第22話

 アーデルヘルムと女性は私に気づいていなくて楽しそうに談笑している。その雰囲気から親しい関係なのがここからでも分かる。


「あの、夫人……」


 私がジッと二人のほうを見ていると、騎士から困惑した声がかかりハッと意識を戻す。


 私は手に持っていたバスケットを騎士へと無理やり押し付けた。


「これ、夫に渡しておいていただける? 私は急用ができたので失礼します」

「は、はっ! 畏まりました!」


 私はこれ以上居たくなくて、足早にその場を後にした。


 よっぽど私はひどい表情をしていたのだろう。馬車に戻るとソフィーは何か言いたげな表情をしたが、何も聞かずに業者に声をかけて馬車が動き出す。


 窓へと顔を向けて流れて景色が眺める。頭の中では景色ではなく先ほどの光景が何度も繰り返されている。


 ふうと小さくため息を吐くと、こちらを伺うソフィーの視線を感じたがそちらは向けない。今彼女の顔を見たら弱音を吐いてしまいそうで。


 もう私は皆に守られるお姫様ではない。彼らを守る男爵夫人なのだから。強くなくてはならない。



 そうは言っても今日はいつも通りではいられそうになくて、ソフィーに体調が悪いから食事はいらないと断って寝室に引き篭もる。


 ベッドに入り横になって目を瞑ってもあの光景が頭から離れなくて胸が苦しい。





 コン、コン、コン。


 何度も寝返りを打っているうちにいつの間にか眠っていたらしく、ドアをノックする音で目が覚めた。


 部屋の中はカーテンを閉めていないのに薄暗く、結構な時間寝てしまったのだとボーとする頭でそんなことを考えているとまたドアをノックする音が聞こえた。


「ヴェロニカ様」


 ドアの外から聞こえてきた愛おしい人の声にビクリと肩が跳ねる。


「ソフィーから食事を取っていないって聞いたのですが、どこか体調でも悪いんですか?」

「…………」


 ドア越しでも分かる私を心配してくれるアーデルヘルムの声。


 いつもならすぐにでもドアを開けてるのに今はそれができない。だって浮気現場をこの目で見てしまったのだから。


 ベッドの上で座りこみ返事ができずにいると、


「……今日は隣の部屋で寝るのでゆっくり休んでください。おやすみなさい」


 彼はそう言って部屋の前から離れていき、部屋の前には誰もいなくなった。


 そういえば屋敷にきて初めて一人で過ごす夜だ。新婚だからとアーデルヘルムの周りの配慮もあって遠征には出ず、毎日必ず帰ってきてくれて同じベッドで眠っていた。


 お城にいたときはずっと一人で寝ていたのに、今は一人がものすごく寂しい。


 ベッドに倒れこみ、アーデルヘルムの枕を抱きしめると彼の匂いがする。安心できて大好きな匂いだ。


 ふと脳裏に昼間の光景が浮かぶ。


 アーデルヘルムの隣にいた彼女は、紺色と白をメインとした落ち着いた色のドレスを身に纏い、白の日傘を差した気品漂う大人の女性だった。派手に着飾らなくても十分に彼女の魅力が分かる。


