第7話 隠れ家にて

 レングナーさまはためらいなく私の手を引いて、通りへ出た。そこからしばらく歩いて、路地へ入り、とある建物の前で立ち止まる。

 私はついていくので精一杯で、レングナーさまの腕にしがみつくだけだ。


「ここだよ。僕が行きつけのバーだ」


 扉が開くと、中からは弦楽器をつま弾く音が聞こえてきた。

 私は瞬きをして、レングナーさまのマフラー越しに部屋の中を見る。


 薄暗い照明で照らされた店内には、何人かの人影があった。

 カウンターの奥にはずらりと飲み物の瓶が並んでいたけど、それより私の目を引いたのは彼らが持つ楽器だ。

 ギターを抱えた男性や、ドラムを正面に置いて座っている男性。フルートを構えて音階を吹いている女性。

 彼らはレングナーさまへ視線をやり、そして私を見る。

 フルートを膝の上に置いて、その女性は勝気な瞳をこちらへ向ける。


「珍しいじゃないですか。レングナーさまが女連れなんて」


 奥の男性二人は、怪訝な顔で私を見て、ひそひそと何事か話している。

 レングナーさまは「僕の、大切なお客様だ」とにこやかに言って、私を押しだす。


「彼女は素晴らしい歌を歌うんだけど、まずはきみたちの自己紹介だ。一曲、聴かせてあげてくれ」


 三人は顔を見合わせて、それぞれが楽器を構える。

 ドラムがリズムを刻んで、ギターがかき鳴らされる。フルートの音色が歌いだして、セッションが始まった。


「わ……」


 私は目を輝かせて、彼らの演奏に聴き入る。リズミカルでにぎやかなその曲は、都ではやりの音楽とも、伝統的な音楽とも違う、聞きなじみのない響き。それなのに彼らの演奏は記憶のどこかに作用して、懐かしさを覚えさせる。


 ドラムがぴたり、と止まる。ギターがビブラートを効かせた余韻を響かせ、フルートが音を閉じる。

 私は懸命に手を叩いた。興奮で、背中にじっとりと汗をかいているのを感じる。


「素晴らしいだろう。僕が今、いちばん注目している音楽家たちのひと組だ」


 どこか誇らしげなレングナーさまに、「光栄ですよ」とドラムをタカタカ鳴らしながら男性が言う。


「今度は、そっちのお嬢さんの番だな」


 ギターを抱えた男性が、ギターの胴をぽんと叩いて言う。私がはっと顔を上げると、三人は挑むような顔つきでこちらを見ていた。

 レングナーさまを振り返ると、彼はどこか楽しそうな表情で、私を見据えた。


「アンナ嬢、どうかな。……怖いなら、言ってくれよ」


 発破をかける言葉に、私は笑顔で応じた。軽く息を吐き、部屋の奥へ一歩踏み出す。三人の前へ立ち、肩の力を抜いた。


 そうして、私は息を吸い込んで歌い出した。彼らが演奏した曲と同じくらいのテンポの曲といえば、私は、故郷のお祭りで演奏されていたものしか知らない。

 だから、それを歌う。ながらく歌っていなかった曲でも、身体はしっかり覚えていてくれた。身体を揺らし、踵を鳴らして、声を張る。


 ドラムが私の歌に合わせて裏打ちをする。ギターが和音をかき鳴らし、フルートの女性は手拍子をはじめた。

 私の唇には、自然と笑みが浮かぶ。音の渦が私を中心に湧き起こり、身体を揺らす。

 最後の音を高らかに歌い終えれば、レングナーさまの大きな拍手が聞こえた。


「素晴らしかった」


 その瞳は伴奏をしてくれた三人へ向けられ、最後に私へと視線が注がれた。

 レングナーさまの目つきが蕩けそうなほど甘く見えて、私の胸がどきりと跳ねる。


 しばらく私たちが見つめ合っていると、誰かが咳払いをした。私が慌てて視線を逸らすと、レングナーさまは何事もなかったかのように「改めて、紹介しよう」と私の腰を抱いた。その距離の近さに、私の頬がかっと熱くなる。


「アンナ・エフラー嬢だ。聴いてもらった通り、素晴らしい歌を歌う」

「私には、過分な評価ですわ」


 私が震える声で言えば、おや、とフルートの女性が笑う。


「そんな派手な身なりだけど、お嬢さんは案外謙虚なんだね」

「恐縮ですわ」


 この格好はどこかおかしいと思っていたけれど、派手すぎるらしい。恥ずかしくて縮こまると、ギターがほろほろとかき鳴らされた。


「もう一曲、やろうぜ。お嬢さんも交えて」


 その言葉に私の目が輝いたのが分かったのか、三人ともおかしそうに笑った。


「アンナ嬢。よければ、これを」


 そう言って、レングナーさまが何枚かの楽譜を差し出した。

 それをめくる私をよそに、ドラムの男性がばちを持つ。


「じゃあ、行くよ」


 ドラムロールが始まり、音楽がはじまる。

 フルートが促すようにメロディーを鳴らし、私は慌ててそれに乗っかった。

 私たちはしばらく、こうしてセッションに興じた。レングナーさまはずっと楽しそうに笑って、手拍子をされていた。


 しばらく経って、みんなが満足した面持ちで楽器を下ろす。私も歌う体力が戻り切っていないのもあって、へたへたと椅子に座り込んだ。


「お疲れさま」


 レングナーさまがコップを手渡してくれる。手ずから飲み物を用意してくださるなんて。驚いて顔を上げると、「特別だよ」と彼は微笑む。

 他の三人はといえば、楽器を置いてこちらをにやけ顔で見ていた。


「そういう関係なんだ」

「そういう関係とは……?」


 私が戸惑って首をかしげると、「そういうのはまだいい」とレングナーさまが遮った。


「それより、きみたちは店員だろう。アンナ嬢と僕は客だぞ」


 三人は仕方ないと言わんばかりに肩をすくめて、楽器をしまった。

 カウンターの奥へ入っていく彼らを見て、私は思わずレングナーさまを見た。


「ここは、僕が経営するバーなんだ」


 彼はにこりと微笑む。


「さっきの三人は、僕が支援している音楽家たちだよ」


 私の前に、マグカップが置かれる。ショウガとはちみつの香りがした。

 レングナーさまの前にも、同じものが置かれる。


「ご注文の品です」


 女性がにこりと微笑む。私は彼女とレングナーさまを交互に見て、「ありがとうございます」と礼を言った。

 私はマグカップに手を伸ばし、ゆっくりと唇をつけた。

 甘くて、ぴりぴりして、おいしい。

 ちびちび口をつけていると、ふと視線を感じる。レングナーさまがこちらをじっと見ていたので、私は思わずマグカップを机に戻した。


「な、何か御用ですか?」

「いいえ。続けて」


 だけど、こうもじっと見られているのは、居心地が悪い。

 追い打ちをかけるように、レングナーさまが言った。


「きみにはあたたかくて、甘いものを飲んでほしいんだ」

「……なぜ?」


 私は恥ずかしいやら、照れるやらで首を傾げる。レングナーさまは「さあ」と曖昧に濁して、彼のマグカップへ口をつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る