第13話
夢を見た。
私は小さい子供の姿で、森の中にいた。
いや、実際は王宮の庭園だったのだが、当時の私の背丈ほどある植栽で出来た道は先が見えない私にとって森のようだったのだ。
そしてそこは私にとって周りから隠れるのに最適だった。庭を散策していると植栽の間に自分がすっぽり入りそうな穴を見つけた。
王族として貴族のお手本としてのマナーを身につけなければならない、そう教育係に厳しく躾られた。
何をしても怒られてその授業がすごく嫌だった。
だから従者の目を盗んで部屋を抜け出し、この場所に隠れている。今頃、姿を消した私に皆が慌てて探しているだろう。
ーーもうこのまま見つからなかったらいいのに。自由に生きたいのに。
活発な性格だった私にとってお姫様はとても窮屈だった。お城から見える城下で自由に走り回る子供の姿が羨ましかった。
お父さまもお母さまも兄さまたちも好き。でも私は自由が欲しかった。一人外で走り回って、好きなものを自由に食べられて。
自由に恋ができて。
ぎゅっと膝を抱えて縮こまる。絶対に叶わない願いが小さな胸の中で行き場を失っている。あの日、恋をしてしまってから。
暫くそうしていると、目の前が翳る。
「姫様」
聞こえてきた声に胸がドキンと鳴る。もしかして幻聴?恐る恐る顔を上げると、目の前には膝をついて微笑んでいるアーデルヘルムがいた。
「探しましたよ。もしかしてどこか痛いところでも?」
「……ううん」
「なら帰りましょう。陛下も王妃様も殿下たちも心配していましたよ」
「……うん。ごめんなさい」
手を差し出され、その手を取る。アーデルヘルムは何も言わずに私の手を引いて歩き出すのでその半歩後ろを歩く。
「姫様」
「……なに?」
「何かあったら私に話してください」
「……え?」
「どんなことでもいいです。楽しかったことでも、辛かったことでも」
その言葉に私が何であんなところに居たのか分かっているのだろう。きっと兄たちもアーデルヘルムに話しているのかもしれない。
「……アーデルヘルムが聞いてくれるの?」
「はい。私は姫様の騎士ですから」
アーデルヘルムは振り向いて優しく微笑む。その言葉と笑みが私の心を温かく満たして辛かった気持ちが消えてしまった。
そして、別のものが大きく膨れ上がったのが分かった。
「分かった。私の話は長いわよ?」
「ではその時は紅茶を用意しましょう。姫様が好きなものを二人分」
その言葉通り、アーデルヘルムは二人分の紅茶を用意してくれて、楽しい話な時も、辛い話の時も。私が満足して寝落ちるまでずっとそばにいてくれた。
◇◇◇
「ん……」
陽の光を感じて目を覚ますと、目の前には目を閉じて眠るアーデルヘルムの顔があった。
驚いて体を離そうとするも、腰に回された彼の腕でびくともしない。どうにか抜け出そうともぞもぞしていると、ゆっくりと瞼が開かれてピンクの瞳が現れる。
「……おはようございますヴェロニカ様」
「お、おはよう……」
挨拶を返すと彼の瞳が嬉しそうに細まって心臓が跳ねる。腕を離したアーデルヘルムはベッドの端に腰掛け、あくびを噛み殺している。起こしてしまったから申し訳ない。
「起こしてしまってごめんなさい」
「いえ、寝てないので……」
「え? どうして?」
疑問をまっすぐに問いかけるとアーデルヘルムは困ったように笑い、「何でもないです」と教えてくれなかった。
もしかして私、寝言とか寝相が悪いのかしら。今度ソフィーに聞いてみよう。
「ヴェロニカ様、朝食にしましょう」
「え、ええ」
それじゃあまた後で、とアーデルヘルムは部屋を出ていき、侍女に着替えを手伝ってもらって食堂に向かう。
すでにアーデルヘルムはいて、向かいの席に席に座り朝食を食べる。
「朝食を食べ終えたら王宮までお送りします」
「……ありがとう」
その言葉に、この時間がもう少しで終わってしまうのだと辛くなった。
少しでも長く居たくてフォークの進みが遅くなったことに「お口に合いませんか?」と不安そうなアーデルヘルムの声に私はそんなことないと口に運んだ。
それから荷物をまとめて馬車に乗り込み動き出す。いつもと変わらないスピードなはずなのに早く感じて、もっとゆっくり走ってくれたらいいのにと窓の外を眺める。
チラッと前に座るアーデルヘルムを見ると彼も窓の外を見ていて、とても話しかけられず無言のまま、無情にも馬車は城に着いてしまった。
「送ってくれてありがとう。それじゃ……」
馬車を降りてお礼を言う。楽しかった時間が終わってしまった。
これ以上居ても寂しさが増すような気がして早々に別れようと背を向けた時、アーデルヘルムに手を取られた。
驚いて振り返ると、何故か眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。
「アーデルヘルム、どうかしたの?」
「明日……」
「え?」
「明日、ジーク様とお会いになるんですか」
「ジーク兄様?」
「昨日、そう仰っていたので」
「ええ。城下に遊びにいこうかって」
何故彼は急に明日のジーク兄様との予定を聞いてくるのだろうか。彼の意図が分からずジッと待っていると、彼は重々しく口を開いた。
「ーー行かせたくない」
「……え」
聞こえた言葉に自分の耳を疑ってしまった。だって、行かせたくないって……
ぽかんと惚けていると、アーデルヘルムは未だ繋いでいる手をぎゅっと強く握ってきて、心臓が一気に速くなる。
「ヴェロニカ様がジーク様のことをお慕いしているのは見ていて分かります。お互い恋慕していないことも。ーーそれでも、自分の婚約者が若い男と仲良くしているのを見ると嫉妬でおかしくなるんです」
「アーデルヘルムが、嫉妬……?」
まさか彼からそんな言葉が出てくるなんて思いもしなかった。
だってこの婚約関係は私が強引に取り付けたものだ。私が嫉妬するならまだしも、無理やり付き合わされているアーデルヘルムがそんなこと……
私の驚く顔にアーデルヘルムは苦笑いしている。
「十も年が離れてるくせに余裕のない男でガッカリしましたか?」
その言葉にブンブンと頭を横に振って思い切り否定する。好きな人に嫉妬していると言われて嬉しくなっているのよ。そんなこと口にできないけど。
「まだお若く魅力的なヴェロニカ様はこれからたくさんの人と出会う。ジーク様のように歳の近い男が言い寄ってくるかもしれない。素敵な人と恋に落ちるかもしれないと思ったら俺は……」
「そんなことない!」
アーデルヘルムの言葉を遮り、繋ぐ手を今度は私が力強く握る。
「私があなた以外好きになるわけないじゃない! ずっとあなたのことが好きだったんだから!」
私の突然の告白に今度はアーデルヘルムが驚いて目を丸くしている。
そして目の端で馬車の業者が気まずそうにしていることに気づいた。そうだ、ここは外で家の前だ。
先ほどの自分の発言の恥ずかしさに顔が茹だったように熱くなり、見られたくなくて俯く。
すると頭上から小さく笑う声が聞こえて、チラリと顔を上げるとアーデルヘルムの嬉しそうな顔が見えた。
「ありがとうございます。嬉しいです。私もあなた以外はありえない」
「アーデルヘルム……」
じっと見つめてくるアーデルヘルムから目が離せないでいると、ピンクの瞳が少しづつ近づいてきていることに気づいた。
これはマズイと慌てて離れて背を向ける。ドキドキと跳ねまくる心臓を落ち着かせようとしていると、後ろから苦笑が聞こえた。
「……すみませんでした。さ、明日も出かけるのなら早く休んでください」
「……行ってもいいの?」
さっきはジーク兄様に嫉妬して行ってほしくないと言っていたのに?
「はい。ヴェロニカ様の気持ちが知れたので」
にこり、と微笑まれてまた心臓が暴れ出す。これ以上は心臓が破裂してしまう。
「そ、それじゃあまた今度……」
「はい。また今度」
今度こそ別れて歩きだすも、背中に感じる視線に足がもつれてしまいそうで何とか踏ん張ってドアにたどり着く。
門番に開けてもらい、後ろを振り返りまだ見送ってくれていたアーデルヘルムに手を振ると、アーデルヘルムは驚いた顔をしてすぐに嬉しそうに笑って振り返してくれた。
ドアが閉まり、ずるずるとその場に蹲ると周りにいた従者たちが何事かと駆け寄ってきてくれる。
気分が悪いのかと心配してくれるも、返事ができず首を横に振る。
心配かけてしまっていると分かっていても、私の心情はそれどころではなかった。
だって気づいてしまったのだ。
アーデルヘルムの私に対する気持ちが変わっていることに。
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