 それに、アーデルヘルムの隣に立つ彼女は誰が見てもお似合いだと思うだろう。現に隣にいた騎士もそう思って動揺していたくらいだ。


 それじゃあ自分が彼の隣に立てばどうだ? お世辞でお似合いだと言う人ばかりだろう。


 ガタイがよく上背のある彼の隣に立つと更に子供だということが際立ち、それを想像して自分で笑ってしまう。


 あと数年経てば妙齢の女性として成長するだろうが、それでもアーデルヘルムには追い付かない。



 十年という差がこれほど悔しく思えたのは初めてだった。




 ◇◇◇




 結局次の日の朝も顔を出すことはできず、アーデルヘルムが家を出て行ったのを確認してようやく部屋から出ることができた。


 眠ることができず、泣き腫らした顔を見てソフィーは驚いた顔をして、何も言わずに温かいタオルと朝食を用意してくれた。


 それからはちゃんと屋敷の仕事をこなし、少し早い夕食を用意してもらってアーデルヘルムが帰ってくる前に引き篭もる。


 そんな子供みたいなことをしてしまったけれど、今アーデルヘルムと顔を合わせたら感情のままに問い詰めてしまう気がした。


 大人はそんなことはしない。もう少し、もう少しだけ落ち着いたらちゃんとあなたと話をするから……




 引き篭もり生活を始めて4日目の夜。


 ベッドの上で縮こまって座る私の前には怖い顔のアーデルヘルムが座っていた。




 この日もいつものように早めの夕食を済ませて引き篭もっていたのだけれど、日付がもう少しで変わろうとしている時間にお腹が小動物が鳴いたかのように音を出した。


 小腹が空いた。ベッドに早々と横になっていたけれどこのままじゃ眠れそうにもない。


 しょうがないとベルでソフィーを呼んで何か食べれるものを頼んだ。


 暫くしてドアのノックする音が聞こえ、誰か確認することもなく入ることを承諾したのが悪かった。


 少し間が空いて入ってきたのは侍女のソフィーではなく、寝間着姿の旦那様であるアーデルヘルムだったのだ。


 会いたくなくて会いたかった彼の姿に私の頭はパニックになって、彼から逃げるようにベッドに飛び込んで布団を頭から被る。これのどこが大人のすることなのだろう。


 アーデルヘルムは持ってきた食事をサイドテーブルに置き、バッと布団をはぎ取ってきた。


 恐る恐る顔を上げれば、こちらを見下ろしてくる久しぶりのアーデルヘルムの顔は笑っていた。目は全く笑っていなかったけれど。


「お元気そうで良かったです」


 開口一番に皮肉を言われ、体をすくませる。何を言ったらいいんだと悩んでいると彼のほうが先に口を開いた。


「……気づかないうちに何かしてしまったんでしょうか」


 自分を責めるような彼の声色に慌てて飛び起きる。


「ち、違うの、私が勝手に落ち込んで……」

「でも俺のことでですよね?」

「…………」

「話してもらえませんか。ちゃんと話し合うのが夫婦ではないですか?」

「…………」

「ヴェロニカ様……」


 アーデルヘルムはベッドに腰かけ、縋るように私の手を握った。その冷たい手に私はずっと胸の中にあるものを出すことにした。


「……この前、お弁当を作って持って行ったの」

「はい。美味しくいただきましたよ」


 アーデルヘルムの言葉に、あの騎士はちゃんと渡してくれたのだと胸を撫でおろす。


 チラッと彼を見る限り、美味しいということにも嘘偽りはなさそうだ。あんなに見た目が悪かったのにそれでも美味しいと言ってくれる彼だからこそ心惹かれたのだ。


「それで、アーデル……中庭で女の人と居たでしょ」

「はい」


 真っすぐに同意されて思わず「は?」とした顔を向けるとアーデルヘルムも「え?」と顔をして私を見てくる。


 お前が女と抱き合っていた浮気現場を目の当たりにしたのだぞ、と言っているのに何でこの男はこんなにも堂々としているのだろうか。


 頭にハテナが浮かんでいると、顎に手を当てて何かを考えていたアーデルヘルムが「ああ」と声を上げた。


「あの人はオレの親戚ですよ」

「……え!?」

「やはり勘違いされてたんですね」


 浮気相手ではなく親戚発言に口をパクパクさせている私を見てアーデルヘルムは眉を下げて苦笑いした。


「祖父の妹の息子の娘です。はとこに当たります。歳が近いこともあって小さい頃からよくしてもらっていました。どこぞの商人の跡取り息子に見そめられて結婚しています」

「結婚……」

「はい。子供も2人いますよ」


 子供たちがまだ小さいこともあって私たちの結婚式には出席できなかったのだと教えてくれる。先日子供を預けてお祝いを言いに来ていたところを私が目撃したらしい。


「……じゃあ何で抱き合ってたの」

「え、抱き合う?……もしかして、彼女が段差に躓いた時に助けた時のことですか」

「…………はぁ」


 アーデルヘルムの言葉に私の肩からようやく肩の力が抜けて、それが分かったのかアーデルヘルムが優しく抱きしめてくれる。


 久しぶりのアーデルヘルムの匂いと温かさにほっとして、張り詰めていたものが無くなったことにちょっと泣きそうになった。


「ヤキモチ妬いてくれてたんですね」

「……ヤキモチ?」


 アーデルヘルムの嬉しそうな言葉を聞いてそれが胸の中でストンと落ちた。


 そうか。私はヤキモチを焼いていたのか。あの胸のモヤモヤはあの女性に嫉妬していたからだったのか。


 だって初めての感情だったのだ。ずっとアーデルヘルムに恋をしてようやく叶ったと思ったら知らない女の人が現れて。


 今までアーデルヘルムに近づく女性に嫉妬はしていたがあれは恋の嫉妬だ。初めて愛の嫉妬を知って少し大人になった気がする。



 ずっと我慢していた感情が溢れて私からもギューとアーデルヘルムを抱きしめると、頭に優しく唇が落ちた。


「部下からヴェロニカ様がお弁当を持ってきてくれたと聞いて嬉しくてすぐにお礼を言いたかったのに、ヴェロニカ様の顔が見れなくて寂しかったです」

「う……」

「しかも浮気を疑われていたとは」

「ごめんなさい……」

「もういいですよ。またお弁当を作ってきてください。今度は一緒に食べましゃう」

「……うん」


 その言葉に嬉しくなる。次までにはソフィーに料理を教えてもらってレパートリーを増やさなくては。


「もう俺はあなたしか愛せないのだから変な心配はしないでください」

「う……うん……」


 アーデルヘルムはそう言いながら何度も頭や耳にキスをしてくる。結婚してからというものの彼の甘さには未だに慣れない。


 アーデルヘルムの攻撃に身を竦めていると、肩を押されてベッドに押し倒された。


「ずっと寂しくて我慢してたんです……いっぱい甘やかしてください」


 覆いかぶさってくる男の目はお腹を空かせた狼にように見えるのに、飼い主にお預けをくらった大きな犬のようにも見えて、おかしくて笑っているとアーデルヘルムは不思議そうに見下ろしてくる。


 しっかり者で大人な彼を甘やかせれるのはどうやら私だけのようだ。


 彼の首に腕を回すとアーデルヘルムは嬉しそうに笑い、私たちは会えなかった時間を埋めるように唇を合わせた。

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