第19話
淑女とは思えないお茶会を終えて、日が暮れた頃に帰ってきたアーデルヘルムといつものように夕食を済ませ、それぞれにお風呂に入り。
そしてベッドに腰かけている。
(今日は絶対にアーデルヘルムに話す……!)
今日のナイトドレスはいつもより可愛いのを選んだし、香水も甘いものを付けた。
形からではあるが意気込んではみたものの、遅れて部屋にやってきた彼を目の前にするとそれは瞬く間に萎んでしまい勇気を出せなくなってしまった。
「おやすみなさい」
ベッドに隣同士で横になり、いつものように彼は私の額にキスをして目を閉じてしまった。こうなってはもう今日も朝まで安眠コースだ。
ゴロンと寝返りを打ってアーデルヘルムの寝顔を盗み見る。
フローラ義姉様の助言から今日は絶対頑張ろうと思っていたのに。なんで本人を目の前にしたら言えないんだろう。
それはたぶん、彼に嫌われたくないからだ。こんなことを言って距離を取られるのが嫌だ。
でも、このまま何もないのも嫌だ。
鼻の奥がツンとして、視界が潤みだす。慌てて反対側に寝返りを打って頭から毛布を被る。
「……っ、う……」
アーデルヘルムを起こさないように手で顔を覆い、声を殺して泣く。自分はこんなにも不甲斐なかったのか。
ああ、せっかく悩みを聞いてくれた彼女たちになんて謝ろう。そんなことを考えていると体を覆う重さがなくなった。
「ヴェロニカ様、どうかしましたか」
手を離して顔を上げると、心配そうに覗いてくるアーデルヘルムの顔に、だんだん落ち着いてきていた涙がまたボロボロとこぼれ出してアーデルヘルムはギョッとして私の体を起こし、抱きしめて優しく背中を撫でてくれる。
その優しさにまた涙が溢れてくる。
「どこか痛いんですか? 医者を呼んで……」
「ち、違う、違うの……」
ベッドから降りて本気で医者を呼んできそうなアーデルヘルムの服を引っ張って首を横に振る。
違うと言いながらも理由を話さない私にアーデルヘルムは安心させるようにギュッと体を抱きしめてくれる。
その安心感から小さい頃のことが頭をよぎる。
昔、淑女の授業で教育係からこっぴどく怒られたことがある。その厳しさに嫌気がさした私は王宮の庭園の植栽の影に隠れてひっそりと泣いていたことがあった。
そしてそんな私を見つけてくれたのがアーデルヘルムだった。彼は私の手をギュッと大きな手で握ってくれた。
父や兄たちとは違う手に安心感を覚えて、好きがもっと大きくなった。
その好きが彼にも伝わって、彼も私のことを好きだと言ってくれた。でもそれは本当に同じ好きなのだろうか。
彼の中の好きは愛情ではなく親愛で、それを勘違いしているのではないだろうか。だから未だに私に手を出してこないのではないだろうか。
「……アーデルヘルム」
「はい」
「私って…そんなに魅力ない?」
「…………え?」
少し間の空いた返事のあと、アーデルヘルムが怪訝そうな表情で私の顔を見てくるが、私は彼を見れなくて目を逸らす。
「どういうことですか」
「だって……もう結婚して一か月経つのに、全然手を出してこないじゃない…私に女としての魅力がないから、する気が起きないのかなって……」
「…………」
いつもより声色が怖い。雰囲気が怖い。
頑張って思いは伝えたものの、アーデルヘルムはそれ以上何も言わない。
暫く静寂な時間が流れ居心地の悪さを感じていると、アーデルヘルムは顔に手を当てて重々しくため息を吐いた。それに過敏の反応してビクッと体を震わす。
「……ずっと1人で悩んでたんですか」
「……うん」
震える声で何とか返事をしたものの、また訪れる静寂。やっぱりこんなこと言わなければ良かったと目じりに涙が浮かんだ時、グイっと肩を押された。
何が起こったのか分からず目をパチクリさせる。目の前には薄暗い中の白い天井、そして眉間に皺を寄せ見下ろしてくるアーデルヘルムの顔。
「アーデル、ヘル……」
「大事にしたいんですよ」
「……え?」
「貴方のことは小さい頃から知っている。周りに持て囃されてもそれに甘えず人一倍頑張っている姿を見てきた。強いのに儚くて…俺に恋をしてくれて。ずっと想ってくれていたあなたを俺なんかが手を出していいのかって思っていたんです」
淡々と胸の内を話してくれるアーデルヘルムに何も言わずに聞く。私の気持ちに真っすぐに向き合ってくれた彼と同じように私もそうするべきだと思ったから。
「そう思ったら何も出来なくて。別に夫婦になったからって義務じゃない。側にいてくれるだけで満足だって思ってました。でもそれで貴方を傷つけてしまってたらダメですね」
そっと涙が流れた頬の跡を彼の指が撫でる。太くてゴツゴツとしている指。
何度も見て触って知っているはずなのに、彼の、アーデルヘルムの雰囲気がさっきまでと違っていて、知らない男の人の手の様に感じた。
「ヴェロニカ。今からあなたを抱きます」
「!!」
私の返事も聞かずにキスをされた。何度も何度も角度を変えて。今まで軽く触れるキスしかしたことがないから息が続かない。
は、と酸素を求めて口を開くとぬるりとしたものが口内に入ってきた。
「……っ!」
それがアーデルヘルムの舌だと分かった時には、彼の舌は奥に引っ込んでいた私の舌を絡めり好き放題に動く。
されるがまま翻弄されている。だが私はキス初心者なのだ。息は漏れるばかりで吸うことができない。苦しくて死にそうだ。
「んん……!」
バシバシと顔を固定している腕を叩くとようやく唇が離れた。
肺に酸素を送ろうと肩で息をしている私とは違い、アーデルヘルムは全く呼吸が乱れていなくて、口の端を流れた唾液を親指で拭う。
その行為が何だかイヤらしく見えて背中がゾクリとした。
「アーデル、ヘルム、いきなり……」
「アーデル」
「へ?」
「アーデルと呼んでください」
「……アーデル?」
「はい」
さっきまで知らない男の顔をしていたのに、急にいつもの顔で嬉しそうに笑うのだから心臓が追いつかない。
アーデルヘルムは私の首元に顔を埋めて何度もキスを落とし、鎖骨辺りで強く吸われて肩が跳ねる。……チクッとして痛い。
そんな私を他所に、アーデルヘルムの大きな手が私の肩から脇腹、腰を撫でた。その撫で方は知らない。自分から誘っておいてこれから何が起こるのか分からない。
心臓が口から飛び出そうな跳ねていて無意識に彼の服をギュッと握っていると、顔を上げたアーデルヘルムは微笑んで今後は優しいキスをしてくれた。
キスをした瞬間、さっきのことが蘇って体を強張らせたけど、唇から「大丈夫」という気持ちが伝わってきて自然と彼の首に腕を回していた。
唇が離れて見上げると、アーデルヘルムは幸せそうに頬を緩ませて微笑んだ。
「ずっとこの日を望んでいた。――ヴェロニカ……愛してる」
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