、汚い床に、倒れ込む元三。


 元三は、息絶えた。


「元三、最後は結局、俺なんだよ。あの時の決勝点も、俺だったもんな?」

 

 アキツカミミキヒトは、死体にそう吐き捨てた。


 (((((弁士による独白『Stereotypicalステレオティピカル Fallacyフォラスィー-色眼鏡的いろめがねてき誤謬ごびゅう-』へ)))))

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