第十二話『2049:佳子を巡りて』

〈〈〈 二〇四九年 秋〈〈〈



 超越ちょうえつ中学校の体育倉庫裏。

 倉庫のコンクリートの壁のすぐそば。薄橙色はだいろの細い孟宗竹もうそうちくの一本は、その盛りは過ぎたものの、空に向かってやや左曲がりに伸びている。竹を挟むようにして鎮座ちんざするは、そこそこの面積、断面が楕円だえん形の背の低い切り株が二つ。あらめの粒子の砂利じゃりの上には、青い雑草が、鬱蒼うっそうと、とは言えないほどに、まばらに生える。人通りは、ない。その空間にある人影ひとかげ……


 元三げんぞう佳子かこ

 向かい合って立っている。お互いの距離は、小股こまたで二、三歩ほど。共に、いつもは見せない真剣な表情。落ち葉が風に吹かれてカラカラと跳ね飛ぶ音が目立つほどに、一帯は静かであるが、この空間にいるのは、二人だけではない。物陰から気づかれないように、二人の様子をじっとのぞいている……


 男子児童。

 美樹仁ミキヒトだ。


 美樹仁ミキヒトのいるところまで、二人の声は届いて来ないが、状況から、また口の動きから、どんな会話をしているのかは、想像にかたくない。


 佳子の桃色のくちびるが、【u】母音、【i】母音の形を、順にとる。


 元三の、子供にありがちな皮のけた唇が、【o】【e】【o】で返事する。


 一拍置いて……


 二人は近づき合う。

 唇どうしが触れ合う。四つの桃色が一点に集まり、まるで芋虫いもむしあゆみのために蠕動ぜんどう運動をするがごとく、モニュモニュとうごめく。唇が、離れる。元三の乾いていたはずの唇はうるおいを取り戻し、その上下間じょうげかんには粘性ねんせいの糸を引いている。静かに見つめ合う二人。そしてもう一度互いに唇を寄せ……むさぼり合う。元三の両腕は、目の前の、第二次性徴だいにじせいちょうを迎えた女子特有の、土偶どぐうのような曲線の目立つ体を、前半身ぜんはんしん上部の二つの膨らみを、後半身こうはんしん下部の二つの膨らみを、ほしいままにする。焼き上がって可塑性かそせいを失ってしまったのか、土偶には一つの抵抗の兆しも確認できない。

 二人がこのような行為におよぶのも、無理はない。中学生に上がって半年も経った頃、佳子と元三は、お互いを異性として見るようになっていた。きっかけは……何者かによる、佳子への嫌がらせ行為である。学年のマドンナ的存在だった佳子だが、彼女に、思春期の体の変化が人よりも早く、それも顕著けんちょに現れたこと、さらにそこに美人という要因も重なってか、体操服がなくなったり、リコーダーにされたりする事件が度々たびたび起きていた。事件の度に、体操服もリコーダーも新調されたので、佳子の私物は、そのほとんどが常に新品であった。そのせいで、佳子は……学校を休みがちになっていた。そんな時に佳子の支えになったのが、元三だったのである。


 そんな二人を眺める美樹仁は……


 まだすね毛の薄い下半身にいた半ズボンの内側に、き手をしのばせ、皮被かわかぶりの何か──象の鼻のようなもの──をまさぐり、ひかえめに、だが体に対して垂直に、隆起りゅうきさせている。やや息がれているが、それは元三と佳子の耳には入らない。まさぐりも声漏こえもれも、あっけなくむ。ズボンの隆起はいつの間にか沈降ちんこうしている。慰めヒトリアソビ残香のこりかは、乾いた冷たい空気に混じり消える。


 恋人たちは……


 体全体からだぜんたいを使った意思伝達コミュニケーションを終え、今度は片手だけで繋がっている。十本の大きさが不揃ふぞろいな指たちは、のように組まれ、宿主しゅくしゅがどこかへ歩き出したせいで、前後に揺れている。



 仙人のような冷静さを帯びている独り者は、目の前の発情したつがいが消え去るまで、その場でじっと見届け続けた。


   


…… 。| 。……




 ファ~レド♪

  

  ファ~レド♪


 ……。


 音。

 それは、切り株に腰掛ける美樹仁から聞こえてくる笛の調しらべ。彼は今、細長く茶色い棒──リコーダー──をくわえている。両手の指先が、棒に等間隔とうかんかくで開けられた無数の黒い穴を、器用に愛撫あいぶしている。吹き口が、美樹仁のやや青紫せいしがかった唇から垂れた唾液だえき白泡はくほうで光る。恐らくほとんど新品であると思われる、ひどく状態のいいリコーダーが、持ち主以外の人間の体液によっておかされていく。ちていく太陽からの赤橙オレンジ色の日を浴びて、全体が黒光りするリコーダー。その、竹のような形状──ふしと節の間のみぞ──に沿うように、細長ほそながが、輪状わじょうにくるりと貼られている。


 お名前シールには、

 (ないいんかこ)

 とある。


 独奏どくそうが続けられる。






 ファ~レド♪ ファ~レド♪ ファ~ソラドララソファソ♪

 ド~ドラ♪ レドラッファッソ~ラレドファ♪






 演奏を終えた美樹仁は、リコーダーを、はじから端までを、ロと舌全体で、ロと舌先で、め回し、満足すると、半ズボンを脱ぎ、、"NIKE"の刺繍ししゅうの入った下着パンツを脱ぎ、生暖なまあたたかいそれを使って、(ないいんかこ)のお名前シールが貼られたリコーダーを、バラバラに分解して、すみから隅まで、丁寧ていねいき上げる。


 そしてボソボソと早口言葉のように、

「これで秋津上美樹仁アキツカミミキヒト内院佳子ないいんかこの遺伝子は一緒になったよ。勝利の女神が微笑ほほえみかけるのは、最後に勝つのは、俺だよ、元三」

 と呪文のようにつぶくと、

 

 リコーダーを再度組み上げ、


 それを筆のように持って、


 亀の頭のような筆先を、


 砂利の地面に当てがい、


 走らせた。


 (((((Be Back Later 2069)))))


 地面には、そのように、しるされた。


 そして……


 〈2069〉の『0』ののところを、

 

 中指で、しかも手のひらを上にして、少しほじくって、


 仕上げに……


 リコーダーを吹き口の方を下にしてグリグリとじ込み、


 おのゾウと共に、


 直立させた。



 は、下半身を露出したまま、切り株の上で、片足を膝上ひざうえに乗せ、あごにいやらしい動きの指をえ、微笑びしょうを浮かべ、遥か遠くの恒星タイヨウを、じいっと見つめている……



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