第13話 夢のあと

 夜会は、なごやかな雰囲気の中閉じられた。私は夢見心地のまま馬車へ乗り込む。

 レングナーさまは私をじっと見つめていた。私はその視線から逃れることもできず、でも悪い気はしなくて、合わせた膝の上で指を組む。


「……とても、楽しかったです」


 私が言葉を区切りながら言えば、レングナーさまは「よかった」とほっとした様子で肩の力を抜いた。


「僕が誘った以上、あなたを楽しませる義務があったからね。さもなければ、僕は悲しき勘違い男だ」

「まあ」


 冗談じみた口調で、レングナーさまは肩をすくめた。私はおかしくなって、口元に手を当てて笑みを隠す。

 レングナーさまの意外な側面を、ここ最近で一気に知ったように思う。案外、素直な人だ。最初はミステリアスなように思っていたけれど、それは単に、彼を知らなかったからそう思っていただけ。


 そして私は、レングナーさまを、もっと知りたい。


「また、よければ」


 口から、再会をねだる言葉がこぼれ落ちる。はっと口をつぐんでも、既にレングナーさまは「また?」と、脚を組んだ。


「また、なんですか?」


 私はすっかり困って、「なんでもありませんわ」と視線を逸らした。だけど彼は、「教えてほしい」と私の目を覗き込む。その視線の力強さに、雄弁さに、私の胸が跳ねた。


「教えて」


 レングナーさまは、無理強いはしない。だけど私の言葉を、本心を引き出すまで、辛抱強く問いかけてくる。

 だから私は観念して、彼の胸元へ飛び込むような言葉を口にした。


「また、誘ってください」


 私がやっとの思いで口にした言葉を、レングナーさまは「ああ」と、目を細めて受け取った。


「こちらこそ。きみに言われずとも、また誘おうと思っていたんだ」


 その言葉に、私の胸はいっぱいになった。

 しばらくして、馬車は私のお屋敷の前で止まる。レングナーさまのエスコートで、私は馬車を降りた。

 出迎えるお父さまはレングナーさまとお話ししたがったけれど、彼は、私だけを見ている。


「では、アンナ嬢。またお会いしましょう」

「ええ。また」


 私の夢のような一夜は、こうして幕を閉じた。


 その後、レングナーさまから、私宛へ頻繁に手紙が届くようになった。

 お父さまは私とレングナーさまがお付き合いしているものと決めつけている。それで、私の衣服や装飾品は、新しいものばかりになった。


「お前は、レングナー閣下の心を掴んだのだ。ならば、女としての魅力を磨け」


 そうして買い与えられたものが、私はいやだった。最低限のものだけ受け取っても、あまり身に着けないでいる。すると、いつの間にか、いくつかの衣服や装飾品が消えていた。

 きっとお義母さまがとっていって、ドロテアに与えているのだろう。だけど、私はどうでもよかった。とられたものは皆私には似合いそうもないものだったし。それ以上に、私は、浮かれていたのだ。


 だって、レングナーさまは、また私へ会いにいらっしゃる。

 その約束だけで、なんでも耐えられそうだ。


 そして私は、一つのミスを犯す。


 お義母さまが私の便箋を盗んで、私の筆跡を使用人へ真似させて、レングナーさまへのお返事を書いたのだ。

 私がそれに気づいたのは、かんかんに怒ったお父さまに呼び出されたときだった。


「お前、なんということを書いたのだ」


 私が戸惑っていると、お父さまは勝手に開封した手紙を机の上に置く。

 頭に血がのぼって、視界が狭くなっていった。


「勝手に読まれたのですか」

「そんなことはどうでもいい」


 お父さまは、ぴたぴたと机を封筒で叩く。中の便箋を広げ、私へ見せつけた。

 そこには、私の心ない言葉に対して、その理由を問いかける文章が書かれている。当然、私はそんなことを書いた覚えはない。


「私、そんなことは書いておりません」

「まあ、アンナ。そんな嘘を言うだなんて」


 いつの間にか部屋へ入ってきたお義母さまが、甲高い声で言う。私が振り向くと、勝ち誇った顔でにやにやと笑っていた。


「お前が意地の悪い女であることは知っていましたけど、レングナーさまを罵るだなんて。ここでは到底口に出せないような言葉で……」

「あなたが、したのね」


 私が怒りに震える声を絞り出すと、お義母さまが「ああ、なんて酷い子なんでしょう」と目元を拭う振りをした。


「あなた。この子の躾が至っていないのは、私のせいです。責任をもって、私が折檻いたしますわ」


 そう言って、お義母さまは使用人に鞭を持ってこさせる。私は息をのみ、お義母さまを真っ向から見据えた。


「ええ。打ちたいのなら、打てばいいわ」


 私の言葉に、お義母さまは目を吊り上げて鞭を振りかぶった。

 ぱしん、ぱしん、と肉を打つ音と、鋭い痛み。お父さまは、それを無感動な目で見ている。


 負けてはいけない。私は涙をこらえて、這いつくばりながら拳を握りしめた。

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