第11話 夜会へ

 私たちは馬車へ乗り込んだ。向かい合って座ると、ますます気恥ずかしくなってしまう。

 レングナーさまも、いつもより言葉数が少ない。彼はしばらく窓の外を眺めて、何事かを考えているようだった。しばらくの重たい沈黙の後、彼がやっと口を開く。


「……今日の夜会は、そんなに気を張らなくても大丈夫」


 私を励ますように言って、レングナーさまはちらりとこちらを見た。その流し目に、なぜか胸がどきどきする。


「は、はい」

「僕の祖父と、彼のかつての同僚たちが主な参加者だ。みんな、君を受け入れてくれると思う」


 そもそも、と、彼はまっすぐ私を見た。


「何かあっても、必ず僕がきみを守る。きみを招待したのは僕なんだから、それくらいはするさ」

「は、はい……」


 なんて、熱烈な言葉だろう。私はすっかり茹だってしまって、視線を逸らしてしまった。レングナーさまは片眉をひょいとあげて、「アンナ嬢」と低くて艶やかな声で言う。

 恐る恐る彼の方を向けば、彼は口の端を笑みの形に吊り上げていた。だけど膝の上に置かれた指は、不満を主張するように上下している。


「こちらを向いて」

「ひゃい」


 変な声が出た。きっと、今の私の顔は真っ赤だろう。それでもなんとか彼を見つめれば、今度は彼が視線を逸らした。


「レングナーさま……?」


 変な顔をしていたのかしら。頼りない心地で尋ねると、彼は「いや」と、うめくように首を横に振る。

 それが照れているような表情に見えて、私は拍子抜けした。


「すまない。かわ、……かけていい言葉を、選んでいる」

「はい」


 それきり、馬車の中には沈黙が満ちた。レングナーさまと私は、顔を真っ赤にしながら向き合っていた。だけど、居心地が悪いとは、どうしてか思えない。

 馬車が止まって、はっと我に返る。どうやら、会場へ着いたようだった。


 馬車の扉が開き、レングナーさまが手慣れた仕草で私をエスコートしてくれる。私たちはすんなりお屋敷の中へと通され、エントランスで老年の男性が出迎えてくれた。


「ゲオルク、よく来てくれた」

「ええ。おじいさまも、お元気そうで何よりです」


 お互いの背中を叩き合う二人を見ていると、本当に仲がよさそうだ。微笑ましくて遠目に見守っていると、「紹介します」とレングナーさまが私を招いた。


「私のパートナーの、アンナ嬢です」

「お初にお目にかかります。アンナ・エフラーと申しますわ」


 スカートをつまんで礼をする。できるだけ、粗相のないように、気をつけて。指先にまで神経を行き届かせて。


「そんなに硬くならなくても、大丈夫ですよ。お嬢さん」


 軽やかな口調で、レングナーさまのおじいさまが言う。私が顔を上げると、おじいさまは、懐かしいものを見る目で私を見ていた。私が呆気に取られていると、「ところで」とレングナーさまへ、いたずらな笑みを向ける。


「お前も二十六を目前にして、やっと人生を共にする女性と巡り合えたのだな。いやはや、やっと大きな心配事が片付いた」

「僕はおじいさまにいちばん似ている孫ですからね。あなたの心配も分かります」


 レングナーさまがにこりと微笑む。おじいさまは「かわいくない奴だ」と豪快に笑った。


「言うようになったな。安心しろ。たしかにお前は、孫でいちばん、私に似た」


 私は彼らの会話に混乱しきりで、「え」「あの」と小声でうめくことしかできない。


 情けなくてはしたないけれど、思い切ってレングナーさまの腕を引く。彼は振り向いて、そっと私の腰を抱いた。


「おじいさまも忙しいでしょうし、僕たちは一旦失礼します。後でまたお会いしましょう」


 私はすっかり混乱してしまって、必死にレングナーさまへしがみついた。おじいさまは微笑ましいものを見るような、面白いコメディを見るような表情で、私たちを見送る。


 人生を共にする女性。その言葉が、私の頭の中でぐるぐると回っていた。

 レングナーさまは私のことを、そう考えているのだろうか。少なくとも、親しい身内にそう思われても、レングナーさまとしては構わないらしい。


 私が悶々としていると、「アンナ嬢」とレングナーさまが私の手をわずかに引っ張る。思わず見上げると、「すまない」と謝罪の言葉があった。


「祖父に恋人と勘違いされて、否定しなかった。きみの、未婚の女性としての名誉を傷つけてしまった」


 私が咄嗟に首を横に振ろうとすると、「でも」と、彼の緑の瞳がこちらを見降ろす。照明の加減か、いつもより暗い緑色に見えた。


「僕は、嬉しかったんだ。否定しなくて、すまない」


 身体に火が灯るような言葉だ。その意味を尋ねるより早く、私たちはホールへと着いた。

 中には、既にたくさんの人々がいた。中年以上の男性が多く、おじいさまの元同僚が多いというのも頷ける。


「祖父は官僚だったんだ。今日の招待客は、その時の同僚たちが多い」


 こっそり、レングナーさまが教えてくださる。官僚。普段の生活では、あまり縁のない言葉だった。少なくとも私の身の回りには、その職についている方はいない。

 彼らはレングナーさまを見かけると、次々挨拶へやってきた。娘だという若い女性を連れてくる方も多くいた。


 彼らの意図は見え見えだ。ご令嬢たちはみな、レングナーさまへ熱い視線を送っている。

 きっと、私よりもずっと、レングナーさまに相応しい身分と、教養と、品性を兼ね備えた方々だろう。彼の隣にいるのは私なのだけど、私自身が、彼の隣に立っていい人間だとは思っていない。身分も、教養も、品性も、きっと足りていない。

 だけど私は、彼の隣にいたかった。


 私がふと物思いにふけっていると、ご令嬢の一人が私を見た。


「あなた、そのドレスは、どこで仕立てられましたの?」


 私は顔を上げる。彼女は品の良い笑みを浮かべて、品定めするような目で私を見ていた。

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