第17話
「ふふ。そんなこともありましたね」
あの夜の出来事を穏やかに笑うのはエミリオ兄様の妻であり王太子妃であるフローラ義姉様。ドレッサーの前に座る私の金の髪を楽しそうに弄っている。
「剣馬鹿の兄様たちには困った物だわ」
「あら。私には兄馬鹿にお見受けしましたよ。さぁ、出来ましたわ」
ふわりと髪が揺れて鏡の中の自分を見れば、綺麗に編み込まれた後ろ髪と頬の横を揺れるおくれ毛。
そして結われた髪を結ぶのは白いレースのリボン。これはエミリオ兄様とフローラ義姉様の結婚式で義姉様が身に着けていたリボンだ。
「ありがとう、フローラ義姉様」
「いいえ。義妹が結婚式にわたくしの物を身につけたいと言ってくれたのです。これほど嬉しいものはありませんわ、ヴェロニカ様」
美しく微笑む姿はまさに女神のよう。
国の淑女が彼女をお姉様と慕い憧れ、男たちはどうにかしてお近づきになろうとしていたほどの素敵な女性だ。そんな女性が自分の義姉であることが誇らしい。
なぜ私がフローラ義姉様に髪を結われているのかというと、今日は私、ヴェロニカとアーデルヘルムの結婚式。
朝から大勢の貴族が教会に入り、始まるのを今か今かと待っている。
今の私は真っ白なドレスを身にまとい、繊細なレースでできたヴェール、そして代々王家に伝わるティアラを身に着けた今日の主役の一人。
最近巷では、サムシングフォーというものが流行っているらしい。
「古いもの」「新しいもの」「借りたもの」「青いもの」を結婚式につければ幸せな結婚を送れるといわれている。
私も流行を取り入れ、古いものは母が父との結婚の時に贈られたというネックレスを。
新しいものはアーデルヘルムがこの日のためにエメラルドのピアスを贈ってくれた。
借りたものは義姉のリボン。
青いものは王家御用達のデザイナーに新しく仕立てさせたウェディングドレスのレースの刺繍の糸を青に。
別に迷信を信じているわけではないけれど、大好きな人と幸せな結婚を願うのは当然のことではないだろうか。
気づかぬうちに緊張をしていたのか小さく息を吐くと、フローラ義姉様に心配されてしまった。何でもないと首を横に振ると部屋がノックされた。
返事を聞いて入ってきたのはもう一人の主役、白の婚礼衣装を着て髪も整えられたいつもよりカッコいいアーデルヘルムの姿に、せっかく落ち着かせていた心臓がまた騒ぎ出す。
気を利かせたフローラ義姉様が部屋に待機していたソフィー達を連れて部屋を出て行った。
アーデルヘルムと二人っきりになり落ち着かずにいると、彼はじっとこちらを見て、目を細めて微笑む。
「とてもお綺麗です。ヴェロニカ様」
「っ! あ、アーデルヘルムも、似合ってるわよ……」
「ありがとうございます」
私は褒められて動揺しているのに彼は全く動じてなくて悔しい。
そんなことを思っていると、アーデルヘルムが近寄ってきて私の耳飾りに触れてくる。
「やはりあなたは緑が似合いますね」
「〜〜〜! もう!!」
「? すみません……」
頬を膨らませて怒った顔をする私にアーデルヘルムは分からないながらも謝り、耳元から手を離した。
無意識に心に悪いことをするのだから本当に悪い男だ。
そんなふうに過ごしていると、部屋の外からソフィーの呼ぶ声が聞こえる。
「そろそろ時間のようですね」
「分かったわ……」
もう一度息を吐いて立ち上がろうとするとアーデルヘルムが手を差し出してくれてその手を取り、目の前の男をじっと見つめる。
今日からこの人が夫になる。自分だけのものになる。そう思ったら胸の中で愛が溢れてくる。この気持ちを伝えずにはいられない。
「アーデルヘルム」
「はい」
「好きよ。大好き」
じっと見つめて真っすぐ伝えると、アーデルヘルムは目を丸くして驚いた顔をしたけど、すぐに嬉しそうに目を細める。
「私もですよ」
「………」
心の底から嬉しそうに言ってくれるが、私がまた頬を膨らませるのでアーデルヘルムもまた驚いた顔する。
「どうかしましたか?」
「私、あなたに好きって言われたことないわ」
「……そうですか?」
「そうよ! プロポーズされた時も今と同じこと言われた! 今日から夫婦になるのよ? ちゃんと気持ちを言い合わないとダメよ! それに夫が妻を様付けってどうなの?」
せっかくの晴れ舞台なのにプンプンと怒った顔ばかり私に、アーデルヘルムはおかしそうに笑って私の耳元に顔近づけてきて、耳に軽くキスをした。
「ひゃっ!」と小さく悲鳴を上げると男は意地悪く笑みを浮かべ、今度はそれを私の唇と合わせた。
「――愛してます、ヴェロニカ」
せっかく希望通りの呼び方で呼んでくれたのに、その前の出来事のせいで思考が停止した。
そして理解した瞬間に頭から湯気が出てるのではないかと思うほどに顔が熱くなる。
「ちょ、ちょ……っ!」
「言ったじゃないですか。今度は私からキスをさせてくださいって」
確かに言った。私が強引に奪った時に。
でも結婚が決まって準備でお互いバタバタしていたからそんなことをする暇もなかった。
まさか式の前にするなんて……!ただでさえ緊張で心臓が大変なことになってるのに、なんてことをしてくれたのだこの男は。
頬を膨らませて睨みつけてもアーデルヘルムはニコニコ笑っているのが腹立たしい。
「……覚えときなさいよ」
「おや。後でヴェロニカ様からキスをしてくれるということですか?」
「な!? なんでそうなるのよ! しかも呼び方また戻ってるじゃない!」
「いいじゃないですか、私たちはこれで。ほら、もう時間ですよ」
不満気な顔をしている私にアーデルヘルムは手を差し伸べてくる。何だかその手を取るのが悔しく思っていると、
「行きましょう。私の花嫁」
恋は先にした方が負け。まさにその通りだと思った。
余裕たっぷりの夫に私は勝てる日は来るのだろうか、とその手を取り晴れ舞台へと大好きな人と向かったのだった。
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