第12話 夜空を見上げて
私は一瞬、答えに詰まった。このドレスをどこで仕立てたかなんて。
レングナーさまが「お嬢さん」と私を庇うように前へ出ようとする。私は咄嗟にそれを止めて、一歩踏み出した。ご令嬢は、にこりと笑う。
「実は、どこで仕立てられたかは存じ上げておりませんの。人から譲っていただいたものですから」
ご令嬢の顔色は変わらない。私は、なおも続けた。
「それにしても、あなたのドレスも素敵ですわ。特にそのストライプ柄が清楚でありつつ、とても華やかで、あなたによく似合ってらっしゃいます」
まあ、と彼女は可憐な笑みを浮かべた。そして手に持っていた扇を畳んで、「あなた、なかなか見どころがあるわ」と居丈高に言った。
私があっけにとられていると、彼女のパートナーらしき男性が「きみ」と焦っている。それでも彼女は止まらない。
「あなたのそのお召し物、とても似合っております。年季が入っておりますけど、大切にされていたのでしょうね。生地もなかなか手に入らない上等のものを、惜しみもなく使われております。まさに母から子へ、子から孫へ受け継がれるにふさわしい品ですわ」
途端に始まった誉め言葉の雨あられに、私は目を白黒させる。レングナーさまもあっけにとられているのか、ずっと無言だ。
「おや、サラ嬢。アンナ嬢をいじめているのかな」
レングナーさまのおじいさまがひょっこり現れる。サラさまは「あら、いやですわ」と扇を開いて口元へ当てた。
「褒めているだけです」
その通りなのだけど。おじいさまは愉快そうに笑い声をあげて、「彼女の紹介が遅れてしまったね」と私たちの方を向いた。
「サラ・ハイトマン嬢だ。新進気鋭の舞台歌手さ」
彼女はしずしずと礼をした。その所作の美しさに、私はほうと息をつく。彼女は勝気な笑みを浮かべて、私たちを見据えた。
「以後、お見知りおきくださいまし。私の歌を聴きに、ぜひ女神祭へいらっしゃって!」
私の目は、彼女の瞳へと惹きつけられた。よくよく見ると、どこかあどけない印象を与える丸い瞳と、低い鼻。だけど漲る自信が、彼女を絶世の美人にしていた。
「あなた、お名前は?」
「あ、アンナ・エフラーと申します」
そう、とサラさまは微笑まれる。その真っ赤な唇が、舞台にあがる人間としてふさわしい華やかさをたたえていた。
「アンナさま、歌はお好き?」
「はい」
私は即答した。サラさまは「いいわね」と笑みを深くして、声を弾ませる。
「では、歌うのは?」
「大好きです」
なぜかこの人には、これくらいはっきり物を言うことができた。サラさまは「素敵じゃない」と音を立てて扇を畳む。
「今度、ぜひあなたの歌を聴かせてちょうだい。どんな歌い方をするのか、聴いてみたいわ」
馬鹿にしたところの一切ない、素直な響きだった。私が「はい」と頷くと、レングナーさまが私とサラさまの間に入る。
「アンナ嬢、顔が赤いですよ。人混みに当てられてしまったようですね」
そう言って、彼はさりげなく私の腕を引く。
私は、自分の頬が熱くなるのを感じた。私の勘違いでなければ、彼の意図は、きっと。
あら、とサラ嬢は目をにんまり笑みの形にたわめる。そして、自らのパートナーへしなだれかかった。
「ねえ、あなた。私、あっちへ行きたいわ」
パートナーの男性は「はいはい」と苦笑しつつ、サラ嬢を連れてどこかへと向かった。おじいさまも、「私も忙しいのでね」とどこかへと向かわれる。
私たちは、取り残されてしまった。
「行きましょうか」
レングナーさまは私の手を引いて、テラスへと向かった。外へ出ると、レングナーさまはご自分のジャケットを脱いで、私の肩へとかけられる。
「ありがとうございます」
私が礼を言うと、いいや、と彼は首を横に振った。
「当たり前のことをしただけだよ」
レングナーさまはテラスの手すりに背中を持たれかけさせて、私を見る。その緑色の瞳に、屋内の照明のいろが映って、燃えるようだった。
私も手すりに手を置いて、レングナーさまの隣へ並んだ。肩を並べて、視線も合わさずに並び合う。
しばらく私たちは、黙っていた。夜風が吹いて、私の髪を揺らす。レングナーさまは夜空を見上げて、「アンナ嬢は」と呟く。
「楽しいですか? 気を遣いすぎていませんか?」
私は「そうですね」と首を傾げて、同じように夜空を見上げた。
「楽しいです。気を遣うひまもないくらい」
レングナーさまは「よかった」と息を吐きながら笑った。そのくつくつという喉の音に、私はどぎまぎしてしまう。
蝶ネクタイの位置を直しつつ、レングナーさまは「よかった」と繰り返した。
その声色の穏やかさに、私の中でわだかまっていた何かが、蕩けて消えていった。
「僕は、こういう話し方だから」
レングナーさまは静かに、ひとりごとのように呟く。
「サラ嬢に、妬いてしまった」
「え……?」
私が顔をあげると、レングナーさまは気まずそうに視線を逸らす。
「素直になるのが恥ずかしいんだ。どうしても、ひねくれた言い方になってしまうから」
私は、それが全然分からなかった。首を傾げる私に、レングナーさまが苦笑する。
「僕もあれくらい、素直になれたら……」
「いいえ。十分すぎるくらい、素直です」
私は言い切った。レングナーさまは目を瞬かせる。
「少なくとも、私の知っているレングナーさまは素直で、真っ直ぐな方です。それから、いいと思ったものは素直にいいとおっしゃるし……」
「いや、アンナ嬢、アンナ嬢」
レングナーさまは顔を赤くして私を呼ぶ。私は口を閉じつつ、レングナーさまを見つめた。
しばらく、私たちの間に沈黙が降りる。そして、レングナーさまは顔を手で覆った。
「よく、分かった」
重くて甘い香りが、夜風に乗って届く。こんな大人の香りをまとった男性が、こんな風になるだなんて。
私は慌てるような、あたたかいような、不思議な気持ちだ。
「分かっていただけたようで、何よりです」
してやったりという顔で微笑みかけると、レングナーさまは「僕の負けだ」とうめいた。どうやら、私の勝ちらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます