第6話 お出かけ
レングナーさまの提案は、さっそくお父さまへ伝えられたようだった。
私はあれよあれよとブティックへ放り込まれ、華美な服を着ていた。華やかなものは苦手だと断っても、お父さまは構わず購入されていく。
「お前にはがんばってもらわないとな」
その物言いがおぞましくて、私はお父さまのお顔を見られなかった。
お義母さまたちの対応は、あまり変わらなかった。ただ私の食事の量が不自然に少なかったり、衣服がなくなったり、誰がもくろんだのか見当のつくことは増えている。
「お嬢さま、お気をしっかり持たれてください」
そのたびに、マーヤは私を励ましてくれた。彼女は目に涙を光らせ、誰が酷いとも言わずに私の手をさする。
「お嬢さまのような器量よしは、必ず幸せになれます。ですから、今は私がお支えいたしますよ」
彼女の優しい言葉だけが、私の救いだった。レングナーさまの言葉は、どちらかと言えば、悩みの種だ。どうして彼がこんなに私へ優しくしてくださるのか、まるで分からない。私には考えもつかない、深い理由があるのだろうけれど。
ただ私の頭の中にはずっと、彼の弾くピアノの音が鳴っている。
出かける約束の日、私はお父さまに買っていただいたドレスに身を包んだ。華やかなボタニカル柄が織られた鮮やかな赤色の布を惜しみなく使って、胸元と腰を強調するシルエットに仕立てたものだ。スカートは釣り鐘型になっていて、たっぷり使われた布地が重たい。
お父さまは「これがいい」とおっしゃられたけれど、お義母さまやドロテアがこんな形のドレスを着ているのを見たことがなかった。これは、本当に都で流行のデザインなのだろうか。
なにより私の貧相な顔立ちにまるで合っていなくて、悲しいとも惨めともつかない気持ちになる。ドレスに負けないようにとたくさん白粉をはたかれて、なんとなく息苦しい。
ともかく、天気は晴れ。雪は残っているものの、この季節にしては散歩に向いている日だ。それだけは喜ばしい。
お義母さまとドロテアは、馬車へ乗り込む私を遠目に眺めていた。そのにやついた表情から、はっきりとした嘲りを感じる。
なるほど、今の私の格好は、少々おかしいのかもしれない。すべてを諦めて、私は御者へ「出してください」と頼んだ。
公園へたどり着いて、私は馬車から降りた。待ち合わせ場所の噴水へ向かいながら、じろじろと周りから好奇の視線を浴びる。やっぱり私の格好はおかしいらしい。
だけどどうすることもできない。私はせめてと胸を張って、待ち合わせ場所の噴水へと向かった。
遠目に噴水が見えたあたりで、既にレングナーさまがどこにいらっしゃるかの見当はついた。
華のある人だから、人混みの中でも存在感がある。黒いコートを着てたたずむその姿は、一幅の絵画のようだった。
なおさら、見当違いの格好をしている私が場違いだ。いっそこのまま、体調不良を偽って帰ろうかしら。
私がふと立ち止まったところで、レングナーさまと目が合う。彼はにこりと微笑んだ。
これで、こっそり帰ることはできなくなった。私は意を決してすまし顔を作り、彼へと歩み寄った。
レングナーさまはわざわざ人混みを掻き分けてやってきて、「やあ」と私に礼をする。私もスカートを軽くつまんで会釈をした。
「お待たせしましたか」
「いいや、ちっとも」
彼はそう言って、ごくごく自然に腕を差し出した。その腕に手を絡めようとして、はたと気づく。
「あの、今の私の格好はおかしくないでしょうか」
「僕は、目の前のあなたを美しいと思うよ」
ううん、と私は困った笑みを浮かべる。手を引っ込めた。
「……私、世間知らずなものでして。とんちんかんな格好をしている、自覚はあるんですけれど」
そのまま、手をお腹の上で重ねる。なんとか笑みを浮かべると、厚く塗りたくられた白粉が剥げそうだ。
「あなたまで変な目で見られては、私も困りますわ」
ふむ、とレングナーさまは私の顔を覗き込んだ。
「では、予定を変更しよう」
そう言って、レングナーさまはためらいなく、私に腕を差し出す。おずおずとそこに手を置くと、彼はゆったりと歩きはじめた。
「この近くに、僕がよく行くバーがあるんだ。昼間はお酒を出していないんだけどね」
「そこへ二人きりで行くのは、ますます外聞がよくないのでは……」
そもそも、バーへ行くこと自体が、なんだか怖い。私が恐る恐る尋ねると、「そうだね」とあっさりレングナーさまが認める。
「だけど僕としては、
逢引相手という刺激的な言葉に、思わず呆気に取られた。その隙に彼は自分のマフラーを外して、私の首から上をぐるぐる巻きにする。わ、と声を上げる私に、「これできみの外聞は大丈夫だ」とレングナーさまが真面目な声色で言う。
「そんなめちゃくちゃな」
私が途方に暮れつつ彼の腕にすがると、なぜか嬉しそうな「うん」という返事が聞こえた。
これはもう、いろいろと、諦めたほうがいい。私は悟って、レングナーさまに導かれるままに歩く。
その腕が頼もしくて、私はほんの少しだけ、指に力を入れた。
気がつけば、好奇の視線に晒される憂鬱も、奇妙な格好で彼の隣に立つ恥ずかしさも、すっかり忘れていた。
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