第10話 夜会の準備

 私がレングナーさまからのお誘いをお受けしてすぐ、我が家へ手紙と招待状、そしてドレスが届いた。

 若草色の布をたっぷり使った、古いドレスだった。裾と襟元にささやかな刺繍がある以外は装飾のない、シンプルなものだ。

 シルエットは決して新鮮なものではないけれど、上等な布地の持つ艶やかさと洗練された色味が、流行おくれを感じさせない。それに、手入れをしっかりされているのもうかがえた。

 ちょっと深読みするのであれば、レングナーさまは、大切なドレスを送ってくださったのかもしれないとも思える。


 お父さまは狂喜した。あれこれと私を飾り立てようと宝飾店を巡り、首飾りを、首飾りを買い、そして濃い化粧を私へ施そうとする。

 だけど私は、頑として首を縦に振らなかった。


「アクセサリーなど不要です。化粧も、そんなにしていただかないで結構ですわ」

「何を言うんだ、アンナ。お前がレングナー閣下をおとすのだぞ」


 その物言いに、私は冷たく言い放った。


「ですからそれが不要だと言っているのです。それから、レングナーさまへ下卑た言葉を使わないでくださいまし」


 私が強く反抗するのが、よほど意外だったのだろう。お父さまは顔を真っ赤にして黙った。

 それを横から見ていたお義母さまが、「いいえアンナ、お父さまの言うとおりになさい」とわめきたてる。女親の役目だとか、飾り立てて殿方を引き立てなさいとか、これまで言われたこともないことをおっしゃった。


 いつもだったら、怯えて引き下がっていただろう。

 だけど私は、レングナーさまと夜会へ行くのだ。こんなことを、恐れてなんかいられない。


「いいえ、お義母さま。私がすべて決めます」


 私の強い口調に、お義母さまの横のドロテアが顔をあげた。どこかうらやむような、怒っているような顔で私をにらんだ後、ふいと顔を背けてどこかへ行ってしまう。


 最近のドロテアは私の代わりに、お義母さまの不満のはけ口になっているようだった。時折、屋敷の片隅から彼女の悲鳴が聞こえる。

 ドロテアは、まだ十三歳なのに。彼女の実の娘なのに。


 私がその後ろ姿を見送っていると、「しかし、これは地味すぎるだろう」とお父さまがドレスを指さした。

 私はため息をついて、「私にはこれくらいがちょうどいいのです」と首を横に振った。


「それに、それはレングナーさまが送ってくださったのだということをお忘れなく」


 私が釘を刺すと、お父さまはようやく黙った。


 こうして私は準備を整え、夜会当日の夕方を迎えた。


 私を迎えにきたレングナーさまは、私を見て立ち止まる。何かおかしなところがあったかしら、と自分の格好を見下ろした。


 ドレスはウエストの辺りが少しぶかぶかだったから、先方に断りを入れて少し絞らせてもらった。首元にはお母さまから受け継いだ真珠の首飾りをして、髪はマーヤに結ってもらった。私としては、おかしいとは思わないのだけど。

 少し、心もとない気持ちになった。指を身体の前で組んで、レングナーさまを見つめる。


「……私、おかしな格好をしていますか」

「いや。おかしくなんかない」


 レングナーさまは早口で答えて、私へと歩み寄った。間近に見える彼のドレスアップ姿に、私は思わず見とれる。

 彼の着ているタキシードの布地の黒さが、彼の艶やかな肌としなやかな身体つきを際立たせていた。中に着込んだウェストコートの白く締まった腰つきが男らしくて、私の頭は茹だりそうだ。

 前髪は後ろへと流されて、彼の男らしくて骨ばった輪郭が際立っている。


「レングナーさま、とてもお似合いですわ」


 私の言葉に、彼は「ありがとう」と少し悔しそうに言った。


「僕が先に言いたかったな。……よく似合ってる」


 ますます私の頬が熱く火照る。彼は、「言うのが遅くなって、すまない」と、少しぎこちない手つきで私の手を取った。


「とても綺麗だ」


 私もぎくしゃくしてしまって、やっとの思いでうなずく。遠くでマーヤが涙をぬぐっているのが見えて、余計に恥ずかしかった。


「レングナー閣下、お気に召しましたかな」


 お父さまが揉み手をしながら、レングナーさまにすり寄る。彼は「そうですね」と首を傾げ、晴れやかな顔でお父さまを見下ろした。


「今日は、彼女の本当の美しさを感じます。美しい真珠は、いつでも美しいものですが……」


 その目元は、笑っていない。お父さまは「そ、そうですか」と口ごもる。私がそっと指に力を入れると、彼は表情を柔らかくした。


「行こうか」

「ええ」


 二人で連れ立って歩き出す。お互いの手のぬくもりが心地よくて、頼もしかった。

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